伝説の時代から現代まで 航空史抜き書き 北海道

標津郡中標津町 中標津空港

:現地に展示中のもの ×:過去のもの :現状不明

A1021 北海道 HOKKAIDO  標津郡中標津町  中標津空港          
    
    飛行場空撮 中標津空港
    木造の空港中標津空港ターミナルビル 
    中標津空港のDC3型ベンチ
    
航空歴史館 中標津飛行場開き
 
飛行場空撮 中標津空港

撮影2006/06/26 左の遠くに見えるのは知床半島の山並みで、右の海霧の中から頭をだすのは国後島の山です 

撮影2000冬


 

資料は北海道根室支庁発行パンフレットから  OKUBO

広大な根釧原野を見渡す素晴らしいロケーション

 新滑走路は、1989年に1200mで暫定供用開始、1990年に1800m暫定供用、現在は2000mで更に500mの延長が予定されています。この写真は、1800m時代の1992年ごろの撮影と思われます。

 

 中標津飛行場は1944(昭和19)年に海軍飛行場として旧滑走路が建設され、根室支庁資料によりますと、1956(昭和34)年から1962(昭和37)年までダグラスDC-3による中標津〜札幌線の不定期路線(北日本航空)が使っております。

 1965(昭和40)年に1200×30mの滑走路が整備されて第三種空港となり、以後北日本航空のコンベア 240、横浜航空のセスナ402、日本近距離航空のDHC-6、全日空のYS-11が就航しました。ジェット化にそなえて、写真のように1800×40mの新滑走路が建設され、1990(平成2)年からボーイング737が東京線に就航しました。

木造の空港ターミナルビル

 中標津空港のターミナルビルは、非常に珍しい木造です。この地域の木材集散地としての中標津町の特質を遺憾なく発揮しております。根室支庁発行のパンフレットには、これまた珍しい柱組みの写真も出ております。撮影年月日が入っているのがいいですね。

撮影1998/10/07  NAYER

   空港管理事務所への通路
  

このターミナルは日本テレビ系のドラマ「星の金貨」のロケでも使われ、酒井法子演じる主人公が結婚を約束した恋人を見送る時と、その帰りを待ちわびるシーンで使用され、2Fのレストランが架空の「美幌別空港のデッキ」としてドラマに登場します。レストランには酒井法子のサインが飾られています。(2008/07/20記 NAYER)

 

 中標津空港のDC3型ベンチ 撮影2003/06/03  TRON

 旧中標津空港の一部は現在「北海道立ゆめの森公園」の「翼とふれあいのゾーン」として整備され、旧滑走路の南側数百mは再舗装されてイベント広場になっています。その北西端付近にDC-3を模った飛行機ベンチがあり、その正面右側基礎部には旧中標津空港の由来を記した下のような銘板が目立たないように取り付けてありました。撮影2003/06/30

DC3型ベンチ設計者のことば 飯島 実

 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲に、私が設計した中標津空港のDC3型ベンチをご理解いただいているのを読んで感動いたしました。私は中標津町の計根別に移り住んだ飯島実と申します。航空局の所長として在職している当時に中標津町から依頼されて大急ぎで製図したものです。

 当時墓石のような記念碑を造ると聞き、それではいけないと、ご指摘のとおり、北日本航空のDC3型の写真を見ながら紙飛行機で有名な二宮康明さんのホワイトウイングスを基本に線を描きました。正確さよりも親しみやすさを大切にしました。当初は操縦席の窓にはアクリルブロックを組み込みたいと思っていたのですが、それは実現できませんでした。子どもたちが乗って、またいで遊べる構造にして、雪のことを考えて、主翼と尾翼にはわずかな傾斜をつけました。  (2005/11/29記 写真は飯島さんのホームページから拝借

飯島さんのホームページ
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Suzuran/8050/entaigou/aviation_history.htm

DC-3型ベンチ 2006年の状態 撮影2006/05/03  TRON

状態はやや傷んでいるという感じで、垂直尾翼のボルトが2本ほど脱落していました。



 DC-3型ベンチ 2024年の状態 撮影2024/06/01  TRON

前部は一部腐ってきており、リベットもあちこち脱落してきました。
 また、銘板も無くなっています。 過去、一時期は危険ということでトラロープで囲まれていましたが、 現在はそれもなく、ただ草生しているだけです・・・




 空港ターミナルビル1Fにあった子供用のジェット機型ベンチですが、階段の下に隠すように置いてありました。


 

 

航空歴史館 中標津飛行場開きに飛来  提供 飯島実


 中標津飛行場は、朝鮮戦争当時に米軍が不時着用飛行場として修理した旧海軍飛行場で、町民が再び整備して、1959年8月15日に飛行場開きを挙行し、北日本航空のJA5015ほかが記念に飛来しました。飯島流に表現すると『ほこり高き手づくり飛行場』のオープンです。

 北日本航空は、遊覧飛行の名目(実質的には旅客輸送)で行っていた丘珠との連絡を計根別から中標津に切り替え、10月には不定期免許を得て季節運航を開始しています。正式な運航は、1962年に1200mの滑走路による第三種空港となってからでした。

1959/08/15 中標津飛行場開き
影者は不明 所有者不明のアルバムの写真




横浜航空のセスナ170Bと陸上自衛隊LM-1


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