○ 美保のC-46事故
1957(昭和32)年3月4日、美保基地のカーチスC-46が中海に墜落し、17名全員が死亡した事故は大変に痛ましいものでした。航空マニアにとっては、取材で同乗していた酣燈社航空情報主幹の今井さんと編集長の馬場さんが犠牲になられたことで、特にショックを受けたようです。当時の航空情報誌を開くと、航空専門家として日本の航空ジャーナリズムに新たな道を切り開きつつあった二人を失った悲しみが伝わってきます。京大の文学部を卒業しながら、ヒコーキマニアの趣味が嵩じて酣燈社に出入りしていた関川栄一郎さんが、急きょ編集をまかされることになったのも、この事故故でした。関川さんは、今井、馬場の路線を狂わすことなく、その暖かい筆致をもって航空情報を大きく発展させたと思います。
美保基地航空祭で野立てと琴の演奏会場を覗きましたら、きれいな庭園を前にして大きな自然石のモニュメントがあり、献茶してありました。”魁けて 君が育てし 美保の礎” とあり、裏面には航空自衛隊員12人、民間2人、米軍兵士2人の名前が彫ってありました。そこに今井馬場の名前を見出して、あらためて航空情報に育てられた世代である自分に思いを致した次第です。その写真を大きく出しておきましたので、同様の世代の方も感慨深く見て頂けるものと思います。