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航空歴史館 いしぶみ
 

館山市
旧海軍館山航空隊庁舎
海没していた江戸城石垣用の石
海上航空再興之地碑
海軍航空写真分隊記念之碑
海軍中攻隊乃碑

 

A3513-05 千葉県館山市 海上自衛隊館山航空基地 いしぶみ
                Monument in Tateyama Naval Air Base, Tateyama City,Chiba Prefecture
 
館山航空基地庁舎 旧海軍館山航空隊庁舎

撮影2013/087/21 YS45


  海自館山航空基地では、1930(昭和5)年に建てられた本部庁舎が耐震化のために取り壊されているそうです。これも歴史の流れですね。写真は、1953(昭和28)年12月1日警備隊館山航空隊開隊式当日に写されものでバックにあるのがその建物と思われますが、83年間よくぞ頑張ってきたとねぎらってやりましょう。 
  世界の航空機1954年1月号

  

 世界の航空機1957年8月号



海没していた江戸城石垣用の石

撮影2013/087/21 YS45

海上航空再興之地碑 (保安庁 警備隊館山航空隊発足)

館山の戦後の歴史

1953/07/15 保安庁警備隊館山航空隊設立仮事務所開設
1953/08/12 ベル47-Dを4機受領 訓練開始
1953/09/16 保安庁警備隊館山航空隊開設
1953/12/01 保安庁警備隊館山航空隊開隊式を挙行
1954/07/01 防衛庁発足 海上自衛隊館山航空隊に変更

撮影2011/09/03 大石治生


日替わりメモ2011/09/02

 旧館山海軍航空隊が消滅してから8年後、全国で初めて館山に海の守りの航空隊が発足したことを回顧する記念碑ですが、裏面の碑文を読まなければ意味がよく分りません。その理由は?

 そもそも、保安庁警備隊館山航空基地の開隊式において、アメリカ大使館付海軍武官が流暢な日本語で次のように挨拶したそうです。

 我々は、旧日本海軍の往時の実力を高く評価している。ここに華々しく誕生した警備隊航空隊が、かって赫々たる武勲を樹てた日本海軍航空部隊の実力まで育てられ、アジアにおける安定勢力として世界平和に寄与されんことを切望する。(世界の航空機1954年1月号より)

 この年の7月に朝鮮戦争が終結したものの、なお朝鮮半島と中ソに警戒を緩められない米国が、日本の再軍備を急かせる気持ちが強く現れているし、底流では今日でも通用する挨拶です。 とはいえ「赫々たる武勲を樹てた日本海軍航空部隊の実力」というのを日本側の出席者はどのような気持ちで聞いたことでしょう。
 そんなら、日本の航空を継続させてくれていたら、お前たちが38度線で分断するような情けない形の休戦協定を結ぶこともなかったろうにと腹のうちで思った人がいたかもしれません。
 さて、10年後に記念碑を建てるのに「再興」なる単語に込められた気持ちの本音は如何?
 多分「海軍航空再興之地」でありましょう。それをぐっとこらえて、いろいろと出たであろうな案の中から「海上航空再興之地」という訳の分からない表現に落ち着いたのは、反自衛隊感情が横溢していた世情に良く言えば遠慮、悪く言えば迎合する雰囲気が支配したからであろうと推察します。
 今更、碑銘を変える訳にはいきませんので、ささやかながらインターネット航空雑誌ヒコーキ雲が英文表記で抵抗の意思を表しましょう。次のとおりです。

いしぶみ 海軍航空写真分隊記念之碑

撮影2011/09/03 大石治生


いしぶみ 海軍中攻隊之碑  

撮影2008/05/25 ELINT人                         撮影2011/09/03 大石治生 

   撮影2011/09/03 大石治生
   

 建立位置が庁舎付近でなく格納庫に近い場所(現在の隊員食堂付近)に在るのが不思議だったのですが、碑文をあらためて見たところ由緒ある所に建てられたことに気がつきました。