日本におけるダグラスDC-3 1951年以降の歴史全目次t

 

F-17 個別機体解説 JA5100 
   航空局初代飛行検査機ちよだ号

                                
                                                                     模型は1/48 製作:かつお

JA5100の製造番号・形式・主な経歴    航空局の飛行検査業の変遷

形式 c/n 1553 DC-3A-178 → DC3A-S1C3G
1936/10/18 AMERICAN AL NC16015 "Kentuky"
19**/*/* FORIGIN AND DOMESTIC ENTERPRISE
19**/*/* TRANS ARASKA
1955/2/* BONANZA N492

1962年以前

日本移管前の飛行検査任務に就いていたといわれるMATS AACS(Airways And Communications Service)のAC-47D 43-49029

東京国際空港 撮影1961/03/13 geta-o

[注] AC-47Dの前期タイプ:戦後C-47Bの過給機をはずして転用したうちの26機をAC-47DとしてFLYGHT INSPECTIONに改造した。1962年にAIR FORCE COMMUNICATION SERVICE に移ってEC-47Dと改称し、早期警戒レーダー等の試験任務についた。
AC-47Dの後期タイプ:ベトナム戦争中に7.62o機銃3〜10丁を装備した47機がAC-47Dと名づけられた。

  飛行検査業務とは、無線航行施設と無線通信施設を利用した航空交通管制の機能が正常かどうかを航空機から確認する業務をいいいます。第二次大戦後、これらの施設や機能は米軍が建設し運用していましたが、のち地上の施設が次第に日本側に移管され、最後に飛行検査業務も運輸省航空局に移管されました。

1960/10/12 運輸省航空局と関谷産業が購入契約締結 価格3110万円

1960年度

関谷産業を通じてボナンザ航空からDC-3を購入、約3,000万円

1960/12/20 関谷産業が納入

1961/01

東京国際空港到着  航空情報1961年3月号 

1961年度

DC-3 JA5100改装
 米国FAAのDC-3飛行検査機の設計図により、日本航空整備鰍ナ改装し、VOR、ILSなどの検査記録用レコーダー、ADF、VOR、ILSなどの二重の機上無線送受信機等を搭載し ました。
航空情報1961年7月号 

1961年度

DC-3 JA5100命名
  航空局内の公募で”ちよだ”と命名
「ちよだ」のレタリング 撮影1962 にがうり

1961/02/24 JA5100登録 運輸省航空局 定置場東京国際空港

1961/09

教育訓練開始  初期の搭乗は操縦士3名、整備士1名、無線通信士1名の5名
東京国際空港 撮影時期撮影者不明 

1961/11/02 検査業務に就く前の教育訓練飛行時代の貴重な記録    撮影1961/11/02 杉浦 博

1962/04/01

DC-3 JA5100 飛行検査業務開始
 米空軍飛行検査隊(立川基地)から日本政府が業務の一部移管を受ける。対象は航空局所管のNDB及び通信施設約80ヵ所

以下 塗装等の変遷

機首蛍光の形に変化 八尾空港 撮影1966/05/02 飛松克弘


垂直尾翼の登録記号は縦書 東京国際空港 撮影時期 撮影者不明

   ちよだは右書き
   


 機首蛍光が操縦席を包み込むように拡大 胴体の帯が無くなりラダーを除く垂直安定板に塗られる 。登録記号が垂直安定板から後部胴体に移動 
東京国際空港
 撮影1967/01/05 杉浦博

   
ちよだは左書きに         
   

東京国際空港 撮影時期不明 藤田俊夫


東京国際空港 撮影1968/07/05 鈴木宣勝

大分空港 撮影1968/08 門上俊夫


退役1年前

大分空港 撮影1969/02 門上俊夫


退役9か月前 

東京国際空港 撮影1969/05/19 戸田保紀

1962/08/28

米国FAAが立川基地に東京飛行検査事務所を設置、米軍の業務を移管 2機のCV240で実施

FAA CV240 N251 撮影1966/06/11 板付 基地 門上俊夫

1965/04/01

飛行検査2号機のYS-11(JA8610)が業務に就く

1967/01

飛行検査3号機のYS-11(JA8700)が業務に就く

1967/04/01

航空局所管の航空保安施設の飛行検査業務をFAAから完全移管

1968/09

飛行検査4号機のYS-11(JA8720)が業務に就く

1970/03/31

DC-3(JA5100)ちよだ号が飛行検査業務から退役。総飛行時間5,452時間10分

引退 東京国際空港 撮影1970/3/31 笹野強一

1970/04/01

飛行検査5号機のMU-2(JA8770)がDC-3と交替して業務に就く。

1970/11/20 DC-3(JA5100)の抹消登録
1972/6/28 DC-3(JA5100)払い下げ 価格150万円
1972/**/* 山梨県北都留郡上野原町の遊園地に展示 展示期間と写真
1992年発行「飛行検査30年のあゆみ」より 

F-17 完