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堺市堺区 出島漁港船待神社境内
交野市 交野市役所 飛燕エンジン残骸
中村中尉鎮魂碑
門真市 スマイルプラザ

:現地に展示中のもの ×:過去のもの :現状不明

A5518 大阪府 Osaka Prefecture  堺市堺区出島西町 出島漁港 船待神社境内
 
  航空輸送発祥記念碑 堺市堺区出島西町 出島漁港 船待神社境内 撮影2008/07/22 出展: 小規模板工房

 航空輸送発祥記念碑 元航空局長 波多野保二 書

  真夏に来たこともあるのでしょうが、ご覧のとおりあまり手入れをされている感 じではありません。碑の文字を撮影するために、草を取り除かないといけない状 態でした・・・  1キロほど離れたところにある旧堺灯台が史跡指定され、保存修復され、周囲が 整備された公園になっているのと対照的な放置ぶりでした。
  86年前、徳島まで水上機で結ばれていたころの面影は埋め立てによって全く無 く、人影の無い漁港の外れに立つ草生す碑を見ていると思わず芭蕉の夏草や兵どもが夢の跡 の句が浮かんで来ました。(2008/07/26記)


大正十一年六月四日この地
に日本航空輸送研究所を設
け日本最初の定期航空 を開
始し二十有余年航空路開拓
の貴き犠牲となられた翼友の
芳名を記し冥福と加 護を祈る
  
  昭和三十四年六月再建
      
     勲六等 井上長一

一等飛行機操縦士 西村英雄ほか19人の肩書と氏名が彫ってある
ここに、航空輸送発祥
記念碑を存置することに
ついては、堺市出島漁業
協同組合史 に記載されて
いる史実にもとずき、
大阪府・堺市当局のあっ
せんにより井上家と 協議
のうえ承認する。
 
 昭和六拾二年八月吉日
  堺市出島漁業協同組合
 
日替わりメモ510番 2008/07/26から

 小規模板工房さんは、今までインターネット航空雑誌ヒコーキ雲に出ていないのが不思議であると書いてきました。

 千葉県稲毛の伊藤飛行機練習所で訓練に励んでいた井上長一青年が、一念発起(当時誰も考えたことのない)航空輸送を志して大阪へ移り、花街でのタクシー事業で資金をつくり、日本航空輸送研究所を堺に設立して日本で初の輸送空路を開拓したことはよく知られています。特に、エアガールと麒麟麦酒のサービスを提供したスーパーマリン サザンプトン飛行艇麒麟号は有名です。

 ただ、この初もの自体や日本航空輸送研究所と堺市大浜の水上飛行場については、航空史家は意外に冷淡なように見受けます。詳しい記述を見たことがありません。そんな影響で、この碑もあまり陽の目を見ないのかも知れません。現状も、付近は埋めたてられて漁港やヨットハーバーになり、井上長一氏が建立したらしい碑も府や市の斡旋で漁協が移設を受け入れたみたいで、あまり芳しからぬ扱いみたいです。

 漁業者にとって水上機は業務妨害の最たるものでしょうから、やむを得ないとはいえ、井上さんは悔しいことでしょう。ヒコーキ雲に紹介したことにより、航空史家の皆さんに関心をもってもらうことを期待します。

 

 
A5511 大阪府 Osaka Prefecture  交野(かたの)市 いきいきランド交野
     
  三式戦闘機飛燕搭載川崎ハ40エンジンなど残骸 撮影2005/08/14 出展:KUPANBA

中村純一中尉の飛燕墜落残骸経緯

2005/03/16 交野市星田の第二名阪国道建設工事現場で機関銃と機関砲を発見
2005/03/23 同現場でエンジンとプロペラを発見
2005/08/14 国土交通省から交野市へ引渡し いきいきランド交野1階 ロビーで公開展示
06/03/31までの予定
ハ40エンジン プロペラ
20mm機関砲 12.7mm機銃

展示物クローズアップ
 撮影2005/01/28 出展:吉田家

 発動機の各部アップとブレードの肉厚なんかも撮ってきましたので送ります。「その他の部品」の中に機体のオリジナルカラーが残っている部分もありました。
 発掘後、管轄の枚方警察署に持ち込まれたらしいですが、20mmと12.7mmの銃口には、きちんと詰め物がしてありましたが、まさか撃つことも出来ないのにこんなことまででんでも・・・・ と思っていたら、警備の為に巡回警官が立ち寄った際に、この墜落機展示場の前で敬礼をしてから通って行かれた姿はいいものでした。


12.7mm機銃
 
A5507 大阪府 Osaka Prefecture  交野(かたの)市 中村中尉鎮魂碑
     
 中村中尉鎮魂碑 撮影2004/04/23 出展:吉田家

碑文


陸軍中尉中村純一は学鷲として参戦凄惨苛烈なる戦局俄かに急

迫を告ぐる頃 一切の懐疑迷妄を越え淡々として特別攻撃隊を志す

昭和二十年七月九日天日を覆ひて来襲せる敵機群に突入壮絶なる

空中戦を展開するも遂に被弾この地に恨みを残して散る近隣有志が相集ひ

烈士の霊を懇ろに弔い鎮魂の碑を建つ平和は血と涙によって築かれたるも

愛惜と悲しみは尽きず痛恨の碑の前に伏し御霊安かれと祷る
 

 


 陸軍中尉中村純一さんは、昭和20年7月9日、硫黄島から来襲したP-51迎撃の為、伊丹飛行場より3式戦飛燕で出撃(飛行第56戦隊)、正午過ぎ大阪府交野町、枚方市(現 交野市及び隣接する枚方市)上空にて空中戦を展開中被弾、脱出し落下傘降下中敵機の翼によって落下傘の紐を切断され星田村の国鉄片町線星田駅(現 JR学研都市線 星田駅)付近に落下、機体は枚方町高田村(現 枚方市高田)に墜落しました。
 当時周辺での空中戦は珍しく、当初米軍機が墜落したと思った村人が駆けつけると、日本兵が田んぼに頭から突っ込む形で死亡していました。
 遺体には目立った外傷も無く、看護婦が村役場前の中川の水で身体を洗い流し光林寺に安置し通夜を営みました。
昭和51年中村中尉の御遺族が「遺族通信」で墜落場所を探しているとの記事を星田の住民が発見し連絡を取り、御遺族が初めて訪問し後に鎮魂碑を建立しました。

 場所は、JR学研都市線(片町線)星田駅バス停のある出口を出て、旧線路跡を京田辺市方面へ歩いて約3分程の旧軍用貨物側線(星田から大阪陸軍造兵廠香里(こうり)製造所まで)跡との本線跡分岐付近左側です。

 

A5509 大阪府 Osaka Prefecture  門真(かどま)市 小児歯科 スマイルプラザ
     
 小児歯科 スマイルプラザ屋上のセスナ150J JA3567 撮影2004/09/11 出展:吉田家

 院長さんの趣味が飛行機ということで、子どもたちのために展示されています。(大きなお友達も楽しみました・・・) 場所は京阪電車大和田駅下車徒歩1分の所にあるマンション2階、受付で飛行機見学を申し出ればマンション屋上の鍵を貰い自由に見学できます。機器類には説明書きもつけてあります。
 
 見学お礼のメールを送りましたら、院長さんから「私も小さい時に展示の飛行機を見た時の感動を覚えています、一人でも喜んでもらえればと思い飛行機を置いてみましたが、子供が喜んでもらえて嬉しい」「屋上の飛行機は年二回洗ってワックス掛けしているですが、直ぐにあのように汚れてしまいます。大阪の空がそれだけ汚れているということなんですね。」 と空が綺麗で無いことが残念である趣旨の返信をいただきました。

スマイルプラザ飛行機の部屋

コンチネンタルO-200-Aエンジン (100馬力) ボーイング747−400主脚タイヤ(隣は比較用の普通自動車のバイアスタイヤ)

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