まえがき 赤塚 薫
1959年4月10日“皇太子ご成婚パレード’ いままでの半世紀を振り返って、国民からこれほど熱狂的に歓迎されたパレードはありません。沿道には53万人の見物人、テレビ局各社による中継の視聴者は200万人を突破し、ラジオ中継を含めると、ほとんどの国民がこのパレードを見たり聞いていたりしています。私も当時小学6年生でしたが、我家の真空管式ラジオでその模様を聞いておりました。
そんな中、われらの先輩、中川安正さんは何と‘‘厚木’’に行っていたのです。
実は、それには訳があり、厚木に居る海軍機を集めて、皇太子ご成婚の「祝賀飛行」がなされるという情報を得て、飛行場へ駆けつけたということです。
どこを、どう飛んだかは不明ですが、かくして祝賀飛行は実際に行われました。
今回の「チェッカーテイル4」誌上で、ぜひともこの飛行に関する記事を掲載したかったのですが、飛行の話を初めて伺ってから2年間、この事実が記載された資料を探しに探しましたが、ご成婚の祝賀飛行に関する文書、記録はまったく見当たりませんでした。
そこで、改めて中川さんから、そのときの状況を語っていただきましたので、ここに紹介いたします。
撮り逃がしの記 中川安正
叔父が厚木のパイロット食堂に勤めており(調理師)、給油部隊の人たちが『我々もやるベー』と、ご成婚当日、4月10日に祝賀飛行をすることを打ち合わせていたのを耳にし、そのことを叔父から聞いて厚木に出かけました。
当日は、早朝まで雨が残っていたので、いくらか家を出るのが遅くなってしまい、半信半疑で大和駅を降りて、呑気に歩いていたところ、麦畑に到着寸前、一回目の編隊が通過してガックリ。
急いで滑走路東側の端へ駈けて行き、撮影地点まで着くと、右側に位置したF3Hデモンからもの凄く燃料が吹き出しており、デモンのみ急旋回して着陸。それを撮った際、頭から燃料をモロに浴びてしまいました。
そのあと2時間以上編隊は戻ってこず、静かになってしまったので、崖を下りたところにある小川で、顔を洗ったり、油を落としていたところ、編隊が戻ってきてブレーク、またまたガックリ。
静かになっていたのは、デモンがトラブルで緊急着陸し、ランウェイを一時間鎖していたのが原因だったようです。その間、ほかの機体は千葉の白井飛行場(現在の下絵基地)に着陸していたと後日叔父から聞きました。
困ったのは帰りの電車の申で、頭から被った燃料のにおいが車内に漂い、自分のそばから乗客が次々と離れていったことでした。
CHECKER TAIL 4 在日アメリカ海軍機写真集T48に掲載されております
ノースアメリカンAJ−2Pサヴェージ(VAP-61/SS10/129123)も、そのときの“降り”を撮ったものですが、たとえ小さくても編隊中の写真をひとコマでも撮れていればと、つくづく後悔しております。
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AGC
CHECKER TAIL4 在日アメリカ海軍機集T48より
質問 赤塚 薫
公式な祝賀飛行でしたら、どこかに文書が残っているはずですが、簡単に見つからないということは、どうやら非公式での飛行だったようです。
ただ、もし、この編隊が皇居前・二重橋の上空を飛んでいたらと考えますと、ヒコーキフアンと子供は大喜びですが、一般の人たちはこの祝賀飛行を歓迎したかどうか・・・。
『パレードの馬車入れ込み・サヴエージを先頭にしたX字編隊』
こんな写真がもし有ったとしたら、考えただけでもゾクッとしてしまいます。
※この祝賀飛行に関して、おわかりになられる方がおられましたらご教示ください。