伝説の時代から現代まで 航空史抜き書き

航空歴史館 

 

一錢五厘の記念スタンプ時代

日満航空郵便連絡と内地台湾間郵便試験飛行の記念スタンプ

おまけ フォッカー社の絵皿と模型

 

提供りゅうたろう

日満航空郵便連絡記念スタンプ

絵葉書シート フォッカー スーパー ユニバーサル J-BASO 日本航空輸送
(拡大)博多局 1932(昭和7)年11月3日 スタンプの旅客機はフォッカー スーパー ユニバーサル J-BBEC 日本航空輸送 旗は日の丸と五族協和の満州国旗

 

絵葉書シート 富士山とフォッカー スーパー ユニバーサル

(拡大)東京中央局 1932(昭和7)年11月3日 

解説

 1932(昭和7)年9月26日設立された満洲航空株式会社は、同年11月3日大連と新義州から満洲国奉天などを結ぶ路線を開設しました。当時関東州大連と朝鮮新義州はいずれも日本領なので、日満連絡になるわけです。大連と新義州までは日本航空輸送が東京から福岡経由でスーパーユニバーサルを運行していました。

 郵便連絡とありますが、必ずしも郵便のみではないので、郵政独自のスタンプなのかもしれません。

 

 

内地台湾間郵便試験飛行記念絵葉書とスタンプ

淡水局と台北局から博多局へ局留めで送った絵葉書 クレーン吊り下げの航空機はドルニエ ワール飛行艇(日本航空輸送)と思われる

(拡大)1931(昭和6)年10月8日 台湾淡水局 スタンプ内の航空機はフォッカー スーパー ユニバーサル
(拡大)1931(昭和6)年10月9日 台湾台北局

解説

 日本航空協会発行の航空宇宙の20世紀年史(CD版)その他手持ちの資料には、1931年に日本と台湾を結ぶ郵便飛行のテストをしたという記録は見当たりませんので、これは新しい史実の発掘になるのかもしれません。

 

おまけ

1 上の絵葉書発行の時期に日本航空輸送株式会社がフォッカーを使っていた証拠 HSC−Mさんから

 

 1991年に、フォッカー60の尾翼を製作していた富士重工業に対して、フォッカー旅客機輸入60年を記念してフォッカー社が贈ってきた絵皿だそうです。細部まで緻密に描かれた素晴らしい焼物で す。、

  1991年をさかのぼる60年前の1929(昭和4)年、創立間もない日本航空輸送株式会社は、長距離用としてここに書かれている3発のフォッカーF-7b/3mを10機、短距離用に単発のフォッカー スーパーユニバーサルを6機輸入しました。後者は、以後中島製ジュピター420馬力エンジンを搭載する国産機として生産されました。

6:45追記:1991年をさかのぼる60年前の1929(昭和4)年というのは数字が合いませんでした。60周年なら1931(昭和6)年です 。

 

2 フォッカー旅客機に関連して かつおさんから

 このところ昭和のフォッカー旅客機の話題が続き、見事なお宝(絵皿)まで出てきましたね。個人宅で死蔵同然のものが一般公開される、まさにヒコーキ雲の面目躍如です。

 私もフォッカー・スーパーユニバーサルは懐かしいです。戦前の高知〜大阪は気象条件さへ良ければ毎日この水上機型が海岸線伝いにのんびり飛んでおり、我が家周辺上空が経路にあたり、爆音が聞こえると飛び出して見 ていました。色は 模型のF-7b/3mと同じで、機首金属部は無塗装でした。
フォッカーF-7b/3m 1/72 プラスティックモデル 製作 かつお
 
 下のスーパーユニバーサルは、友人が製作したもので何とペーパークラフトの1/48です。長い排気管はプラ製ストローだそうです。この人は相当のご高齢ですが、図面さえあれば飛行機なら何でも作るというすごい才能の持ち主です。資料はかなり持っています。いろんな人が居ますねー。
中島フォッカー スーパーユニバーサル  1/48 ペーパークラフト