伝説の時代から現代まで 航空史抜き書き

 

航空歴史館 追加05/07/05

   

陸軍九四式四五〇馬力発動機について

 

投稿 BUN

 


図書室19九一式戦闘機について(中間報告) の紹介と感想から転記


 〜 その中で、私は九一式戦闘機のエンジン、一型は「ジュ」式450馬力、二型は九四式450馬力(類書は寿2型というのが多い)としてありますが、そこの詳しい解明を最も希望します。

その二型九四式450馬力についてBUNさんから次の投稿がありました。


◆ 九四式四五〇馬力発動機は「寿」二型なのか、それとも「寿」五型なのか ◆

  中島飛行機が製造した社内名称「NAH」発動機は海軍によって昭和612月に「寿」一型、「寿」二型として兵器に採用されています。両者の違いは「寿」一型は高度1500m用の過給器を装備し、「寿」二型は高度3000m用の過給器を装備している点です。

 「寿」一型も「寿」二型も過給器を装備してはいますが、まだ減速装置は採用されず直結式となっています。過給器の装備と減速装置の非装備が「寿」一型、二型の特徴です。

 昭和610月、「寿」二型に中島式(正歯車式)減速装置を装備した性能向上型が計画されます。これが中島飛行機の社内で「HS」と呼ばれ、海軍で「寿」五型と仮称された試作発動機で、海軍の九試単座戦闘機が最初に装備した発動機でもあります。

 しかし九試単座戦闘機がその後に発動機換装を繰り返したことからもわかるように「寿」五型の試作は失敗に終り量産には移行していません。中島式(正歯車式)減速装置を装備した社内名称「HS」の試作一号機は昭和7年の928日に完成し、海軍から「寿」五型と仮称されます。中島飛行機は「HS」の三号機(昭和8415日完成、522日航空廠納入)と六号機(昭和899日完成、昭和9422日航空廠納入)を海軍に引き渡しています。

 「HS」は七号機まで製作されていますが、その中の3基は中島飛行機から陸軍に納入されています。二号機(昭和8322日完成、62日技研納入)、四号機(52日完成、515日技研納入)、五号機(525日完成、915日技研納入)は陸軍で審査を受けており、残る七号機には引渡の記録が無く一号機と同じく社内実験に用いられたと考えられます。

 以上のことは海軍航空技術廠の「空技廠雑報第三六〇号」記載内容と附表によります。

 

 九一式戦闘機二型の内容を伝える航秘第四一九号「九一式戦闘機構造要領改正ノ件上申」に昭和811月に「九四式四五〇馬力発動機」の減速式を審査終了したとあるのは、この「HS」二号機、四号機、五号機のことなのです。しかし同文書にあるように減速装置は不調で「HS」の特徴である中島式(正歯車式)減速装置は省略されます。

 ここで「HS」は「寿」五型としてのスペックを失い、「寿」二型系の直結発動機に逆戻りすることになります。「寿」二型と略同型となった「HS」は陸軍の略号として「ハ一」と呼ばれ、昭和989日付陸普第四八一五号で「九四式四五〇馬力発動機」として制式制定されます。

 「ハ一」の生産が昭和9年度から実施されたことは中島飛行機が終戦後に自主的に集成した資料の中で確認でき、昭和1911日 陸軍航空本部技術部「航空兵器略号一覧表」には略号「ハ一」、九四式四五〇馬力発動機が「中島寿HS」に相当するものであるとの記載があります。

 このような事情で「九一式戦闘機二型が「寿」二型を装備した」(注)というのは問題外の間違いですが、九一式戦闘機二型が装備した九四式四五〇馬力発動機は「寿」五型を原型としながらも実質的には「寿」二型系であったと評しても間違いとは言えないでしょう。

 

(佐伯注 寿二型を装備したとしているものは、秋本実著1961年出版協同刊「日本の戦闘機陸軍篇」P51及び野澤正著1963年出版協同刊「日本航空機総集中島編 」P46)

 

上を読んで佐伯から質問


 ちょっと気になる点をお尋ねします。

@ 1990年に日本航空学術史編集委員会が発行した「日本航空学術史」によると、附録第1表陸軍機要目に次の記述があります

キ-2 63式双軽爆T型U型ジュピター-450HP(ハー1)

 次に、附録第3表発動機要目に次の記述があります

中島94式550HP(ハ 8)

A それから、中島式(正歯車式)というのはどんな形式だったのでしょうか。遊星の平歯車か傘歯車かでしょうか。寿2型改2には既にファルマンの遊星をつけているとの記録があるので、寿5型で失敗して直結型にしたというのが、何のことかよく分かりませんね。
 

BUNさんから答え

@について

 日本航空学術史は大変貴重な資料ですし、その附表は丹念に製作されたものだと思います。しかし、この件については間違いがあります。
 特に付録第1表の発動機名は不正確なものが目立ちます。陸軍名称と統一名称の区別もついていない混乱した内容ですがまだ制式名称や略号の研究がなされていない時代の出版物ですから仕方が無いと言えば確かにそうではあります。
 

 九三式双軽爆の発動機名も一型「ジュ式四五〇馬力」、二型「ハ8U、V」と書くべき所をあのように間違えているのです。

 もともと排気量から異なる別の発動機ですから陸軍制式の「ジュ式四五〇馬力」と「HS」が同じ略号を振られることはありません。
 陸軍航空本部の略号一覧表では略号のあるものは略号で記載され、略号の無いものは制式名称で記載されています。
 そこでは「ジュ式四五〇馬力」はそのまま「ジュ式四五〇馬力」とされ、「ハ1」とは区別されています。

 次に「ハ8」とは94式四五〇馬力ではなく、九四式五五〇馬力発動機のことです。つまり海軍の「光」相当です。


 寿のサブタイプは複雑で、
寿二型改二
寿二型改三
寿三型
と呼ばれた発動機はそれぞれ二つずつ在ります。

 寿二型改一は制式となりましたが、その後の寿二型改二、寿二型改三は不採用となり、寿三型は光発動機となって寿ではなくなり、一旦それらの名称は取り消されてしまいます。
 その後に寿二型改一に発生したクランク軸の強度不足問題からその改良型である新しい寿二型改二、寿二型改三が生まれているのです。

 海軍では便宜的に旧寿二型改ニ、旧寿三型等と区別して呼んでいますが、話題に上げた寿五型とはこの旧名称の型式に連なる「五番目」の五型で、新シリーズの寿三型、寿四型(四○型)に続くものではないのです。

 寿一型から寿二型、旧寿二型改一、旧寿二型改二については航空学術史の附録第3表 発動機要目の中でも直結式となっています。

 寿にファルマン式減速装置が導入されたのは旧寿二型改三からで、旧寿二型改三Aが制式となった寿三型です。

 寿については、旧二型改二までは直結式、五型での中島式減速装置の実験失敗を経て旧寿二型改三でファルマン式を採用、実験の後に新しい寿三型として制式、という順序で開発が進んでいます。

 自分で書いていても混乱しそうですが、海軍自身もこの経緯の複雑さはさすがに誤解を招くと考えたらしく
空技廠雑報第三六〇号はそのあたりを丁寧に説明しています。
 お蔭で戦後の私達も事情を正確に知る事ができます。

Aについて

 中島式減速装置については詳しい資料がありません。これからの勉強の対象です。