日本におけるダグラスDC-3 1951年以降の歴史全目次t

 

                

F-6 個別機体解説 JA5027 
         日本で最も長く飛んだDC-   
2017/01/31 伊藤忠での任務を追加

JA5027の製造番号・形式・主な経歴
形式 c/n1996 DC-3-201 → C-49G(下記参照) → DC3C-S1C3G

C-49とは

 
 
米陸軍航空隊が生産ラインまたは航空会社へ引渡し済みの機体を徴用し、C-49と呼称したDC-3のリストは次のとおりです。

米軍呼称

機数

民間タイプ

徴用前

エンジン

座席数

徴用時期

日本機

C-49 6 DC-3-384 TWA R-1820-71

24

生産ライン  
C-49A 1 DC-3-385 Delta R-1820-71 21 生産ライン  
C-49B 3 DC-3-387 Eastern R-1820-71   生産ライン  
C-49C 2 DC-3-386 Delta R-1820-71   生産ライン  
C-49D 6 DC-3-389 Eastern R-1820-71   1機のみ就航中  
C-49E 22 DST、DC-3   R-1820-79     JA5015
C-49F 9 DST、DC-3 Eastern R-1820-71   就航中 JA5128
C-49G 8 DC-3-201 Eastern R-1820-97 21 就航中 JA5027
C-49H 19     R-1820-97 21 就航中  
C-49J 34 DC-3-454   R-1820-71   生産ライン  
C-49K 23     R-1820-71   生産ライン  
1937/10/23 Eastern Air Lines NC18120 ”340”
1942/06/08 USAAF 42-56635 (Easternで就航中の機体を徴用C-49Gと呼称)
1944/06/24 Eastern Air Lines NC18120
19**/*/* AVISPA HP-191 
1955/07/15 Leaward Aero Sales N82C
1956/10/19

 

日ペリ航空 JA5027
 第一物産経由で購入、56/10/13羽田到着、10/19耐空検査実施、10/22引渡し、10/23札幌線から就航
撮影1957/10 東京国際空港 提供横川裕一

1957/12/01 全日空に変更

撮影1958年頃 大分空港 門上俊夫


撮影1960/07/12 東京国際空港 戸田保紀

 
1963/06/05 大阪国際空港のエプロン駐機中、JA5078貨物機が衝突 尾翼破損

1963/06/05 破壊されたJA5027の尾部 大阪国際空港 提供杉山ひろかず

1964/04/14 長崎航空

撮影1968/01/02 東京国際空港 N.SUZUKI
1967/11/30 長崎航空が旅客営業路線を全日空に譲渡
1968/06/03 伊藤忠航空輸送に譲渡  伊藤忠

 通産省が鉱物資源調査のために使いたいとの要請があり長崎航空が伊藤忠に譲渡し、シーメンス製のカメラを積んで飛行した。(川村保敏氏の証言)

撮影日不詳 東京国際空港 N.SUZUKI

1970/05/01 JA5027抹消登録


 

日本での通算使用期間が最長


 日本へきて7年後に尾翼をもぎ取られる事故にも遭いましたが、その後長崎航空-伊藤忠航空と渡り、結局日本での通算使用期間は13年6ヵ月で全18機の中では最も長いものとなっております。(次はJA5019の12年10ヶ月)

日替わりメモ2006/04/16

心温まるお話し

 読売と朝日が報じた『全日空と仙台の養護学校、43年前の遊覧飛行再現』は、暗いニュースの多い航空記事の中で、心が温かくなるテーマでした。
http://news.goo.ne.jp/news/yomiuri/shakai/20060413/20060413ic05-yol.html

 21日には仙台の子ども達が『わが生涯の最良の日』となるように成功を祈ります。

 43年前に麻田正機長が飛んだダグラスDC-3 JA5027は、日本のDC-3の中では13年半も飛び続けた最長寿命の名機でした。久しぶりにその写真を見て、そんな立派な行為の舞台にして貰っていたのかと佐伯も感激しました。

 

F-6 完