4 新妻東一さんに再会
引揚後、昭和58年1月7日の朝日テレビを見ていましたら、見覚えのあるパイロットがアクロバットをしているではありませんか。高崎にいる姉もすぐに電話してきて「新妻さんでは」と言います。
テレビ局に問合せの電話を入れたところ新妻東一さんに間違いありません、今は埼玉県桶川市のホンダ飛行場におられますとのことです。これには驚きました。
私の住む北本市は桶川市の隣です。ホンダエアポートに着陸する小型機は我が家の上を飛んで飛行場に向かいます。車で15分くらいです。文官屯に居た時と同じようなものです。
昭和58年1月23日の日曜日にホンダ飛行場にて終戦以来38年ぶりに新妻東一さんと感激の再会をしました。「三十八年目の再会に 桜井清様 ヒコーキ野郎 新妻東一」の色紙は櫻井家の家宝です。
その後、満洲飛行場の写真を差し上げましたらとても喜んでくださり、後に焼き増しした分をもって朝鮮に帰っておられる矢田少尉のところへ行かれました。「体の具合がとても悪かったが涙を流して喜んでくれた」ということでした。
昭和59年7月には、東京のタカラホテルで開かれた文官屯会にお招きして講演をしていただきました。
5 飛行機乗りと俳優と
新妻東一さんは、戦後は自衛隊機のテストパイロットとして活躍し、その経験を活かしてアクロバット飛行に挑戦されたものです。
愛機はピッツS-2Aというアメリカ製の複葉の曲技専用機で、戦闘機並の運動に耐えられる強度があります。新妻さんは体重の何倍もの圧力を受け失神寸前になりながらも軽快で華麗な演技を見せてくれていました。
また、新妻さんはパイロットのほかに劇団300に所属する俳優東銀之介としても知られています。
昭和62年4月からNHK朝の連続テレビ小説「チョッちゃん」に出演し、チョッちゃん母子が新妻さんを通じて異文化に触れていく名場面を覚えている方は多いでしょう。
また、テレビ東京のドラマ「ぼくが医者をやめた理由」で阿部寛、萩原流行、浅田美代子さんなどとの共演もありました。
新妻さんが亡くなったのは平成9年11月16日です。翌年2月東京青山苑に埋葬されました。
春日中尉の体当たりを目撃した三谷さんも16年5月に逝去されました。
奉天一中「楡の実」は新妻さんが亡くなる2年前に発刊されています。私が早く気がついていれば、ご存命の方々にいろいろとお話しが聞けたのにと無念の気持ちでいっぱいです。
しかし、時代の大きな流れの中で満洲国軍第二飛行隊やホンダ飛行場で新妻さんをはじめ多くのヒコーキ野郎と接してきた因縁は、私にとって終生忘れ得ぬものとなりました。
6 追 記
もちろんヒコーキ大好き人間の佐伯邦昭さんにも新妻さんを紹介しました。
写真は昭和62年5月5日岩国基地で行われた日米フレンドシップデーで佐伯夫妻とのショットにサインをいただいたものです。
1-2 アクロバット飛行を開拓した二人の思い出 新妻東一とロック岩崎もご覧ください