個別機体解説 JA5024 極東航空の1番機 2000年末まで屋外展示
撮影1963/09 名古屋空港上空 高橋 豊
JA5024の形式・主な経歴 形 式 c/n 13194 C-47A-25-DK → DC3C-S1C3G 1944/05/03 USAAF 42-93298 1946/03/04 Philippine Airlines PI-C41 1956/11/26 JA5024登録 伊藤忠航空 (極東航空) 愛称大和 定置場東京国際空港
撮影は日本での最初期と思われる 新明和伊丹工場 提供関西航空史料研究会
大坂〜高知定期便 高知空港 撮影1956 かつお
高知空港 撮影1956 かつお
1957/12/01 極東航空と日ペリが合併 全日本空輸発足 全日本空輸 東京国際空港 撮影1958/03/24 戸田保紀
大和の文字がうっすらと残っている
全日空時代
機首ナンバー記入 エンジンスタート 大分空港 撮影1961/06 門上俊夫
広島空港(1961/09開港) 撮影1962/11 佐伯邦昭
遠足 大分空港 撮影1963/07 門上俊夫
航空祭 名古屋空港 撮影1963/10 高橋 豊
航空祭 名古屋空港 撮影1963/10 高橋 豊
1966/04/06 JA5024 抹消登録 1966/11 滋賀県 琵琶湖畔 紅葉パラダイスに屋外展示 琵琶湖遊覧船上から 撮影1966/11 濱野博司
会社の旅行でホテル紅葉に泊まり、翌日船に乗っていたら、ヘリコプターの爆音で見上げるとDC-3の胴体をぶら下げていました。運ばれるまでは新明和伊丹工場の駐車場に置いてありました。
撮影谷本勇 提供大津市歴史博物館
絵はがき 絵葉書
1968年頃の宣伝パンフレットから 出展:TAIYOO
1974/*/* 北海道深川市桜山レジャーランドに屋外展示 1973(昭和48)年7月に北海道深川市役所が関西の個人オーナーから購入し、1974(昭和49)年から市営桜山レジャーランドに展示しました。
上の絵葉書でわかるように、エンジン本体は取り外して円板でふさぎ、プロペラブレードはアルミニューム、スピナーは鉄の削り出し、カウリングには鉄板を巻いてそれらしく見せています。その改修作業は北海道へ海送される前に新明和工業のDC-3経験者の手で行なわれた模様です。後部ドアにはF-27フレンドシップ用のタラップを取り付け、客室を喫茶店にして営業しておりました。
展示初期の姿と思われる絵葉書です。 左の車体はモノレールの遊覧車で幼稚園児が手を振っています。 園内にはD-51蒸気機関車と客車もありました。2000(平成12)年夏の状態
展示27年後の姿で、喫茶店はかなり以前に廃止されており、全体に腐食が進んで脆くなっております。撮影:佐伯邦昭
このため、深川市は、同じように老朽化した蒸気機関車やメリーゴーランドなど一切の機械製品を撤去し、ここを自然公園とすることに決定しました。
JA5024については、深川市役所の撤去方針が伝わってからは個人や公共団体などいくつかの保存の動きもありましたが、いずれも費用の点でまとまらず、遂に2000年12月解体業者によって処分されました。 解体
2000/12 解体 スクラップとして処分 解体直前 撮影2000/11 MA
重機用の鉄板が敷かれる 撮影2000/12 MA
解体作業 撮影2000/12 MA
解体作業 撮影2000/12 MA
解体に際して、奇篤家が機首などを持ち帰り、 青森県の某所に保管しました。
撮影2001/05〜06 A
2014年現在の状況は不明