伝説の時代から現代まで 航空史抜き書きto  topp

 

 

航空歴史館 掲載11/06/23

  
T-33A・P-51・零戦で使われた木材について
 


はじめに

 この話題は、岐阜基地に展示されているロッキードT-33Aの修復に当たって、操縦席床に合板が使われていることに驚いたことから、大戦中のレシプロ戦闘機に話が及び、零戦談話室の常連さんにもお手を煩わしましたので、そ れらの経緯を順を追って載せておきます。
             
                                                         (佐伯邦昭)


発端 日替わりメモ2011/06/14から

○ 航空自衛隊岐阜基地のT-33Aの修理と再塗装が完了

 作業の途中で東日本大震災が発生し、担当隊員の殆んどが災害地へ向かい完成が危ぶまれましたが、居残りの人たちが何とかやり遂げて立派に修復再塗装が成りました。第二補給処の皆さんにに感謝します。

 ところで、ジェット戦闘(練習)機に木材が使われるとしたらどこでしょうか? ちょっと思い浮かびませんでしょう。

 小山さんのレポートでは、なんとT-33Aのコックピットの床が木の板と判明しました。2004年の第1次再塗装の時などに木に替えられた可能性もありますが、初めからアメリカ製の木材だとしたら、P-80シューティングスターも木の床だったのか? 

 恐らく、川崎でライセンス生産したT-33Aの床は金属に替えられているのではないでしょうか。今どきのジェット戦闘(練習)機で木があるとすれば、空自機のお守札くらいのものではないか。

 木製のモスキトーや疾風の木製化キ106はよく知られたことですが 、意外なところに製造の秘密がでてきますね。

修復中 撮影2011/04/02 航空自衛隊岐阜基地 小山 (
A442-01参照)


P-51にも 日替わりメモ2011/06/21から

  6月14日に、岐阜のロッキードT-33Aジェット練習機の操縦席床が木であったことに驚いた話を書きましたが、大戦中の戦闘機についてのメールも頂いています。

 軍用機の発達は、同時にアルミニュウムなど金属の発達史に重なりますから、ヒコーキ構造材というものが木と布からスタートしたとはいえ、大戦中の高度のレシプロ戦闘機に材木が使われるというのは、金属材料が枯渇した末期日本ならともかく、米国などにはありえないと思っていました。

 1983年河出書房新社発行の豪華版【世界の偉大な戦闘機】シリーズの1冊 ロバート・グリンセル著 夏木徹弥訳 イラスト渡部利久の「P51Mustang」の実機に迫るような迫力あるイラストの中に1/40カラー4面図あり、特に説明文はありませんが、コックピット床の茶色が木製を連想させるそうです。

 それで、いろいろ調べてみると欧米のモデラーの間では、ノースアメリカンP-51のコックピット床の色について長い間論争があり、どうやら黒で決着が付いたらしいということです。必ず色を塗らなければならない人にとって茶色か黒かは重大な問題で笑えない話ではありますが、できれば、「木材の採用、おー、ムスタングよ! お前もか!」という決着も付けてほしいです。零戦や疾風の床も見てみたいです。

 以上、かつおさんとにがうりさんのメールから話題を頂戴しました。


零戦談話室への投稿 2011/06/21 佐伯

 手前味噌ですが、当方のホームページにT-33AやP-51のコックピット床が木材(合板)だったことに驚いたことを書きました。それで、例えば零戦の床はどうだったのかなという興味もわいてきました。

A6M232さん、教えてください。


零戦談話室 2011/06/21 A6M232さん

 零戦の床は超ジュラルミン(SDCR)で一一型〜六二型の全てにおいて金属です。(補足・・・主桁は超々ジュラルミン「ESD」)

 写真は胴体と分離された中島二一型の主翼です。
 操縦席床面が良く判ります。


 以下余談となりますが・・・・

 零戦の木材使用は細かい各所で、四角・丸・コの字形等に加工された超ジュラルミン(SDCH)の中に填材として詰められたり、木ネジの受けの為に胴体縦通材の中に入れられたりとされています。(全ての動翼後縁のV形の超ジュラ部材の中にも見事に木材が入っています)
少し前は木製の複葉機が全盛の時代ですから普通の事だったと思います。

 意外な一例で主翼フィレット上端を止めているのが木ネジで、操縦席側面のハット型の縦通材の中にはその為に木材が入れられています。下の写真の範囲で示した44本は木ネジで、それ以外は全て沈頭鋲です。


 なお、大東亜戦争末期の日本において、アルミニュウム合金の不足から疾風の木製化が図られた事実などをもって、一部の人に、零戦にも木が多用されたというような誤解 (注1)が生じているようですが、零戦の名誉の為に更なる余談も書いておきます。

 木材では不向きな強度が必要とされる填材部分では、当時アルミと違って無尽蔵に在るとも書かれたエレクトロン(マグネシウム材:注2)が多用されています。
 
 だからT−33の床板としてのメイン部材としての木材使用とは違い、零戦はあくまでも金属の補助的な役割での限定的な木材使用でした。

(注1)  例えば「零戦は木材だらけ、着艦フックまで木材だった!」という人がいます。超々ジュラの着艦フックは腐食してバームクーヘン状になりますので、放置された機体ばかり見ている方で航空機にそれほど興味のない方には格好のネタとなるのでしょう。

(注2)  マグネシュウム合金は、1909年にドイツのG.エレクトロン工場で発見されたので、以後、エレクトロンメタルと呼ばれて、降着装置の車輪リムや滑車金具、トランスミッションケースなどの重要部品やドアヒンジなど小物金具に多く使われている。  半田邦夫著「航空機生産工学」より


零戦談話室 2011/06/22 ケンジさん

 零戦の操縦席床が金属というのは、ここが主翼上面ということもあると思います。
 
 P-51等の様に別途床板を設置している構造ではありませんから。
 
 スピットやF4Uの様に床は無くてもよいので、この部分に強度を持たせるということなどを考えなければ、蓋の素材はなんでも良いということなのかもしれません。

主翼と一体構造の操縦席部分 呉市海事歴史科学博物館零式艦上戦闘機修復中の写真より (佐伯)


佐伯から :

 A6M232さん ケンジさん 的確なご説明に納得しました。ありがとうございました。

 零戦の場合、主翼上面が床板だというということに気付いていれば、こんな質問は出て来ませんでした。恥じ入っております。

 ただ、普段は、あまり目が行くことのない操縦席の床について理解し、あるいは機体の他の部分への木材の使用について興味あるお話しが聞けました。ありがとうございました。

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