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写真で見る東京国際空港の歴史 History of Tokyo International Airport seen with a photograph

[60-1] 1960年  日本遊覧


 

 


 

3 日本遊覧航空  4 北日本航空   3

 日本遊覧航空

撮影1960/07/12 日本遊覧航空 デハビランドDH104-5A ダブ JA5046 天王星  戸田保紀




撮影1960/07/12 日本遊覧航空 セスナ170B JA3014  戸田保紀 右奥は消防署


撮影1960/07/17 日本遊覧航空 セスナ172 JA3108 戸田保紀

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4 北日本航空 ダグラスDC-3 JA5015(1号機)

撮影1960/04/04 北日本航空 ダグラスDC-3 JA5015 戸田保紀

 1959/12/15に買った2号機のJA5058のハワイ航空カラーに合わせて塗装替えをした時の姿と思われます。北日本航空は、2機のDC-3を揃えましたが、道内の飛行場整備の遅れにより、これから2年後の1962年9月にやっと定期航空免許が交付されたものの、経営は改善せず、1964年に日東、富士と合併するに至ります。   日本におけるダグラスDC-3 1951年以降の歴史JA5015 JA5058 参照

     車は初代トヨエースです。
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5 海上保安庁  6 海上自衛隊   5

5 海上保安庁

撮影1960/02/05 海上保安庁羽田航空基地 ビーチクラフトE18S JA5501 戸田保紀


6 海上自衛隊


 
撮影1960/02/05 海上自衛隊鹿屋教育航空隊 ダグラスR4D カ-9021  戸田保紀
                           日本におけるダグラスDC-3 1951年以降の歴史Japan Navy参照





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7 ローマオリンピック日本選手団の出発   7

7 ローマオリンピック 1960/08/25〜9/11

出発風景

撮影1960/08/12 ダグラスDC-7C LN-MOB SAS ET


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8 新聞社機 8 

8-1 毎日新聞社

撮影1960/04 毎日新聞 ビーチクラフトG50 JA5051 金星  戸田保紀



撮影1960/04 毎日新聞 パイパートリペーサー135 JA3089 レパス  戸田保紀
                                       (この年の12/15、羽田で大破しました)


8-2 朝日新聞社

撮影1960/04 朝日新聞 ビーチクラフトC-35 JA3088 天風  戸田保紀

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9 エルクーペ  10 セスナ310     9

9 珍しいエルクーペ

撮影1960/02/05 戸田保紀 詳しくは、航空歴史館 日本に来た2機のエルクーペに記述 

10 セスナ310Dのデモンストレーション

撮影1960/02/05 セスナ社1960年型モデル セスナ310D N67339T 戸田保紀




産経新聞のセスナ310B JA5041 はやぶさ と対峙する


産経新聞のセスナ310B JA5041 はやぶさ 尾翼に後退角がありません

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11-1 パンアメリカン航空のボーイング707 クローズアップ   11

撮影1960/02/05 パンアメリカン航空 ボーイング707-321 N718PA  以下戸田保紀

P&H JT-4A エンジン







11-2 パンアメリカン航空のマーキング変更

撮影1960/02/05  新マーキング


撮影1960/04 古いマーキング


11-3 ストラトクリッパー機 スクラップ前か? 1959/807/15 Bランに胴体着陸

撮影1960/02/05 N9034らしい



1

 

 

 

 

 

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12 エールフランスのスターライナー  12

撮影1960/02/05  エールフランス ロッキードL1049 F-BHBQ  戸田保紀

     
 
13 KLM ロイヤルダッチ航空     13

撮影1960/02/07 KLM ロッキードL1049 スターライナー  戸田保紀




撮影1960/02/07 KLM ダグラスDC-7C  戸田保紀

 

14 スリック航空のDC-6A    14

撮影1960/02/05 スリック航空 DC-6A N6813C  戸田保紀
             (ネットによると2010/08現在Northen Airwaysで働いています)


15 ブラジル レアル航空

撮影1960/09/18 航空50周年記念航空ページェントの日  
ロッキードL1049H  スーパーコンステレーション PP-YSC Twinbeech


16 ノースウェスト航空

撮影1960/08/29 ノースウエスト航空 ダグラスDC-7C N**296 Twinbeech

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16 カンタス航空

撮影1960/08/26 カンタス航空 ロッキードエレクトラ N**296 Twinbeech


17 カナディアンパシフィック航空

撮影1960/08/23 カナダ太平洋航空 ブリストル314 ブリタニア Twinbeech

 

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15  送迎・見学デッキ      15

 ラウンドハウスの上に万国旗がはためき、華やかな風景から、新ターミナルビルが定着した1960年前後の撮影と思われます。T55-2 東京国際空港ターミナルビル開館 とともにご覧ください

撮影 1960年前後と推定 北田尚夫


 拡大してみると、1955年の開館当時にあった右の一般見学入場口がなくなり、左の団体見学入場口に統合されています。




入場券 提供 Twinbeech

 

撮影1960/07/12 左端のダブから降りた客が到着ロビーへ向かう  戸田保紀 

撮影196007/12 盛夏の団体  戸田保紀








 クリスチャン ディオールが開発したAラインが日本の女性に大流行していました。最近の珍奇な女のスタイルが足元にも及ばない優雅なデザインにほれぼれします。それにしても和服のオバサンと手拭のジャパニーズスタイルのオジサン達は何の団体でしょうかね? 
                          

 

撮影1960/02/05 戸田保紀
   


日替わりメモ2011/09/14から

〇 東京国際空港ターミナルビル

 古い話しになりますが、経済成長が止まって税収が伸びなくなると決まって民間活力の活用という言葉が流行りました。近年は、指定管理者制度などと称して建設から管理まで一切を入札で決めたりするようになりました。

 1955年に完成した東京国際空港ターミナルビルは、戦後の大掛かりな民間活用の第一号でした。
 
 「世界にも類例の少ない純民間資本による空港ターミナルビル」東京国際空港ターミナルビル50年史は、米軍管理下の制約に泣かされて来た運輸省の自主独立のターミナルビルをつくりたいという強い欲求にも拘らず、予算要求をことごとく大蔵省につぶされたあげくの窮余の策として生まれたものです。

 本来、国が建設すべき空港事務所、管制塔、気象台、出入国検査施設、税関、検疫までを含めて一切を日本空港ビルデング株式会社に建設させて、あとで買い取る或いは賃借するという方式は、この羽田から始まったのであります。そして、その成功が、各地の飛行場に第三セクター方式のビルが生まれるモデルになったのです。

 予想もできない大量輸送時代に遭遇して既に初代ターミナルビルの姿はありませんが、当初の平面形は国際線の拡張を想定してのなかなか優れたものであったと思います。これは、開館7年後の拡張についてAviation Week誌が報じたものです。

 航空思想の普及を願うマニアサイドとしては、特に、オープン後5年間で見学者が1100万人を超えたという送迎・見学デッキの2階歩廊(400メートル)と3階航空教室は、今でもそのようなものがほしいなあと思わせるものがありますね。入場券販売と遊覧飛行受付のラウンドハウスは、大昔の羽田飛行場にあった待合室を想起させます。

 近年、警備を理由にして見学者を遠ざけようとする無粋な航空行政がまかり通っているだけに、機能や保安一辺倒の中にも、何か工夫がないものかとオールドマニアは思うのであります。

 

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