伝説の時代から現代まで 航空史抜き書き

 航空歴史館  

 

東京裁判で個人の無罪を主張した

ベン ブルース ブレークニ氏の自家用機セスナ172

 

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 5月3日の憲法記念日が近づくと一つ思い出す記事があります。それは終戦一年後の1946年5月3日極東国際軍事裁判が始まった日でもあるからです。
 米国軍人のベン・ブルース・ブレークニ氏もその裁判の弁護士のお一人でした。この方が居られなかったら日本人戦犯の処遇はかなり代わったものとなったと聞いています。
 彼は裁判終了後日本に残りお仕事をされたようですが、当時としては珍しく自家用の飛行機(セスナ172/ N997BB)で日本各地を飛び回っていました。
 機体は通常羽田のJAMCOのハンガー内に置かれていました。写真は1962.11.23撮影したものです。
 残念なことに1963年3月4日伊豆半島で羽田から大阪経由で沖縄に向け飛行中悪天候のため行方不明となり後日墜落が確認され夫妻の遺体も収容されました。
 ベン・ブルース・ブレークニ氏の功績は色々な書物に書かれていますので戦中戦後の日本の歴史を知る上で面白いです。


 

参考

逍遥軒虚空童子さんのホームページから引用
http://plaza.rakuten.co.jp/moeatsugi/diary/200812250001/

 東京裁判は戦勝国(特にアメリカ)が日本の戦争責任者(個人)を裁く為の裁判でしたが、圧倒的に不利な日本側の弁護を担当した一人のアメリカ軍人が「戦争とは国家同士の責任を問うもので、個人の責任は追求されない」と陳述し、この裁判の不合理を説きました。

 ご存知の方も多いと思いますが、その時陸軍少佐で占領軍将校でもあったブレイクニー(Ben Bruce Blakeney)氏です。私は小林正樹監督の記録映画「東京裁判」の次の部分に強いインパクトを受けています。

 「国家の行為である戦争について、個人責任を問うことは法律的に誤りである。何故ならば、国際法は国家に対して適用されるものであって、個人に対してではない。個人に依る戦争行為(東京裁判での審判事項)という新しい犯罪をこの法廷で裁くのは誤りである。

 戦争での殺人は罪にならない。それは殺人罪ではない。戦争が合法的だからである。つまり合法的人殺しである殺人行為の正当化である。たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪としてその責任は問われなかった。
 
 真珠湾攻撃が殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も承知している。彼らは、殺人罪を意識していたか?してはいまい。我々もそう思う。それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。
 
 何の罪科でいかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。

 原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認したものがいる。その者達が裁いているのだ。彼らも殺人者ではないか。」

 裁判でこの陳述は無視されました。しかも後半の部分は翻訳もされず、公式記録に載っていないのです。

 

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