徳島県目次

:現地に展示中のもの ×:過去のもの :現状不明

A7102 徳島県板野郡松茂町広島字鍬の先 フランシスコ D ぺニア記念病院
       
 
AHinic Shara, Matsushige-Town, Tokushima Prefecture  
     
◎ クリニック釈羅(旧 フランシスコ D ぺニア記念病院) のダグラスA-4E 151095
  
 

 1993年 厚木基地 ペイント・トレーナー時の写真

 『  元VC-5チェッカーズ
   モデックス 03
   BuNo. 151095
 フィリピンの米軍基地キュービーポイント閉鎖に伴い、1992年の春頃 7機ほど厚木基地にやって来ました。
 他は 殆ど胴体輪切りになり 廃機となりましたが、この機体はCVW-5のペイント・トレーナーとなるため、生き残りました。

 徳島の、A-4E、垂直尾翼のラダー下の欠落した部分、あとあとに独自に ブリキ板かなんかで仮に作っていますね。
 機体の色とハッキリ異なるし、厚さも違います。徳島に展示した当初は、この部分 欠落したままでした。
 この部分、厚木基地 旧ペイントハンガーにやって来たときから 欠落していました。』 ヒコキチ

 ペイント・トレーナーと言いつつスプレーで落書きされたり、きっちり全塗装してマーキングしたりと色々な姿をしていたようですね。
 ヒコキチさんから
 『 ハンガーの片隅にいつも ひとりぼっち・・   ゴミ扱いとは・・』
との声もあって心配されたようですが 無事に残りましたね。(編)

 この機体の経歴ですが WIKIMEDIA COMMONSで 元TOP GUNで使用されていた機体であることが書かれています。
 WIKIMEDIA COMMONS リンク
 TOP GUNの映画を何度も見返しましたが シャーロット(チャーリー)がA-4Eの前で講義を始めた時に後ろにいた機体の末尾番号が095と読めますが気のせいでしょうか?(編)

 撮影1993/02/25 厚木基地 『旧ペイントハンガー内の 151095機。』 ヒコキチ


 撮影1993/03/04 厚木基地 『垂直尾翼ラダー下の部位、この写真でも ないですね。』 ヒコキチ



 撮影1993/04/25 厚木基地 『A-4E モデックス"08"はイタズラ書きで、 本来のモデックスは03です。』 ヒコキチ



 撮影1993/06/20 厚木基地 ヒコキチ   


 撮影1993/09/12 厚木基地 『ハンガー内が混んでくると、いつも外に出される151095機』 ヒコキチ   
 

 1994年 厚木基地から移動前の写真

 『厚木基地から持って行かれて、徳島県内のクリニックの敷地に展示されたのが、1997年の2月とのことです。
 厚木基地の旧ペイントハンガー内で、1994年の4月2日に 撮影しました。
 元VC-5チェッカーズのA-4Eスカイホーク。
 UE-03 BuNo.151095
 本来廃機処分のため、垂直尾翼の下部が欠損していたり、機体にイタズラ書き等が ひどかったんですが、何だかんだとブルーエンジェルス塗装に仕上がっています。
 尚、エンジン、計器類等は 全て取り外されており、モノコック状態です。
 院名がクリニック釈羅となっていました。草ぼうぼうで塗装の劣化も進み哀れな状態です。』
  ヒコキチ (2022/09/02)

撮影1994/04/02 厚木基地  ヒコキチ 



撮影1994/04/02 厚木基地 ヒコキチ   この時点でノーズに"5"と書かれていたことがわかります(編)


 

2010年の状態

 病院名がクリニック釈羅となっていました。草ぼうぼうで塗装の劣化も進み哀れな状態です。

撮影2010/06/13 HAWK 


 

2003年の状態

垂直尾翼の補修跡 撮影2003/09/07  HAWK
プロペラか? 撮影2003/09  SHADOW
 

 完璧と言っても過言ではないような見事なブルーエンジェルスの塗装になっています。院長先生に聞いたところ、米海軍から無償貸与を受けたそうです。機体前のプレート(下右)にはその旨が記されています。塗装は厚木基地で行ったそうです。キャノビーフレームには院長先生の名前が記入されています。なんとも羨ましい。
 実際にチームで使用された機体ではないかもしれませんが、スカイホーク自体が貴重ですから末長く良い状態に保っていただきたいですね。この病院の設立に至る由来は下左写真のとおりです。
 同病院の待ち合い室には古いベンツとトヨタ2000GTが展示されています。これも院長先生の趣味だそうです。
 場所は徳島空港のランウェイ11エンドの延長線上で旧吉野川と滑走路の間です。

撮影2003/02/23 出展:HAWK