伝説の時代から現代まで 航空史抜き書き   航空歴史館 落穂拾い目次

航空歴史館その他内外の航空史など 落穂拾い 

 

   短期間の日本駐留 コンベアF-102
 

 

 にがうり


 1960(昭和35)年9月18日日本の航空50周年記念 航空ページェントに展示された板付基地の 第68要撃戦闘中隊コンベア F-102A デルタ ダガー


左は、1962(昭和37)年の横田基地三軍統合記念日に展示された般若(デビル 40FIS)のマークのF-102A

 F-102は、試作機と実用機が同時に製作されるという期待の新鋭機でしたが、試作1号機はエンジン事故で失われ、また風洞試験に大きなミスが発見されて音速を超えないこともわかりました。

 このピンチを救ったのが、NASA開発のエーリア ルールであったことはたいへん有名な話です。コーラ瓶型のくびれた胴体、下向きの機首レドームをもつA型はヒューズ社の火器管制装置とあいまって素晴らしい性能を発揮し、主力迎撃戦闘機として米本土のほか西側諸国駐留のADC(防空軍団)に配備されました。
 日本での駐留は比較的短かく、その役割は航空自衛隊のロッキードF-104Jに事実上引き継がれました。

 

 

 

 

 

私も写していました  ハービー(ハービーの航空機写真館から)


 航空歴史館のF−102Aを見て久しぶりに自分のページを見ていたら、にがうりさんの撮られたFC384と同じ機体を撮っていました。
 ただ、41384ではなく、53384であり、尾翼マークも違います。その他にも新田原と板付の写真がありましたので添付します。板付ではアラートハンガーやドラッグシュートで着陸するF−102に驚いたのを記憶しています。

1964年横田基地三軍統合記念日 PACAFマークに変わっている
(注 PACAFの全戦闘機部隊が独自マークを消してPACAFマークになった 在日アメリカ空軍機写真集より)


 


1962年ごろ新田原航空祭に来たTF-102A


1961年8月 板付基地にて

板付基地の68thFISのF-102A 

      
 

68th Fighter Intercepter Sq.のアラートハンガーとF-102A

     
 

16thFISのTF-102Aと岩国のTF-9Jクーガー(147385 SZ-1)