◆ 九四式四五〇馬力発動機は「寿」二型なのか、それとも「寿」五型なのか ◆
中島飛行機が製造した社内名称「NAH」発動機は海軍によって昭和6年12月に「寿」一型、「寿」二型として兵器に採用されています。両者の違いは「寿」一型は高度1500m用の過給器を装備し、「寿」二型は高度3000m用の過給器を装備している点です。
「寿」一型も「寿」二型も過給器を装備してはいますが、まだ減速装置は採用されず直結式となっています。過給器の装備と減速装置の非装備が「寿」一型、二型の特徴です。
昭和6年10月、「寿」二型に中島式(正歯車式)減速装置を装備した性能向上型が計画されます。これが中島飛行機の社内で「HS」と呼ばれ、海軍で「寿」五型と仮称された試作発動機で、海軍の九試単座戦闘機が最初に装備した発動機でもあります。
しかし九試単座戦闘機がその後に発動機換装を繰り返したことからもわかるように「寿」五型の試作は失敗に終り量産には移行していません。中島式(正歯車式)減速装置を装備した社内名称「HS」の試作一号機は昭和7年の9月28日に完成し、海軍から「寿」五型と仮称されます。中島飛行機は「HS」の三号機(昭和8年4月15日完成、5月22日航空廠納入)と六号機(昭和8年9月9日完成、昭和9年4月22日航空廠納入)を海軍に引き渡しています。
「HS」は七号機まで製作されていますが、その中の3基は中島飛行機から陸軍に納入されています。二号機(昭和8年3月22日完成、6月2日技研納入)、四号機(5月2日完成、5月15日技研納入)、五号機(5月25日完成、9月15日技研納入)は陸軍で審査を受けており、残る七号機には引渡の記録が無く一号機と同じく社内実験に用いられたと考えられます。
以上のことは海軍航空技術廠の「空技廠雑報第三六〇号」記載内容と附表によります。
九一式戦闘機二型の内容を伝える航秘第四一九号「九一式戦闘機構造要領改正ノ件上申」に昭和8年11月に「九四式四五〇馬力発動機」の減速式を審査終了したとあるのは、この「HS」二号機、四号機、五号機のことなのです。しかし同文書にあるように減速装置は不調で「HS」の特徴である中島式(正歯車式)減速装置は省略されます。
ここで「HS」は「寿」五型としてのスペックを失い、「寿」二型系の直結発動機に逆戻りすることになります。「寿」二型と略同型となった「HS」は陸軍の略号として「ハ一」と呼ばれ、昭和9年8月9日付陸普第四八一五号で「九四式四五〇馬力発動機」として制式制定されます。
「ハ一」の生産が昭和9年度から実施されたことは中島飛行機が終戦後に自主的に集成した資料の中で確認でき、昭和19年1月1日 陸軍航空本部技術部「航空兵器略号一覧表」には略号「ハ一」、九四式四五〇馬力発動機が「中島寿HS」に相当するものであるとの記載があります。
このような事情で「九一式戦闘機二型が「寿」二型を装備した」(注)というのは問題外の間違いですが、九一式戦闘機二型が装備した九四式四五〇馬力発動機は「寿」五型を原型としながらも実質的には「寿」二型系であったと評しても間違いとは言えないでしょう。
(佐伯注 寿二型を装備したとしているものは、秋本実著1961年出版協同刊「日本の戦闘機陸軍篇」P51及び野澤正著1963年出版協同刊「日本航空機総集中島編
」P46)