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航空歴史館 図書室 掲載12/03/10

 

マニアの緻密な観察眼が公刊書籍のミスを正した 

日航DC-4 N88844てんおう星の例

佐伯邦昭

 


 日本の初期登録航空機全集
6 JA6001〜JA6015 ダグラスDC-4の中に、次の経歴を載せています。

N88844→JA6005の経歴

1943 c/n3118 C-54 42-32943 CN88844
1951/11/02 N88844 ノースウエスト航空からウエットリースして就航 愛称てんおう星 
1952/10/24 ノースウエストから購入 JA6005登録 愛称十勝 定置場東京国際空港
1954/02〜06 日本航空整備株式会社でオーバーホール(大型機としては我が国で初めて)
1964/07/23 抹消登録 Ansett ANAへ売却

 ご覧のように、日本航空がノースウエスト航空からウエットリースし、てんおう星と名付けたDC-4をN88844としていますが、これを確定するには、或るマニアの緻密な観察眼があったからこそだという お話しを紹介しておきます。

  日本では、てんおう星のナンバーに二説ありました。

 
   A N93046
    
B
 N88844

・ まずA説は、次の図書です。

@ 1974年刊行 日本航空株式会社調査部編 日本航空20年史

A エアワールド1977年11月号 大谷内一夫 特集航空再開25年 日本の空の旅客機


B 1978年9月刊 航空ジャーナル特別増刊 AJ Custom ダグラス エアライナー 
                               十条正樹 日本航空におけるダグラス レシプロ旅客機中のリスト

 いずれもてんおう星をN93046としています。AとBは、@の日航社史を原典としているものと推定されます。


・ 次に
B説は、Air Britainの”Douglas DC-4”を原典とするものです。

C JAHS刊行 Jナンバー登録記号集 レシプロエンジン多発機 (Air BritainのDouglas DC-4の翻訳)

 これにはNC88844N88844となっています。

 権威あるエアブリテンの本ですからこっちを信用したいと思いながらも、日航調査部の資料を疑うのもどうかということで、マニアの間に迷いが生まれていました。

 

・ 解決編

 解決したのは、桑原 益さんでした。

 1979年のCONTRAILへこの疑問の投書が載ると、まず、DC-4のフリートリストで、DC-4の中にN93046なる番号がないことを突き止め、更に調査を進めていくうちに、Bの十条氏の記事の中に載っている写真を発見したのです。

D 1978年9月刊 航空ジャーナル特別増刊 AJ Custom ダグラス エアライナー 
                               十条正樹 日本航空におけるダグラス レシプロ旅客機中の写真
 

 説明にあるように、右の銘板は、グレン L マーチン社でC-54から民間型のDC-4に改造された際のもので、DOUGLAS 3118は製造番号、NC88844は米国民間登録記号がNに変る前のNCナンバーであり、PCAの為に改造というCの資料と一致します。このことから、てんおう星はN88844と判断して間違いないだろうと彼は結論付けています。
     
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 同じ記事の中から間違いを正すという何とも皮肉なことですが、不鮮明な印刷写真からよくぞ読み取ったものよと、その虫眼鏡的観察眼に航空ジャーナルの藤田勝啓編集長も驚いたことでしょう。


・ 日航調査室は、なぜN88844N93046と間違えたのか

 桑原さんの調査で一件落着した後に、下郷松郎さんがCONTRAILに次のように寄稿してきました。

D CONTRAIL No.103  1980 SUMMER   NEWS & LETTERS欄

 つまり、マーチン2-0-2N93046は、日航がリースする予定のところ何らかの理由でキャンセルされた機体ではないかという仮説をたてています。

 そして、更に、笹野強一さんが、N93046の詳しい来歴を調べてリストをタイプしてくれました。

E CONTRAIL No.106 1981 SPRING   「N93046は日本に居なかったことを確定します」記事

 この中に、もちろんJALへリースしたという記録はありません。

 因みに、日本で飛んだマーチン2-0-2については、次のようにタイプしてあります。

N93041 Leased to "JAL" Nov-18-1951 until Oct-1952 as "Suisei"
N93043 Leased to "JAL" Oct-25-1951 as "Mokusei" crashed into Mt. Mihara on Apr-09-1952
N93049 Leased to "JAL" Oct-29-1951 until Oct-1952 as "Kinsei"
N93060 Leased to "JAL" Mar-03-1952 until Oct-1952 as "Dosei"
N93061 Leased to "JAL" Feb-23-1952 until Oct-1952 as "Kasei"


 日航調査部が20年史を作る時に調べた資料の中にマーチン2-0-2の予定としてN93046の記述があり、それをダグラスDC-4の1番機N88844と見間違えてリストに入れ、そのまま、まかり通ってしまったのかもしれません。編集員には同機を自社購入してJA6005で登録し、十勝号として運行した方の印象が強く残っていて、N93046について十分な推敲しなかったのだと思わざるをえません。

 それを、また受けしたエアワールドと航空ジャーナルの執筆者は、怠慢のそしりを免れませんね。

 それを正してくれた桑原益さん、フォローしてくれた下郷松郎さんと笹野強一さんに深い敬意を表したいと存じます。 御三人とも既に故人となられましたが、正しい航空史の発掘のためにもっと長生きしてほしかったと思わずにはいられません。
 

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