ファンを獲得するプロとは
2003年10月17日に東大の鈴木真二教授から電話がありました。私が同氏の著書「ライトフライヤー号の謎」のなかの若干の問題点を質問したことに対するお答えでした。
内容はライトフライヤーのことではなく、終わりの方に書かれているダグラスDC-3に関することなので、二人のやりとりを公表するほどのものではありませんが、氏は、誤解を与えた記述については自己の考えをはっきり述べられ、またミスはミスとして率直に認められました。
大変に好感の持てる対応でした。
私より20歳も年下とはいえ日本を代表する先生からですから、これは鈴木ファンにならざるを得ないですよ。
私のような地方の一ヒコーキマニアからのこうしたアプローチに対する反応は様々です。
一番多いのは「無視」です。
平木国夫という作家がいますが、この人も無視が続くので回答を催促したら電話で怒鳴りつけ
られ、おまけに某団体への加入申請を妨害されたりしました。ひどいもんです。
それだけに、きちんと返事をいただくとうれしいですね。途端にファンになります。ごく最近では鳥養鶴雄さんも私がファンになった一人です。
そして、返事以上にうれしいのは、我々の機関紙の記事を読んで向うからお手紙を頂くことです。予想しなかっただけ喜びは倍加します。青木日出男さんがそうでした。全日空ボーイング727の東京湾墜落事故の際に、幸田恒弘さんと私が一生懸命に推理した事故原因の記事をみて手紙をくれたのです。
全日空ボーイング727東京湾墜落事故原因推理から得たもの
あの事故は、公式には原因不明とされたため、柳田邦男さんのように執念で追究した方もいますし(マッハの恐怖 フジ出版社)、非公式には、単純ミス説を含めていろいろとささやかれているようです。
幸田さんと私は、急な下降姿勢によるコンプレッサーストールではないかという仮説を立てました。 新聞雑誌の情報で右のようなグラフをつくり、管制からの呼びかけに応答がなくなった7時02〜03分の間に高度2800mくらいから落ちたとすると、コンプレッサーストールの可能性が最も高いと考えたのです。 アイドルパワーで降下中にあわてて増速引き起こしをしても、エンジンがそれに対応しない-つまりコンプレッサーストールを起こしているというわけです。 (図はHACニュース26より) |
|
これに対して、航空情報1966/4月号に関係記事を14ページにわたって執筆していた青木日出男さんが直筆で長文の感想とご自身の考えを述べてこられたのです。結論から言えばコンプレッサーストールは考えにくいということでしたが、技術的に懇切に説明され、同好の士が熱心に研究しているのを見て慶賀にたえないと添えてありました。
あの事故は、遠く離れた広島でも夜を徹して事故原因を語り合うようなインパクトがあったし、それにプロ作家が真面目に対応してくれたという意味で、私のヒコーキマニア人生に多大の影響をもたらしたわけであります。
(因みに、JALとANAがボーイング727でスピード競争をしたり、旧軍経験の機長が戦闘機みたいな降下をすることもなくなったそうです。)
なお、これは青木日出男さんが酣燈社に入る前のことで、HACニュース26を青木日出男さんに見せてくれたのは航空情報編集部の関川栄一郎さんか藤田勝弘さんだと思います。この二人もプロ側からの応援者でした。
地方の航空史発掘
1965年9月から1967年9月までHACニュースとヒコーキ雲に11回にわたって連載された「広島航空史・大正期」は広島県福山市のヒコーキマニアである井上博義さんの労作でした。
非常にこまめに資料を当たっており広島の民間と軍の航空事績がほぼ完全に網羅されています。私は常時参考文献のひとつに入れています。
こうした地域の航空史がヒコーキマニアの活動によって掘り起こされる意義はどのようなものか、次に掲げる小森郁雄さんからの手紙(1965/12/15付)が解説してくれます。
小森郁雄さんは航空朝日、科学朝日、世界の翼の記者編集者をつとめ、朝日新聞退社後は航空ジャーナリストとして航空史の普及に多大の貢献をされた方です。氏の日本航空史余話(航空情報)に興味あるテーマがたくさんあるので、それを引用させてほしいという私からの依頼に対する回答です。
(公表して具合のわるい内容ではないので全文を掲載します。赤傍線は佐伯がひきました)
今読み返してみても、同じ土俵に立って互いに正しい航空史を記録していこうじゃないかという気持ちがひしひしと伝わってきます。
ヒコーキを探求する情熱にかけてはプロもアマチュアも変わりはなく、ただ違うのは、それによってお金を儲けるかどうかだけです。今回の表題に「プロ側からの応援」とつけたのは、プロのアマチュアに対する姿勢と、その姿勢如何によって、お互いの利益に大きな差が出てくるという私の経験を披露したいためでした。
一口にプロという言葉でくくってしまいましたが、ジャーナリストと出版社だけではありません。私は、各地の博物館、史料館、航空会社、国土交通省、自衛隊、海上保安庁、空港事務所、都道府県市町村役場、学校、商工会議所、商工会などなど、ヒコーキ雲と航空史探検博物館に関連するたくさんの個人と団体にアプローチしてきました。
統計こそとっておりませんが、およそ7割は返事なし。催促すればそのまた何割かは応答がありますが、催促というのはする方も気分のいいものではなく、ためらっているうちに忘れてしまいます。
だから返事が来さえすれば原則として良しとします。内容にはこだわらない主義です。すくなくとも私の意思が相手に伝わっていることが確認できるからです。
プロの皆さん、どうかファンを大勢獲得するプロになってくださいな。
この項終わり
|