日本におけるダグラスDC-3 1951年以降の歴史全目次

           

                            F-8 個別機体解説 JA5040 
                                           極東航空から全日本空輸へ


2014/08/29再編集

 

JA5040の製造番号・形式・主な経歴
形式 c/n 6349 DC-3A-447 → R4D-4 → DC3A-S1C3G
1943 PanAm NC34956 完成前に米海軍へ徴用
1943/1/4 US NAVY 07003
19**/*/* N20879
1957/4/20

極東航空 JA5040 ニックネーム「薩摩」  04/05羽田到着引渡し 04/27から就航

大分空港 撮影1957/06/04 門上俊夫

 

1957夏 大阪国際空港 新明和伊丹工場 撮影1957 いたみん


 
1957/12/1

合併により全日空  

 ノーズの「薩摩」を消して全日本空輸のロゴとマーク書入 大分空港 撮影1980/01 門上俊夫

  ノーズナンバー「40」 東京国際空港 撮影1960/09/04 杉浦 博
    

東京国際空港 撮影1962/12/26 赤塚 薫

 
1963/5/10 仙台空港で滑走路をはずれ吹流し柱に接触して大破 10人負傷
1963/5/25 JA5040 抹消登録


 

極東航空から全日空へ

 
 JA5040は極東航空から全日空への過渡期に在籍していたダグラスDC-3のうちの1機です。

 日ペリ航空と極東航空は、1956(昭和31)年から合併の協議が始まり、1957(昭和32)年10月30日に合併契約書に調印しました。

合併契約の主な内容は、次のとおりです。

◆ 1957(昭和32)年11月30日をもって極東航空は運行の一切の業務を停止する。

◆ 1957(昭和32)年12月1日に日本ヘリコプター輸送株式会社の商号を全日本空輸株式会社に変更し、極東の路線を運営する。 (全日空は5年後の1962(昭和37)年に創立記念日を12月1日と定めた)

◆ 1958(昭和33)年3月1日合併登記。

 全日空の初代社長には日ペリ航空社長の美土路昌一氏が就任ました。

         

 下の3枚の写真は極東から全日空への変遷を示すものです。

 極東航空時代の胴体トリムラインはダークブルーで、機首は先端のところまでカーブして画かれています。
撮影1957/06/04
 全日空となってまだ日の浅い時期に撮影したもので、極東の胴体トリムラインを残して、社名だけを書き替えています。ノーズのJA下二桁の番号もまだ記入されていません。
撮影1958/01
トリムラインも全日空のライトブルーになり、機首番号も40と入りました。
撮影Harby

F-8 完