参考
逍遥軒虚空童子さんのホームページから引用
http://plaza.rakuten.co.jp/moeatsugi/diary/200812250001/
東京裁判は戦勝国(特にアメリカ)が日本の戦争責任者(個人)を裁く為の裁判でしたが、圧倒的に不利な日本側の弁護を担当した一人のアメリカ軍人が「戦争とは国家同士の責任を問うもので、個人の責任は追求されない」と陳述し、この裁判の不合理を説きました。
ご存知の方も多いと思いますが、その時陸軍少佐で占領軍将校でもあったブレイクニー(Ben
Bruce Blakeney)氏です。私は小林正樹監督の記録映画「東京裁判」の次の部分に強いインパクトを受けています。
「国家の行為である戦争について、個人責任を問うことは法律的に誤りである。何故ならば、国際法は国家に対して適用されるものであって、個人に対してではない。個人に依る戦争行為(東京裁判での審判事項)という新しい犯罪をこの法廷で裁くのは誤りである。
戦争での殺人は罪にならない。それは殺人罪ではない。戦争が合法的だからである。つまり合法的人殺しである殺人行為の正当化である。たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪としてその責任は問われなかった。
真珠湾攻撃が殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も承知している。彼らは、殺人罪を意識していたか?してはいまい。我々もそう思う。それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。
何の罪科でいかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。
原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認したものがいる。その者達が裁いているのだ。彼らも殺人者ではないか。」
裁判でこの陳述は無視されました。しかも後半の部分は翻訳もされず、公式記録に載っていないのです。