和歌山県目次 伝説の時代から現代まで 航空史抜き書き  ヒコーキ雲 零式艦上戦闘機総目次
 
      

航空歴史館 和歌山県 嵐山美術館・零パークの航空機展示

TOP

目  次

 零式艦上戦闘機63型
 四式戦 疾風
 百式重爆呑龍搭載のハー109(二式)発動機とプロペラ 
 陸上爆撃機銀河搭載の誉12型エンジンとプロペラ
 その他機銃など
      


 和歌山県白浜温泉の嵐山美術館・零パークとは

 京都嵐山美術館が1991年に閉館し、展示品の多くは和歌山県白浜町へ移されました。
零戦、疾風の京都での分解と、白浜での組立て(零戦のみ)が全日空に依頼され、大阪の整備を中心に東京の整備が合同で無償のボランティアとして引き受けて、実施されました。

 白浜では、温泉旅館白浜御苑付属の零パークとして航空機、潜航艇、砲などが再び展示されました。零戦にはテント式の屋根が設けられていました。 ただ、疾風は格納されたままで展示はされなかったようです。(下記参照)

 零パークは2002年3月13日に閉鎖されました。零戦と呑龍エンジンなどは呉市役所が海上運搬費込み3億円で買取り ました。その他の武器弾薬装備品などについては不明です。

入場券(提供:吉田家)

     

      

零式艦上戦闘機63型    零戦

 

京都から移送後、組立

 京都での分解と白浜での組立は、全日空が無償のボランティアとして引き受け ました。

 零式戦闘機に関しては、数年前に京都嵐山美術館で見た後部胴体の腐食孔が きれいに修理されていました。内部構造も新しい部材に替えるなど本格的に修復してありましたので尋ねたところ、三菱重工のOBの方たちが修復してくれたと言っていました。新造品 のフレームやストリンガーの出来栄えから、模型屋さんの手になったものとは思えない仕上がりでした。(川村忠男)

 

撮影1997/02/23 吉田家


 写真のメモでは「明り取り窓と後部胴体燃料給油口を無くしている」「主翼下面小型爆弾懸吊」「爆弾揺れ止め」等と書いていますが、今となっては本当にそうだったのか自信もありませんが・・・。

撮影1998/05 にがうり


   

1995公開 東映 きけ、わだつみの声 に出演(監督出目昌信 出演織田裕二ほか)

東映のパンフレットから拝借 
    

撮影2001/08/20 らいおん丸
 

 訪れた時には、閉館間近で展示にはかなり脱力感が漂っており「次は無いかもしれんな」と思いつつ、いろいろ見学しました。

 その日の夜半頃台風11号が和歌山潮岬を通過しております。直撃寸前だったので零戦の上の天幕が外されており主翼の下に支えを設けて地面に縛りつけています。

 京都でも白浜でも63型で通っていました。今は62型と言っているそうですが、どこが変わったのでしょうか。



 

 

中島 四式戦疾風  疾風

 


新 
疾風は展示されなかった

@ 京都嵐山美術館での分解作業

 疾風は、京都嵐山美術館から白浜へ移送されましたが、展示 されることはなかたようです。零パーク閉鎖後に知覧へ送られたものと思われます。

 京都の嵐山美術館閉館にあたり、白浜へ移送するため零戦、疾風の分解を、全日空の整備に依頼があり 、大阪の整備を中心に東京の整備と合同で無償のボランティアとして引き受けて、実施しました。

 私も、大戦機を見逃せない好機と思い参加し、疾風のエンジン取り外しを担当しました。プロペラを外す特殊工具が無いので、プロペラ付きのまま、取り外しました。輸送トレーラーに搭載できるように、エンジンと後部胴体を取り外しただけで、 巷間誤り伝えられている「主翼切断」はしておりません。また切断されたような痕跡も見当りませんでした。

A 白浜零パーク

 白浜では、零式戦闘機を組み立てる依頼があり、同様に大阪、東京から整備 ボランティアが集合して実施しました。

 その際、疾風は梱包して保管されており、嵐山ではやっていないはずの、主輪が外してあったので尋ねたところ、輸送中に、トレーラーが警察に停止させられ、主輪が荷台の外側にはみ出して、車幅違反だと告げられので、運転手が 急きょ取り外したとのことでした。

TOP

 

ハー109(二式)発動機とプロペラ 百式重爆撃機呑龍搭載  ハ10

撮影1997/02/23 吉田家

TOP

 

誉12型エンジンとプロペラ 陸上爆撃機銀河搭載   

撮影1998/05 にがうり


撮影1997/02/23 吉田家

TOP

 

       その他航空機の機銃など   機銃

 

TOP