日本におけるダグラスDC-3 1951年以降の歴史全目次t

 

 

                       F-18 個別機体解説 N493→JA5128 
                                  航空局ちよだ号と続き番号の怪

N493 JA5128の製造番号・形式・主な経歴
形式 c/n 3251 DST-318A → C-49F → DC3A-S1C3G
1940/10/08 Eastern Airlines DST NC28393
1942/06/08 USAAF C-49F 42-56637 
1944/04/12 TWA NC28393 ”342”
1952/10/15 Los Angeles Air Services
1952/12/21 Bonanza Airlines 
1953/02/27 NC28393→N493
1960/06/** 全日空へリース N493
1960/10/02 外籍登録機として運航登録申請
1962/06/29 Charles Banfe 
  撮影1963/07/22 大分空港 門上俊夫


撮影1963/11/12 大阪国際空港 Twinbeech

1964/10/02 全日空 JA5128登録 求!・JA5128の写真
1965/11/20 抹消登録
1965/**/** Winner Airways B305
  リース Air Vietnam B305
1970/09/30 ベトナム ダナンで破壊

 

航空局の不自然な扱い

 

 本機は、1960(昭和35)年から4年間アメリカ登録のN493で飛び、最後の1年間だけJA5128にな りました。

 日本の航空法では、外国の国籍を有する航空機は運輸大臣の許可を得て運航することができます。しかも許可の内容は日本国籍の航空機とほぼ同じなので実務上はたいした問題はありません。

 とはいうものの、4年間も特別の許可の状態で飛び続けたというのはいかにも不自然です。

 当時の全日空はDC-3の改修を新明和興行に委ねており、新明和では、DST-406の型式承認資料が入手できないため、DC-3Aへの改修が着手できず、Nナンバーのままであったという説もあります。


航空局のちよだ号と続き番号の怪

 
JA5100 BONANZAのN492を1960年度に購入(運輸省航空局)
JA5128 BONANZAのN493を1960年度にリース(全日空)

 このように並べて書くと、N記号の続き番号というのが作為なのか不作為なのか大いに疑問がわきます。


JA5100との抱き合わせリースか?

 以下、全く想像に過ぎませんが、運輸省が大蔵省にお百度参りをして4,600万円の予算をつけてもらった飛行検査機ですから、政治がらみ利権がらみの暗躍があ ったのではないでしょうか。

 (次期戦闘機や旅客機の選定で仲介する政治家が莫大な利権を手にする構図と似たようなものです)

 恐らく、BONANZAまたは関谷産業が運輸省の足元を見てもう1機のDC-3を引き取る条件を持ち出した・・・ すったもんだの末、全日空が運輸省もしくは利権政治家から頼み込まれてN493を押し付けられた・・・

 持ち主が途中からCharles Banfeという個人にかわっているのも何か事情がありそうです。

 押し付けられた全日空 は、すぐに返すつもりが機材繰りの関係でずるずるとNナンバーのまま使い続けた、しかし航空局は早く日本国籍にしろとは言いにくかった・・・ 

  大方、こんなところではないでしょうか。
 ちなみ全日空社史はN493について全く触れておりません。他の文献でも見たことがありません。

 詳しい情報をお持ちの方はお申し出ください。

      F-18 完