ショートブラザーズ アンド ハーランドSC-7-3-200
Short Brothers and Harland
SC-7は、イギリスのF.G.MIiles社が開発していた箱型の胴体と、フランスのAvions
Hurel-Dubois社が開発していた高アスペクト比の主翼理論を結びつけた多用途の軽輸送機H.D.M.106(計画のみ、下記参照)の製造権をイギリスのShort
Brothers and Harland Ltd.が買って再開発し、売り出したものです。
日本には3機しか輸入されませんでしたが、シリーズとしては、スカイバン(多用途型)とスカイライナー(旅客輸送型)を通じて153機生産され、更にショート330(136機)、ショート360(164機)へと発展し、まだ世界中で飛んでいます。
JA8793の経歴
1973/09/14 |
c/nSH1918 G-BBEZ |
1973/11/02 |
JA登録 安宅産業 定置場札幌飛行場 |
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横浜航空へリース |
1974/11 |
日本近距離航空が横浜航空を吸収 (日本近距離航空は74年3月12日設立) |
1977/08/03 |
エーシー産業 (安宅産業の清算会社) |
1979/03/09 |
売却のためリース契約解除 日本近距離航空
に名義変更 |
1979 |
日本航空機輸送により丘珠から調布へフェリー (坂崎充著「惜別!YS-11」より) |
1979/03/09 |
抹消登録 |
1979/03/15 |
マレーシアへ売却 9M-AXM |
1973国際航空宇宙ショ―に出展されたG-BBEZ
撮影 1973/10/06 入間 JA8793に書き替える直前の展示です
提供 かかし
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撮影 PAPPY
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当時の安宅産業の広告
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JA8793時代の写真
撮影1975年仙台空港 戸田保紀
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JA8793は安宅産業で登録されましたが、この写真が写された後に北海道内で不定期路線を運航していた横浜航空へリースされます。(下記)
JA8793の横浜航空時代 (情報提供 なすさん)
航空ジャーナル「世界の民間機1975」から
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尾翼の横浜航空マーク
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横浜航空 ― 丘珠空港をベースに紋別空港や稚内空港へ不定期便を運行
1974年11月日本近距離航空に吸収合併
その吸収に併せてリース契約も日本近距離航空
に引き継がれましたが、同社は1974年8月にツインオッター
による北海道各線と新潟(佐渡)路線の免許を得て運行していたので、本機を使うことはなく、1979年3月にマレーシアへ売却されるまで約5年間丘珠空港に
置かれていました。
その売却に当たって、調布で整備するために丘珠から仙台経由でフェリーした話が坂崎充著「惜別!YS-11」の91〜93ページに載っています。
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