日本の初期登録航空機全集 6
JA6001〜JA6015 ダグラスDC-4の中に、次の経歴を載せています。
N88844→JA6005の経歴
1943 |
c/n3118 C-54 42-32943 CN88844 |
1951/11/02 |
N88844 ノースウエスト航空からウエットリースして就航 愛称てんおう星 |
1952/10/24 |
ノースウエストから購入 JA6005登録 愛称十勝 定置場東京国際空港 |
1954/02〜06 |
日本航空整備株式会社でオーバーホール(大型機としては我が国で初めて) |
1964/07/23 |
抹消登録 Ansett ANAへ売却 |
ご覧のように、日本航空がノースウエスト航空からウエットリースし、てんおう星と名付けたDC-4をN88844としていますが、これを確定するには、或るマニアの
N93046
N88844
・ まず
いずれもてんおう星をN93046としています。AとBは、@の日航社史を原典としているものと推定されます。
・ 次に
これにはNC88844→N88844となっています。
権威あるエアブリテンの本ですからこっちを信用したいと思いながらも、日航調査部の資料を疑うのもどうかということで、マニアの間に迷いが生まれていました。
・ 解決編
解決したのは、桑原 益さんでした。
1979年のCONTRAILへこの疑問の投書が載ると、まず、N93046
説明にあるように、右の銘板は、グレン L
マーチン社でC-54から民間型のDC-4に改造された際のもので、DOUGLAS
3118は製造番号、NC88844は米国民間登録記号がNに変る前のNCナンバーであり、PCAの為に改造というCの資料と一致します。このことから、てんおう星はN88844と判断して間違いないだろうと彼は結論付けています。
同じ記事の中から間違いを正すという何とも皮肉なことですが、不鮮明な印刷写真からよくぞ読み取ったものよと、その虫眼鏡的観察眼に航空ジャーナルの藤田勝啓編集長も驚いたことでしょう。
・ 日航調査室は、なぜN88844をN93046と間違えたのか
桑原さんの調査で一件落着した後に、下郷松郎さんが
つまり、マーチン2-0-2N93046は、日航がリースする予定のところ何らかの理由でキャンセルされた機体ではないかという仮説をたてています。
そして、更に、笹野強一さんが、N93046の詳しい来歴を調べてリストをタイプしてくれました。
この中に、もちろんJALへリースしたという記録はありません。
因みに、日本で飛んだマーチン2-0-2については、次のようにタイプしてあります。
N93041 Leased to "JAL" Nov-18-1951 until Oct-1952 as "Suisei"
N93043 Leased to "JAL" Oct-25-1951 as "Mokusei" crashed into Mt. Mihara on
Apr-09-1952
N93049 Leased to "JAL" Oct-29-1951 until Oct-1952 as "Kinsei"
N93060 Leased to "JAL" Mar-03-1952 until Oct-1952 as "Dosei"
N93061 Leased to "JAL" Feb-23-1952 until Oct-1952 as "Kasei"
日航調査部が20年史を作る時に調べた資料の中にマーチン2-0-2の予定としてN93046の記述があり、それをダグラスDC-4の1番機N88844と見間違えてリストに入れ、そのまま、まかり通ってしまったのかもしれません。編集員には同機を自社購入してJA6005で登録し、十勝号として運行した方の印象が強く残っていて、N93046について十分な推敲しなかったのだと思わざるをえません。
それを、また受けしたエアワールドと航空ジャーナルの執筆者は、怠慢のそしりを免れませんね。
それを正してくれた桑原益さん、フォローしてくれた下郷松郎さんと笹野強一さんに深い敬意を表したいと存じます。
御三人とも既に故人となられましたが、正しい航空史の発掘のためにもっと長生きしてほしかったと思わずにはいられません。
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