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航空歴史館

 

満州国軍第二飛行隊と新妻東一さんの思い出
 

埼玉県北本市 櫻井 清

 蘭花特別攻撃隊の歌 楽譜付き

文官屯とは旧満州奉天市郊外の集落の地名で、旧関東軍が建設した南満造兵廠の官舎に居住していた日本人が引揚後文官屯会を組織しました 以下の記事と写真は文官屯会会報 懐かしのぶんかんとんから転載したもので、写真は櫻井清さん提供です 

 

1 はじめに

懐かしのぶんかんとんに何か書こうと奉天一中創立七十五回文集「楡の実」(平成75月版)を繰ってみました。読み進むうちに9回生の三谷勝正さんの「青春の満洲」や23回生(関勝さん達と同級)の小野寺和夫さんの「蘭花特別攻撃隊」などから満州での飛行士達とのお付き合い、またつい先年まで親しくしていただいていた新妻東一さんとの思い出が強烈に蘇ってきました。

2 第二飛行隊

文官屯の西方にあった飛行場(満洲国軍第二飛行隊)に着陸する飛行機は、奉天方面から来て左に旋回して松並町の上から降下していました。

毎日それを眺めながら、文官屯国民学校6年であった私は遂に意を決して、昭和18年の秋に飛行場へ遊びに行きました。近道の畠を横切って行くと、高粱が背丈よりも高く、自分がどこに居るのかわからず、とても不安を感じたのです。

最初に行ったときは、門衛で週番将校に住所・氏名・年齢・来訪目的を述べました。週番将校は矢田少尉(朝鮮の方)で918部隊のことを知っていて隊の中に入れてくれて、多くの将校の方に逢わせてくださいました。(注 918部隊=南満造兵廠の管理部隊)

外人の顔をした新妻(にいづま)中尉、酒を飲むとすぐ日本刀を抜く杉本中尉、温厚な阿知波中尉、中山中尉、アメリカ生まれの二世パイロット本行少尉は少年航空兵出身で操縦が荒く、九七式戦闘機を1機つぶしていますが、英語ぺらぺらなのでB29の捕虜の通訳もしました。引揚後羽田の管制官として仕事をしていたと新妻さんが話していました。

私の家にもときどき中山中尉、矢田少尉、本行少尉らが遊びに来られ、母が赤飯やおはぎをつくってくれました。

(現千木良操 浪速高女16年卒)も友人たちを連れて飛行場へ遊びに行ったりしていました。



 

 九七式戦闘機の翼の下で談笑しているのは、右から姉、本行少尉、姉の友人の宮田姉弟、私です。

  3 特攻機で散った春日中尉

奉天でも特攻隊が編成され、蘭花特別攻撃隊と命名されました。写真の尾翼に描いてあるマークは蘭花特攻隊のものであったかもしれません。

春日園生中尉は細身の美男子で、サングラスと週番将校のたすきがとても似合う無口な将校でした。昭和19127日、奉天空襲に際してB-29に体当たり撃墜して自らも戦死されました。その時の私のショックはとてもつらい思い出です。体当たりした九七戦が飛行場に運ばれ隊の方に説明を受けましたが、計器板に肉片がめりこんでいました。

 「楡の実」の回想記には、三谷勝正さんが満州国陸軍少校(少佐)として奉天の于洪屯飛行場から西原少尉、松本上校、春日中尉の体当りを目撃したときの状況が述べられています。また、小野寺和夫さんは蘭花特別攻撃隊顛末を書いておられます。

 

4 新妻東一さんに再会

引揚後、昭和5817日の朝日テレビを見ていましたら、見覚えのあるパイロットがアクロバットをしているではありませんか。高崎にいる姉もすぐに電話してきて「新妻さんでは」と言います。

テレビ局に問合せの電話を入れたところ新妻東一さんに間違いありません、今は埼玉県桶川市のホンダ飛行場におられますとのことです。これには驚きました。

私の住む北本市は桶川市の隣です。ホンダエアポートに着陸する小型機は我が家の上を飛んで飛行場に向かいます。車で15分くらいです。文官屯に居た時と同じようなものです。

昭和58年1月23日の日曜日にホンダ飛行場にて終戦以来38年ぶりに新妻東一さんと感激の再会をしました。「三十八年目の再会に 桜井清様 ヒコーキ野郎 新妻東一」の色紙は櫻井家の家宝です。

その後、満洲飛行場の写真を差し上げましたらとても喜んでくださり、後に焼き増しした分をもって朝鮮に帰っておられる矢田少尉のところへ行かれました。「体の具合がとても悪かったが涙を流して喜んでくれた」ということでした。

 昭和597月には、東京のタカラホテルで開かれた文官屯会にお招きして講演をしていただきました。


  

 

5 飛行機乗りと俳優と

新妻東一さんは、戦後は自衛隊機のテストパイロットとして活躍し、その経験を活かしてアクロバット飛行に挑戦されたものです。

愛機はピッツS-2Aというアメリカ製の複葉の曲技専用機で、戦闘機並の運動に耐えられる強度があります。新妻さんは体重の何倍もの圧力を受け失神寸前になりながらも軽快で華麗な演技を見せてくれていました。

また、新妻さんはパイロットのほかに劇団300に所属する俳優東銀之介としても知られています。

昭和624月からNHK朝の連続テレビ小説「チョッちゃん」に出演し、チョッちゃん母子が新妻さんを通じて異文化に触れていく名場面を覚えている方は多いでしょう。

 

また、テレビ東京のドラマ「ぼくが医者をやめた理由」で阿部寛、萩原流行、浅田美代子さんなどとの共演もありました。

新妻さんが亡くなったのは平成91116日です。翌年2月東京青山苑に埋葬されました。

春日中尉の体当たりを目撃した三谷さんも165月に逝去されました。

奉天一中「楡の実」は新妻さんが亡くなる2年前に発刊されています。私が早く気がついていれば、ご存命の方々にいろいろとお話しが聞けたのにと無念の気持ちでいっぱいです。

しかし、時代の大きな流れの中で満洲国軍第二飛行隊やホンダ飛行場で新妻さんをはじめ多くのヒコーキ野郎と接してきた因縁は、私にとって終生忘れ得ぬものとなりました。 


6 追 記

もちろんヒコーキ大好き人間の佐伯邦昭さんにも新妻さんを紹介しました。

写真は昭和6255日岩国基地で行われた日米フレンドシップデーで佐伯夫妻とのショットにサインをいただいたものです。




1-2 アクロバット飛行を開拓した二人の思い出 新妻東一とロック岩崎もご覧ください

櫻井さんの記事を読んで


 新妻東一さんについて    滝口厳太郎

 懐かしのぶんかんとんで新妻東一さんのお話懐かしく拝読いたしました。

 私が新妻東一さん(当時1尉)と始めてであったのは昭和31年11月に松島の第2操縦学校に赴任直後でした。

 私は米軍の第1気象団第20気象中隊第19分遣隊にOJT(実務訓練)について直後のことでした。初めは米軍のパイロットが自衛隊の服を着てからかっているのかなと思っていると、英語はそれほどでないのに日本語は江戸っ子以上のべランメーです。後から軍官学校出身の白系露人と聞きました。

 教育部兼務の時のパイロット学生への話し方などは、まさに落語を聴いているより面白いのです。

 その後、第2操縦学校が宇都宮に移転と同時に我々も移動し、そこで宇都宮気象隊が独立しましたが、気象教官として、第2操縦学校兼務の形で、教育部では教官として一緒に勤務しました。

 当時飛行場のあるところは交通が不便で、バイクがはやりだした頃です。新妻さんは無免許運転を警察官に捕まり、パイロットのグリーンカードを見せたところ、これでは具合が悪いのでバイクの免許をとってくださいと説諭で済んだそうです。当時はそんなことでお目こぼしもあったのです。

 宇都宮からは岐阜の実験航空隊に移りタンデムの練習機バンパイヤーなどを操縦していました。

 退職後、池袋の駅ビルの中で、奥様の妹さんが飲み屋の営業を始め、お店で何度か出会ったことがあります。最後に会ったのは、入間の航空祭でピッツスペシャルの2機編隊のアクロバットを見せてもらいました。多分70歳近くになっていたのではないでしょうか、横浜で外国語学校を経営していた新妻さんの妹さんと、そのお家族(ご主人は米国2世と息子)と一緒でした。
 東銀之助の時代は北海道のパンやの主人を演じた事を覚えています。


                                  (滝口さんは東京都町田市在住)

 

 

蘭花特別攻撃隊の歌 楽譜付き蘭花

蘭花特別攻撃隊の歌  佐伯邦昭


 春日中尉のB-29への体当たり攻撃 については地上からの目撃の如何にかかわらず、奉天の人々に強烈な印象を与えました。

  その印象を曲にしたのが蘭花特別攻撃隊の歌です。制作の詳しい経緯は不明であり、永らく忘れ去られていましたが、このたび、それを奉天放送局で合唱し電波に乗せた当 時の少女によって 蘇りました。ここに春日中尉らの62回忌にあたり、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲から発表いたします。

 蘇らせた少女は、当事、奉天彌生国民学校6年生の木瀬八重(今は宮下八重)さんです。

  奉天放送局での放送は昭和20年1月、合唱隊は同校5年生と6年生の選抜で、スタジオには応召前の青木光一さんもいました。

 まず、同校音楽担当の阿部先生のピアノ伴奏で作曲の米山正夫さんに聞いてもらい、本番の伴奏は、旅順師範出身の溝辺勝子先生でした。

 木瀬さんたちは、蘭花特別攻撃隊の体当たりがあった後、同校の女性教諭から「自分の従兄弟もそれで戦死しました」と聞かされ、粛然とした気持ちが、この歌が未だに頭から消え去らぬものとしているようです。


後 記

 この歌については、インターネット上でかなり検索してみましたが、軍歌集、作曲者や歌手サイトのどこにも見当たりませんでした。つまり、終戦とともに異国の地で忘れ去られたものとなり、楽譜と歌詞は、本邦初公開であると断言して差し支えないでしょう。

 なお、作曲は米山正夫氏ですが、作詞は不明です。一応米山氏の作詞としているのは、彼が作詞に堪能で美空ひばりの歌など多くの作詞作曲があることを手懸りとしました。

                                      佐伯邦昭

注 楽譜と歌詞は、文官屯会機関誌懐かしのぶんかんとん第7、8号から転載しました。使用に当たってはメール(dansa●hicat.ne.jp ●に@に変える)で許可を求めてください。


追記  佐伯邦昭

体当り日の訂正
 故春日少校の忌日、つまり体当り戦死の日を12月19日としていたのは、三谷勝正少佐(満洲国軍の少校)さんの目撃記事(奉天一中同窓会機関誌)によったものでしたが、さんぽんさんから提供の資料を当たった結果、12月7日が正しいことが分りました。よって次のとおり訂正します。

1944/12/191944/12/07

蘭花特別攻撃隊 九七戦 春日園夫中尉 1機撃墜 二階級特進

1944/12/21

蘭花特別攻撃隊 九七戦 西原盛雄少尉 1機撃墜 二階級特進

1944/12/21

一式戦 松本太平 撃墜され戦死 

 

他にも蘭花特別攻撃隊の歌 がありました

 さんぽんさん提供の満洲国軍刊行委員会編「満洲国軍(蘭星会1970年刊)」に上記とはまったく別の歌詞である『蘭花特別攻撃隊』、森繁久弥作詞金子某作曲『空に咲く』、『噫々 春日中尉』の3編が掲載されています。
 
 宮下さんが奉天放送局で歌ったものが本邦初公開であることは間違いないと思われますが、ほかにも蘭花特別攻撃隊の歌が公開されていることも新たに付記しておきます。