アメリカ空軍機の中には本来のシリアルとは異なるいわゆる“偽”のものを附けた機体がかなり存在していました。これらは単純に記入のミスとかいうものではなく、その任務から意識的にそうしたものと思われます。この様な機体が現れることによって我々は何か矛盾を感じながらも欺かれてしまい、あたかもその機体が本物だと思っていましたが、最近ではいろいろな資料が出てきてその謎がだんだん解けつつあります。
これらの中で日本において一番目立っていたのがC-130とB-57ではないでしょうか。
C-130とB-57については資料等と実際に横田などで確認された写真などを参考にして調べましたが、他の機体に関しては書籍などの資料によります。
C-130E
C-130Eの中には実際の機体とは異なるシリアルを表記している機体が何機か存在しており、その多くがすでに失われて在籍しない機体のシリアルを再度使用しています。
● 64-0506/0507と62-1843/63-7785
64-0506/0507の2機は何年か前までは、アメリカ空軍から除籍され行方がはっきりしなかった機体。最近ではこれらは別のシリアルを与えられて空軍で使用されていることが確認されている。*1
これらの2機は1965年初め頃からAir
America/CIAで使用されており、1966年9月頃にC-130E-I*2に改造され、それぞれ62-1843と63-7785のシリアルに変更された。
では62-1843と63-7785は本来の機体とダブってしまうが、この2機は62-1843が1965年12月20日に、63-7785が1966年6月17日に失われており、この時すでに本来の機体は存在はしていない。
1972年頃には上面白/下面無塗装でブルーのラインの入った塗装となり63-7785は4月2日に横田で確認されている。これらのC-130E-Iは1977年に名称を現在のMC-130Eと変更し嘉手納の1SOSでしばらくの間使用されており、横田などでもよく目にした機体であった。本来の62-1843は1965年8月4日に立川で確認しており、このような資料が出てくるまでは一度抹消された機体を改造してMC-130Eへ改造したと思われていた。
この64-0506はCIA時代に56-0528というシリアルで飛んでいたとも書かれている*1。このシリアルの本来の機体はC-130A-IIで1958年9月2日に失われている。
● 61-2641
この機体はシリアルからするとC-130Bであり、本来の機体は1966年3月19日に失われている。その後、1966年10月18日には迷彩塗装で1967年10月29日には上記の63-7785と同じく上面白/下面無塗装でブルーのラインの塗装で横田で確認されている。外形はC-130E-I*2。なお1966年10月18日には62-1849という別の機体も飛来していた資料があり61-2641と同じ形態といわれている、この機体も本来の62-1849かどうかは不明(本来の62-1849の機体は特殊改造した記録はないようだ)。
● 63-7772
この機体は1972年3月に横田で確認されており、外形は通常のC-130Eと変わらないようだ。本来の機体は1966年3月25日に立川で確認し、1967年3月12日に失われている。
● 63-7780
本来の機体は1969年1月27日に失われているが、1971年12月にイギリスのミルデンホールでの確認が記録されている、詳細不明。
● 63-7797
本来の機体は1965年3月25日に失われている、1966年7月20日に横田で確認されており、形態はC-130E-I(Skyhook)*3と同様でC-130E-I独特の迷彩塗装。
● 61-4537
このシリアルはC-130のものではない。1966年9月30日まで1198OETSで使用されたといわれている。詳細不明。*4
*1:Lockheed
Hercules Production List 1954--2008:25th Edition(Lars Olausson)。
*2:C-130E-Iは*3の回収装置付の機体と通常レドームの機体とがある。62-1843、63-7785や61-2641は通常レドームの機体。
*3:機首に空中回収用のフルトン・リカバリー・システムを装備した機体、レドームはHC-130Hと同じもので現在のように垂れ下がってはいない。
*4:United
States Air Forces Directory Incorporating US Air Arms(Ken Wardel and
Ian Carroll :Mach III Publishing)に記載。
RB-57A
やはりRB-57Aの場合もすでに除籍された機体のシリアルを附けていた。本来の機体がRB-57Aであるのに対して附けられたシリアルはB-57Aのものとなっている。
●52-1459
この機体は"Switch Blade"と呼ばれる特殊偵察型で1960年から1962年半ば頃まで確認され、当初は無塗装に翼端集塵ポッド付、1962年には上面白色でWEATHERの帯の入った気象観測機塗装となっている。“Martin
B-57 Canberra:The Complete Record(Robert C.Mikesh)”ではこの機体が52-1421、52-1423(52-1424はリストには無い)の偽シリアルを附けて飛行していたと書かれている。
●52-1424
本来の機体はおそらく52-1459。1962年夏から1962年秋までこのシリアルで飛んでいたのを確認。塗装は無塗装(銀)で翼端は燃料タンクで、当時横田にいた3BWのB-57B/Cと同様に尾翼にアルファベッドを記入、本機は“W”。本来の52-1424は1958年2月22日に抹消。
●52-1421
本来の機体は52-1459。1962年秋から1963年夏頃までこのシリアルで飛んでいたのを確認。塗装/形態は52-1424と同じ、アルファベッドは“X”。本来の52-1421は1953年12月9日に抹消。
●52-1423
本来の機体は52-1459。1964年冬から1964年初夏までこのシリアルで飛んでいたのを確認。塗装/形態は52-1424と同じ、アルファベッドは“M”。
●52-1492/52-1418
この機体は"Sharp Cut"と呼ばれ、通常のRB-57Aとは区別され、1955年9月に横田にやってきた"Heart
Throb"と呼ばれる機体や上記の"Switch Blade"と同様の特殊型。
1960年11月30日にUSAFEの7407SSを離れた後は極秘の特殊任務に就いており、おそらく横田に配備されたと言われる。その時にシリアルはB-57Aの1号機である52-1418を附けていたとのことで、この52-1418は書籍などでは1961年4月には横田で確認されている。本来の52-1418はJB-57Aとして1957年6月にNACAに貸し出された後、寄贈され、偽の52-1418が横田に現れた年の12月には寄贈は取りやめになり空軍に戻されている。
偽の52-1418は1965年2月3日に本来のシリアル52-1492に戻されたと言われるが、このシリアルでは横田では確認されていないようだ。本来の52-1418は1967年5月までにはMASDCへ入り部品取りなどに使用されていた。
なお偽シリアルとは関係ありませんが最初に日本にやってきたRB-57Aは上にも書いたように"Heart
Throb"(52-1427,52-1431,52-1432,52-1433)と呼ばれる特殊型で通常の偵察部隊(363TRWや10/66TRW等)で使用された機体とは異なっており、主な特徴は機種がグラスノーズでなく透明ではない。この"Heart
Throb"のあとに配備となった機体は上記の52-1459/52-1493(写真確認なし)以外に52-1446,52-1448,52-1449,52-1450,52-1455が確認されている。
※ North American Military Aviation Review 2000年1月〜3月号。
※ これらRB-57Aの確認日付は今までに調べた範囲のもので、当然もっと確認されているはずなので、どのような形態(翼端はタンクか集塵ポッドか)や塗装(無塗装か気象観測塗装か/集塵ポッドの前方は白いか黒いか、またそこに番号が記入されているか/キャノピー後方に黒の塗装がされているか等)でいつ確認されたかが分かる方がおりましたら連絡していたければ大変ありがたいです。連絡先:hercules@mba.ocn.ne.jp
RB-57F
●63-13499
このシリアルは実際には存在しないもので“NAMRR”の※中にある説明では1965〜66年の冬の間にドイツのRhein
Mainで短期間出現しているように思える記録があると書かれているが、実際にそのシリアルの機体が確認されているのかは不明。
※ North
American Military Aviation Review 2000年1月〜3月号。
C-118A
●51-3842
ドイツのWiesbadenを基地とする7405SSの機体51-3823が1965年7月6日から10月5日までの間このシリアルを附けていた。アメリカに帰国後の1966年2月11日に元のシリアルに戻されている。このシリアルはすでにその時点では在籍していないRC-121Cのもの。
●51-3846
これも7405SSの機体51-3825が1965年5月22日から10月5日までの間このシリアルを附けていた。アメリカに帰国後の1966年2月11日に元のシリアルに戻されている。このシリアルはH-19Aのもの。
※ British Aviation Review 1997年12月号〜1998年1月号による。
RC-135U
●64-14843
64-14849がこのシリアルを附けて1967年に確認されており写真も発表されている。
●64-14850
64-14849がこのシリアルを附けて1976年8月30日にイギリスのMildenhallでの記録がある。
●64-14851
64-14849がこのシリアルを附けて1976年9月26日にMildenhallでの記録がある。
●64-14848
64-14849がこのシリアルを附けて1982年7月3日にMildenhallで本来のRC-135V(64-14848)と並んでいる記録がある。
U-2A
●55741
パワーズ事件の時にメディアの公開されたCIA所属のU-2Aの2号機56-6675がその時のために附けたシリアル。
●56-6674
U-2Aの1号機、U-2Aのシリアルは56-6675から始まっており、この1号機には当初56-6674が与えられているが、これはH-19Bのものであったため結果としてシリアル無しとなってしまった。実際にこのシリアルが附けられたかは不明です。
※ Aero Graph 3:Lockheed U-2による。
U-2R
●68-10342
U-2Rのシリアルは68-10329/10340までで、それ以後のシリアルは68-10341/10353が与えられたが実機は完成していない模様。この68-10342は1975年にアメリカのDavis-Monthanで確認されている。
●68-10345
本機の完成していないと言われる機体のシリアルで1975年1月及び1976年5〜6月にMildenhallで確認されている。なお、68-10340の機体がシリアル最後の2桁の“40”を塗り替えた形跡の写真があり、この機体がシリアルを変えていた疑いがある。
※ Aero Graph 3:Lockheed U-2による。
RB-50E
●65403
横田の6091RSに所属していた下面を黒く塗装した機体で本来のシリアルは47-0131。このほかにも76577というシリアルを附けた機体の記録もあるが詳細不明。
RF-100A
●53-2600
このシリアルを附けて日本上空での撮影といわれる写真があるので、横田に1955年に配備された3機(53-1546,53-1547,53-1548)の中の1機ではないかと思われる。このシリアルはF-89Dのもの。