京都府目次 伝説の時代から現代まで 航空史抜き書き 

航空歴史館

八幡市 飛行神社
飛行神社の絵はがき
 昭和2年 叙勲の公式文書
ニシムラ商店

:現地に展示中のもの ×:過去のもの :現状不明

 
A5404 京都府 Kyouto Prefecture 八幡市 飛行神社
◎ 京都府八幡市 飛行神社の展示物 
1989 飛行原理発明
  二宮忠八翁が飛行神社を建立
1989/05/29 飛行原理発見百周年に当たり社殿等建替落慶 社主次男顕次郎氏 費用4億円

 八幡市は京都市の南西隣り、エジソンの電球に竹を供給したことで有名です。神社は京阪電車本線八幡市駅から徒歩5分のところにあります。

思い出 飛行神社の絵はがき  OKUBO

 


 飛行機にたふれし人材 
  神として國安かれと 
     いのるみやさこ 

  飛行神社奉仕 
        忠翁

 

日本最初の飛行諸神鎮座

京都八幡

財団法人飛行義會

 

 

 

 

 

 

 

 

 

貼紙(たとう袋表紙)




 

 二宮忠八看護卒は、徳川・日野の初飛行を遡ること20年、明治24年に自ら工夫考案したゴム(聴診器のゴム管)動力付きプロペラのカラス型模型飛行器の飛行に成功し、26年には玉虫型飛行器を設計しましたが、当時の陸軍上層部に相手にされませんでした。

 彼は身長が足りないので本科兵になれず1等兵止まりの看護卒でした。もし、本科兵として下士官あたりまで出世していたら、日野少尉や田中館教授らの知遇を得てライト兄弟よりも先に動力飛行機を成功させていたかもしれません。

 随分後になって陸軍が彼の功績を認めましたが、それこそ後の祭りです。
 「飛行神社境内の飛行記念館に二宮飛行記念及び光栄品」に後の祭りで各界が顕彰してあげた証拠を見ることができます。中央に輝いている銀色の瓶は逓信大臣から贈られた銀瓶1対と思われます。その他歴史的なお宝らしいものがたくさん見えます。この記念館は今でもあるのでしょうか。

 なお、玉虫型飛行器の提案を却下した一人の長岡外史閣下が、後年、忠八翁に謝罪しています 。神社の縣額も揮毫して差し上げているのですね。後の祭りの報いは大きいです。

 国立公文書館所蔵 撮影2017/05/30 翔べ日本の翼展にて 佐伯邦昭

                          

デハビランド式油圧プロペラ (デハビランド104ダブに搭載) 撮影2002/10/13  HAWK


 



 にがうりさんから : これはダブのプロペラです。前縁デアイサーブーツの貼られてる向きから回転方向は一目瞭然で3枚ペラはダブ用です。大きさもそうです。ただプロペラ・スピナーがあるので普通はプロペラ・ボスが見えません。
 米国製エンジンと英国製ジプシークイーンは回転方向が逆なのですぐ判ります。前から見てDC-3などは反時計回り、ダブ、ヘロンは時計回りです。

 参考に塩原ファミリー牧場のダブ写真(右)を送ります。

零戦の栄エンジンとプロペラ 撮影2002/10/13  HAWK
 1983/10に大阪湾で魚網にかかりました

  ヒコーキ雲 零式艦上戦闘機総目次
 

石川島播磨J-79-IHI-11Aエンジン(F-104J搭載) 撮影2002/10/13  HAWK
絵馬 撮影2002/10/13  HAWK

 二宮忠八翁が大日本製薬株式会社職工として働きながら、京都府八幡市で飛行機開発に努めているうちにライト兄弟の初飛行を知り、涙とともに開発を断念した土地に、自ら祭主となって建立したのが飛行神社です。(同神社由緒略記から)

 奉納されたたくさんの絵馬(プライバシー配慮でぼかしました)には、パイロット、技師、客室乗務員などの受験合格祈願とともに、現職の方が飛行の安全を祈っているものもあります。二重三重のセイフティ システムがあっても、最後の最後は目をつむって神に祈るしかないこの世界、航空史探検博物館も、神社のワッペンを掲載して二礼二拍いたします。

 

A5405 京都府 Kyouto Prefecture 八幡市 ニシムラ商店
◎ 京都府八幡市 ニシムラ商店の川崎ベル47G-2 JA7100 撮影2003/01  TAIYOO

 JA7100の経歴

1961/ c/n205
1961/06/22 JA登録  ▼東北電力 定置場仙台ヘリポート
1972/03/28  ▼朝日ヘリコプター 定置場所沢ヘリポート
1974/06/03  ▼日本ヘリコプターサービス 定置場 武蔵航空加須基地
1981/11/09  ▼エビエーションサービス 定置場武蔵航空加須基地
1983/04/04 抹消登録 
  八幡市ニシムラ商店に展示