皆さんからいろいろと指摘を受けました。改めて言葉に対する関心の深さ、国語の奥深さ、併せて佐伯の浅学を思い知らされ、かつ当ホームページを作っていく上で通常では得がたい知識を与えていただける幸せを感じております。
まず訂正から入ります。
新選国語辞典(小学館昭和62年第6版)
@ 斗の項 ― 斗は闘の略字として使われることがある
A 闘の項 ― 闘は斗で代用されることがある
と記述してあります。「ことがある」と他人事のように言っている真意は、学問的には正しくないが、世間に広まっているので一応紹介しておこうということだろうと感じられます。
B 戦うの項 ― 闘うを斗うと書くのは一般的でない
「一般的でない」という言い方
もあいまいですし、@Aと整合が取れていません。名詞ならともかく動詞で使うのは好ましくないという意思表示でしょうか。
角川漢和中辞典(昭和58年204版)
C 斗の項 ― 漢音読みでトウ
斗をトウとは読まないとしていたのは間違いでした。平安時代に中国から入ってきた漢音でトウと発音していたようです。
以上が、闘と斗の関係です。戦斗機も斗争も単語として、また読み方として辞書が認めていることがはっきりしました。
ただし、戦斗機の略字を乱用した酣燈社も1956年ごろから戦闘機に統一していますし、少なくとも新聞や航空出版物からは完全に消えているとみて差し支えないでしょう。もう懐かしの用語の部類に入れておきます。
帝国陸海軍も斗(
トウ)を使っていた
BUNさんから『「戦斗」は戦前から使われている表記で、帝国陸海軍の戦闘詳報などの表紙にも「斗」を使っているものがある、だから「斗」が左翼起源の略字という思い込みは間違いです。』との指摘をいただきました。
「私の記憶の中のことで検証したわけではない」と断っているように思い込んでいるわけではありませんが、帝国陸海軍が使っていたとは驚きました。
私も乏しい資料の中から、とりあえず航空朝日の昭和19年4月号を調べてみました。
戰鬪機 |
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上は、或るページの見出しの活字であり、下は東寶映画の広告です。
旧漢字の闘はもんがまえではなく、とうがまえ(たたかいがまえ)の鬪という字であり、戰鬪機あるいは戰鬪という単語は随所に出てきますが、戰斗機あるいは戰斗という文字はひとつも発見できませんでした。恐らく他の公刊書籍類も同じだろうと思います。
戰斗を軍隊が使っていたとすれば、正当な用法ではなく、ガリ版切りなどの便宜上の当て字ではありませんか?
戦後、それが普及してしまったのは、軍隊帰りの方たちが興奮剤のヒロポンと一緒に広めたのでしょうか。
因みに、私が広島航空クラブニュースを出していた1964年頃の謄写版刷りをみると、戦機と書いています。斗(トウ)よりはましと思っていましたが、むしろこのなる略字の方が誤用だと分ってがっかりしています。
皆さん、手持ちの辞書で、こんな暇つぶしをしてみませんか。
続々 戦斗(機の略字)
の漢字について 佐伯から
手持ち資料の範囲内で、昔の航空朝日にしろ海と空社の本にしろ少なくとも公刊書籍に「斗」を使った形跡が皆無です。個人が手紙などに略字を書くことはあったでしょうが‥。
戦後においては、既述の酣燈社の刊行物、日本航空協会の航空年鑑、モーターマガジン社の航空マガジン、航空画集社の航空画集などには戦斗機と戦闘機がごちゃ混ぜに使われています。
NBさんから「小生も佐伯さんと同様全学連あたりが武斗と書いた立て看板を見た記憶があり、組合で勝手に考えた略字だと思っていた」と言ってきましたが、どちらかというと、左翼が多用していた印象を持つ人は多いと思います。戦後の
左翼のポスターや壁新聞に「斗争」「斗う」「賃斗」などと書かれているのはネットでも見ることができます。闘より斗の方が楽ですから流行したのだと思います。中には正しい用法だと勘違いしていた人もあるでしょう。
雑誌原稿だって忙しい人は戦斗と書いたでしょう。それは当たり前です。
原稿がそうなら文選工は斗の活字を拾うし、
酣燈社の場合は斗を手描きイラストにも使わせていますから、斗と闘が混じっていても意に解さなかった極端な例だと思います。科学朝日編集部や鳳文書林は校正で朱を入れて闘に統一していたと想像できます。後に
酣燈社も統一しました。
奈良の幹部候補生学校でF-86Dの説明板に戦斗(機の略字)と書かせた人、恥ずかしながら流行の社会現象に染まっていたとしか言いようがないですな。それが、私を含めて当時の世相でした。だから懐かしいのです。
反論 BUNさんから
略字は読んで字の如く正しい字の代用です。「闘」の代用で「斗」を使うことが戦前でも珍しいことではなかったということです。略字は略字を用いて良い場所、良い文書で使われるもので、戦闘詳報のような戦時に迅速に手書きで書かれる文書(それでも公文書です。)に「斗」が使われていてもそれは悪習でも軍隊ならではの文化でもなく、普通の事です。また活字を組む場合には略字を用いるメリットがありませんから略字の用例は見つかりにくいことでしょう。
略字とはそのような性格のものですから、ヒロポンの流行等と同一視はできません。
辞書についても、「意思」を伝えるものではなく、用例を客観的に述べるものですから、「斗う」が一般的でない、とは「用例が少ない」という意味でしかありません。
正しい、正しくないという話ではなく、もともと「正しくない」略字の用例について述べているのです。
戦後のある時期の出版物に略字でありながら「戦斗」が多用されたのは、本来であれば校正作業で訂正される性質の表記がそのまま出版物上に現れているということで、左翼用語というよりも、昭和20年11月の当用漢字の制定に始まる国語表記の簡略化運動の影響による混乱と見るべきでしょう。
出版文化も戦前の規範を失って数年の間、揺れ動いたということです。
また「戦斗」の用例は、戦前どころか明治までも遡れます。「明治三十八年六月満二乾第一一四六号
戦斗詳報増加送付方照会ノ件
」といった毛筆で書かれた公文書も存在します。「斗」の略字は略字本来の目的である手書きの省力化のために常識的に使われるものとして昔から存在しましたし、公刊書籍であまり用いられないのは戦前の規範では当たり前のことです。
それが戦後のある時期に出版物上で多く見られるのは、上記の理由によって混乱が生まれ、略字による簡易な国語表記に時代の追い風が吹いていたという事情によります。
左翼活動家が略字を多用したのも同じような理由でしょう。戦後のある時期、略字は「進歩的」だったのです。
その起源は少しも「進歩的」ではなく軍隊も多用していましたが。
244戦隊では戦斗を普通に使っています 櫻井 隆さんから
漢字の件は私も普段意識していないためにピンと来なかったのですが、手元にある小林戦隊長はじめ数名の操縦者の日誌、書簡、アルバム等の肉筆を改めて見直したところ、その全てが例外なく「戦斗機」「戦斗隊」となっていました。
また、戦隊本部功績係(准尉)が清書したと思われる部隊葬の弔辞にも「戦斗」が使われています。
参考までに、藤井軍曹がアルバムの表紙に記した文字の画像を添付します。これが書かれたのは昭和20年春頃です。