自家用機パイロットの年齢制限は現在17歳ですが、今から約60年前に 17歳の女性パイロットが誕生していました。
藤沢飛行場の紹介で 飛行少年団があり中学生にグライダーの操縦訓練を行っていたことを記していましたが、当時 日本航空連盟が青少年に対して飛行機に接する機会を設け、その後 航空関係に就いた方がかたが多かったということで当時の航空の発展に貢献されたようです。
ヒコキチさんから 当時のことについて説明いただきました。
1964年5月19日 新聞社名不明 提供 ヒコキチ
新聞記事は、1964年5月19日に自家用パイロット試験に藤沢飛行場で合格したことを掲載しています。
掲載されたのは1964年の5月です。
日付けは、わかりません。
この原田久美子さん、当時は 週刊誌とかメディアに大きく取りあげられていました。
航空少年団員としても後輩に適切なアドバイスをしてくれる良き先輩でした。
1964年8月5日、NHK教育テレビ 「北から南のたより」 という番組に出演しています。
1965年8月6日にも、あたらしく引っ越した先の竜ヶ崎飛行場にて、夏季合宿訓練中にNHKの取材を受けています。
1964年3月号 学習コーチ 表紙 提供 ヒコキチ
前列左側から二人目の女性が原田さんです。
飛行少年団について
飛行少年団パッチ 撮影ヒコキチ エアースカウトと書かれています。
当時の日本飛行連盟航空少年団のバッチです。
イーグル(鷲)です。
飛行少年団 バッチ 撮影 ヒコキチ
航空少年手帳 撮影 ヒコキチ
当時の日本飛行連盟の歌です。
♪︎ 風が流れる雲が飛ぶ
翼よ くぐれ虹の橋
空があるから飛ぶんじゃない
一万フィートの大空に
男の城を築くんだ
胸を張れ張れ まゆ上げろ
がっちり組むぞ 編隊を
そうだ 俺達飛行連盟
編集より
パッチと手帳から 日本飛行連盟がサポートしていたことが判りますね。
参加されていた方も東京からや神奈川県内など広く参加しており、保護者も色々サポートしていたそうです。
当時参加していた方は飛行場でとても充実した時を過ごしたのではないでしょうか。