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航空歴史館

メキシコ勤務時代(1999∼2003)の思い出
 

大統領特別機訪日に寄せて

[1] 対日戦線に投入されたメキシコ陸軍のP-47

[2] メキシコ政府の三菱MU-2J

[3] アルコン・サービス社のYS-11 

投稿 レオン空港に寄せて  2011/11/29 山田俊彦

古谷眞之助


2010/02/06付けのニュースフラッシュ714にメキシコ大統領特別機が掲載されました。

 
フェリペ・カルデロン・イノホサ大統領特別機 メキシコ空軍  ボーング757-225 XC-UJM/TP-01 
撮影02/01 東京国際空港 ハロースクエア

 
[1] 対日戦線に投入されたメキシコ陸軍のP-47

 1999年から3年半、メキシコで勤務した私には懐かしい3色旗でした。
 ところで、第二次対戦中にメキシコ陸軍航空隊と我が国がフィリピン戦線で交戦していたのをご存知でしょうか。日本メキシコ学院作成の「ビバ・メヒコ21」という日本人向けの教科書には概略以下のように記されています。

 ただし、戦争はしましたが、歴史的にメキシコ及びメキシコ人は非常に親日的ですので誤解なきように。

  アメリカからP47サンダーボルトを供与されたメキシコ陸軍航空隊第201飛行派遣隊は約1年半の訓練の後、19453月にフィリピン戦線に投入されています。

 飛行隊員数は34名。すでに戦局は圧倒的に連合軍側の優位にあり、空戦を交えることはなく、山中に潜む日本軍に攻撃を加えるというレベルだったようです。以後、台湾、沖縄と転戦するうちに、エンジントラブルによって5名の戦死者を出して終戦を迎えたそうです。もともとメキシコはこの参戦には乗り気でなく、アメリカの陰謀に近いかたちで参戦を余儀なくされています。戦中の在墨日本人に対する取扱も、アメリカのように悲惨なものではなかったとの証言もあります。

 2002年に開港50周年を迎えたメキシコシティのベニト・ファレス国際空港では、その時ターミナルビルの一角にデスクトップモデルが展示されていました。所用でそこに居合わせた私は、そのうちの3機に注目しました。うち2機は「第2次大戦に参加したメキシコ陸軍航空隊機・サンダーボルト」です。スケールはおそらく1 / 144と思われ、非常に小さいものでしたが、以下のことが分かりました。

 もちろん、このモデルの考証が正しいという前提ですが。

 1 派遣部隊の正式名称 Fuerza Aerea Expedicionaria Mexicana    翻訳すると、メキシコ派遣飛行隊とでもなるのでしょうか。
2 
機体は、正式には P-47D-30-RA
3  1947
7月、フィリピン Luzon基地
4 
シリアルナンバー 433737
5 
塗装は一見したところ、米陸軍航空隊と変わりませんが、
 @ ラダー部がメキシコ国旗の白、赤、緑に塗り分けられている。
 A 右主翼上部にメキシコ軍のマークが遠慮がちに入れられている。このマークは現行空軍使用のものと同一です。

 なお、もう1機のサンダーボルトが展示してあり、それには、 
1 P-47D-35-RA
2 Las Bajadas, Veracruz 1958
とありますから、戦後も使われ続けられたことがうかがえます。ベラクルスには海軍航空隊もあったようで、コンソリデートPBY-5A カタリナの綺麗なモデルもありました。こちらは1956年、Las Eajadas, Veracurzとあります。


[2]  メキシコ政府の三菱MU-2J

 さて、もう1機はメキシコ政府マークをつけた三菱MU-2Jです。

 Secretario de la Defeuse Nacional 1965

とあるので、多分、国防大臣専用機だと思います。DH-61-MU1550というシリアルがありました。現在でも使用されているかは不明です。当日、カメラを持ち合わせておらず、一所懸命メモを取ったのも懐かしい思い出です。一般のメキシコ人は模型にはほとんど関心を寄せてはおらず、メモに忙しい私を変なヤツと思っていたようです。
  (注 
三菱アメリカ・インダストリー社製のMU-2と思われる)


[3] アルコン・サービス社のYS-11 

 もう一つ、メキシコでびっくりしたのは、当時私の住んでいたレオンという街にYS-11が飛来したことでしょう。2002814日、上司を空港に送って行った帰り道、前方にアプローチしてくる機体があって、何となく見慣れた飛行機だなぁ、とぼんやり思っていたら、何とそれがYS11でした。それと確信して、車を路肩に止めて見入っていました。懐かしかったですね。そして、異国で頑張っているYS-11に思わず「お疲れ様」と言ってやりたくなるのでした。

 資料を調べてみると、この機体はアルコン・サービスという会社所属で、当時2機のYS-11を運航していました。塗装は特にこれといった特徴はなく、全面白色塗装で垂直尾翼に赤色で軽くロゴが入っているだけでした。あの甲高いロールスロイスのエンジン音をまさかメキシコで聞くなどとは思っておらず、やや興奮しながら久し振りに懐かしく聞いたものです。

注 Alkon Servicious AereosuのYS-11
 製造番号2070 (JA8714) 各国の使用を経てAlkon Servicious Aereosu XA-TQP
 製造番号2073 (CF-TAM) カナダ、米を経てAlkon Servicious Aereosu XA-TND


投稿 レオン空港に寄せて  2011/11/29 山田俊彦

 古谷さんの2002年レオン空港でYSを見たというの記事を拝見しました。私は1967年から3年間とその後何回か出張で訪れその都度写真を残してきました。メキシコの航空機の話ができそうで嬉しくなりました。

 YS11は短期間でしたが旅客輸送として地方で活躍していました。10年ほど前に作ったServicio Aereos Litoral (現アエロメヒコ傘下のAerolitoral)のYS-11リストを添付します。ベラクルスを中心に地方都市を運行していました。

メキシコ登録

製造番号

形式

抹消

備考

XA-ROL

2121

-205/500

1992/02

ベラクルスに放置

XA-ROV

2126

-205/500

1992/04

 

XA-TTG

2066

-208

1992/04

 

XA-RPU

2091

-215/500

1992/04

 

参考1

 この写真は1967年にDF空港で撮ったノースロップのKC125です。鉱山で活躍していました。現在米国の博物館に展示してあります。この会社ではフォードのトライモーターも使用していました。

参考2

 この写真は、1969年ペルーのタクナからリマに行く途中アレキパに寄った時のもので、支払いも済ませないで倒産したLANSA航空です。数少ない写真と自負しています。

 

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