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 航空歴史館

熊本健軍飛行場  ガス欠で不時着したF-86

A8502-01 熊本県東区 熊本健軍飛行場
       Old Kumamoto Airport and Army Kengun Air Base, Higashi-ku, Kumamoto City 
     

1963年頃の航空日 熊本空港・健軍飛行場開放  興野博士

 健軍地区はいまや熊本市東の副都心です。そこに飛行場がありました。

 このあたりは南北朝時代に健軍神社の所領で「たけみや荘」と呼ばれていました。いつのまにか「けんぐん」に変化し、その農村地帯に陸軍の健軍飛行場、三菱重工業の飛行機工場ができてから都市化がはじまりました。

 旧熊本空港は、1960年4月陸軍飛行場あとに1200m滑走路で開港しました。しかし、住宅商業地域の中にあって、あくまで暫定的なものであり、1969年9月からは高遊原台地に2500m滑走路の新空港の建設がはじまり、1971年4月現熊本空港の開港とともに廃港となったのです。

東亜航空 コンベアCV240 JA5110 エンジンスタート


東亜航空 ビーチクラフトC18S JA5133 なんぷう


東亜航空 デハビランド ヘロン DH114 JA6162 タウロン改修の前


全日空 フォッカー フレンドシップ F-27 JA8606


セスナL-19 陸上自衛隊の文字が右書きの旧塗装時代

ガス欠で不時着したF-86 撮影1964/01/06  興野博士 

62-7489の経歴

1956/07/23

c/n227-95 USAF55-3910 航空自衛隊へ引渡し 62-7489

1964/01/06

下記 熊本健軍飛行場付近へクラッシュ

1965/03/31

用途廃止

 当時、航空自衛隊第6飛行隊は新田原にいました。この62-7489は人吉上空で燃料がなくなり熊本空港にグライドで降りて来ましたが、滑走路にわずかに届かずに手前の桑畑に不時着したものです。パイロットは軽症で済みました。

 桑畑から陸自のエプロンに移動した後、かなり遠くから標準レンズ写しました。まだ中学生で望遠レンズなんて持っていませんでした。トリミングのため不鮮明ですが 5W6SQの旧マークがわかかると思います。







 その時連絡に来ていたT-34とT-6も撮りました。今みたいにヘルメットは被っていません。T-6の方はわずかに救難隊のマークが見えます。


廃港4年後の1974年撮影のウエブマッピングシステムによる健軍空港跡

 白線で囲った部分が滑走帯で東側エンドは25の文字とともに滑走路が一部未撤去の状態です。西側07エンドには自動車教習場や日赤病院と思われる建物がが建設されています。熊本鉄工団地を目印にして現在の地図と見比べてみると更地はほとんど無くなり、30年間の都市化の波がうかがわれます。