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富士T-1Aの2号機と3号機に関する疑問
TADY
BEARさんから小坂井町の国道1号線沿いにでんと構えている富士T-1Aの#803(前)と#802(後)合体メカの昨日の写真が送られてきました。大きな変化はなく、汚れてもいないので安心したのですが、改めてこの合体メカのことを調べていたら、かなり前に石手隆之さんから貰っていた稲荷山公園に展示中の#802の写真が出てきたのアップしました。展示中の最も古い姿です。
そこまでは、どうということはないのですが、調べていると新たな疑問も生まれました。
#803(前)と#802(後)合体そのものは、事情があって証拠を出すことはできませんが、確かな話です。ただ、次の伊藤電気工作所での会話と、それより以前に展示していた舘山寺温泉パルパルで写真を撮ったHornetさんの感想とが合わなくなってくるのです。
@ T-1A修理中??に出てくる「エンジニアの方 → これはね〜。半分ずつ違う所から運んできてくっつけたんですわ。 前半分は、どこだったかな?・・・忘れた・・後ろ半分は厚木の方から持ってきたな。確か・・」という会話は2004年のこと
A A452-32の写真に付してあった説明「舘山寺温泉パルパルで1988年8月27日に撮影したT-1A(95-5803)とH-19C(11-4718)です。展示の基礎のコンクリートがまだ新しそうです。H-19は塗装したばかりという印象でした。」とあり、伊藤電気工作所との間に16年の差があります。
16年前に#803と書かれた機体が前後完全な姿で写っているのに、伊藤電気工作所では厚木辺りで拾ってきた機体をつなぎ合わせたという、不思議な話です。更には、稲荷山公園の#502は、駅拡張工事のために2000年に撤去されたというのに、その後部胴体の合体メカが1988年に舘山寺温泉にあったという不思議???
早朝の眠たい頭では整理ができませんので、取り敢えず問題提起だけしておきます。