大阪府目次 大阪国際空港総目次 伝説の時代から現代まで 航空史抜き書き
1962年 大阪国際空港にて にがうり
日東航空は、伊丹から新居浜、徳島、白浜、串本、志摩などにG-73マラードやG-44スーパー・ウイジョンを飛ばしていました。このほかにもDHC-3オッターのフロート・タイプ水陸両用機も使って いたし、中日本航空が名古屋からグラマンG-21グースを飛ばしたりしていて、水上機はかなり活躍していました。 しかし、 海上航空は何かと制約や障害も多いし、少数機では運行コストもかさみますから、各地の空港整備がすすむとともに 減少していき、日本国内航空として合併後まもなく全廃になりました。いま思えば飛行艇搭乗を体験しておけばよかったと思います。 写真は1962(昭和37)年5月ころ 、仕事で伊丹に降りてランプを歩いていた時に撮ったものです。機番などを控えるといった意識も薄かった頃で、肝心の部分が撮れていないので、佐伯さんを悔しがらせていますが、空港建物も小さい頃の伊丹の情景も見えたりして思い出深い貴重な記録になりました。
1963年 広島空港まつりにて 佐伯邦昭 3枚の貴重な記録を拝見して、操縦席上のADFループアンテナの形状と左主翼下面のナンバー判読から、上2枚はJA5067はやしお(元第二くろしお)だと思います。3番目は、機首ニックネームはみちしおと読めます。 ◎ 日東航空のグラマンG-73マラード一覧表 JA記号 製造番号 製造日 JA登録日 JA抹消日 ニックネーム(推定) 備考 5057 J-56 50/12/19 59/12/29 67/06/03 第一くろしお→くろしお 売却 CF-YOCへ 5067 J-40 48/12/02 60/07/05 64/02/25 第二くろしお→はやしお 64/02/18大阪で墜落炎上 5090 J-6 46/11/14 61/06/19 66/09/22 第三くろしお→おやしお 売却 N7306へ 5106 J-38 62/02/23 66/05/25 みちしお 売却 N7338へ 5117 J-54 62/12/27 66/06/03 はつしお 売却 N7356へ ◎ 日東航空の水上機路線 日東航空株式会社は産経新聞グループが大阪に設立したもので、不定期航空事業免許を1960年1月に取得して、飛行艇による路線を開設しました。 使用した水上機は、グラマンG-73マラード、グラマンG44スーパーウイジョン、デハビランドDHC3オッター、デハビランドDHC2ビーバーです。 最盛期の水上機路線は下図のとおりですが、1964年4月15日に富士航空、北日本航空と合併して日本国内航空になってから徐々に整理され、1966年には一部陸上機に置き換えられて全廃されました。
1963年 広島空港まつりにて 佐伯邦昭 3枚の貴重な記録を拝見して、操縦席上のADFループアンテナの形状と左主翼下面のナンバー判読から、上2枚はJA5067はやしお(元第二くろしお)だと思います。3番目は、機首ニックネームはみちしおと読めます。 ◎ 日東航空のグラマンG-73マラード一覧表 JA記号 製造番号 製造日 JA登録日 JA抹消日 ニックネーム(推定) 備考 5057 J-56 50/12/19 59/12/29 67/06/03 第一くろしお→くろしお 売却 CF-YOCへ 5067 J-40 48/12/02 60/07/05 64/02/25 第二くろしお→はやしお 64/02/18大阪で墜落炎上 5090 J-6 46/11/14 61/06/19 66/09/22 第三くろしお→おやしお 売却 N7306へ 5106 J-38 62/02/23 66/05/25 みちしお 売却 N7338へ 5117 J-54 62/12/27 66/06/03 はつしお 売却 N7356へ
1963年 広島空港まつりにて 佐伯邦昭
3枚の貴重な記録を拝見して、操縦席上のADFループアンテナの形状と左主翼下面のナンバー判読から、上2枚はJA5067はやしお(元第二くろしお)だと思います。3番目は、機首ニックネームはみちしおと読めます。
◎ 日東航空のグラマンG-73マラード一覧表
◎ 日東航空の水上機路線 日東航空株式会社は産経新聞グループが大阪に設立したもので、不定期航空事業免許を1960年1月に取得して、飛行艇による路線を開設しました。 使用した水上機は、グラマンG-73マラード、グラマンG44スーパーウイジョン、デハビランドDHC3オッター、デハビランドDHC2ビーバーです。 最盛期の水上機路線は下図のとおりですが、1964年4月15日に富士航空、北日本航空と合併して日本国内航空になってから徐々に整理され、1966年には一部陸上機に置き換えられて全廃されました。
◎ 日東航空の水上機路線
日東航空株式会社は産経新聞グループが大阪に設立したもので、不定期航空事業免許を1960年1月に取得して、飛行艇による路線を開設しました。
使用した水上機は、グラマンG-73マラード、グラマンG44スーパーウイジョン、デハビランドDHC3オッター、デハビランドDHC2ビーバーです。 最盛期の水上機路線は下図のとおりですが、1964年4月15日に富士航空、北日本航空と合併して日本国内航空になってから徐々に整理され、1966年には一部陸上機に置き換えられて全廃されました。
◎ 驚いたことに 広島空港でも仕事をしていたらしい 下の広島空港ビルディング株式会社が発行していた空港案内パンフレットを見てください。全日空や東亜と並んで日東航空K.K.がグラマンマラード機などで営業をしているとあります。写真もマラードが載っています。F-27フレンドシップが広島-東京を1時間半で結んでいた時代ですから、1964年前後のパンフレットです。
下の広島空港ビルディング株式会社が発行していた空港案内パンフレットを見てください。全日空や東亜と並んで日東航空K.K.がグラマンマラード機などで営業をしているとあります。写真もマラードが載っています。F-27フレンドシップが広島-東京を1時間半で結んでいた時代ですから、1964年前後のパンフレットです。
そこで、探してみたらありました。1963年9月の広島空港まつりです。JA5106が飛来しました。
腰に手ぬぐいをぶら下げたお兄ちゃんが出迎える中 タキシング
フレンドシップと向き合う位置へ
MAZDAキャロルとMAZDAT1700三輪トラックも待機
確かに空港まつりには来ていますが、マラードが本当に広島で遊覧飛行などやっていたどうかは不明です。