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AH-2000-c 大分県国東市安岐町下原 大分空港
        Oita Airport,   IKunisaki-city, Oita Prefecture    
 

ユンカース Ju52/3m g4e HB-HOS(c/n 6580) 

 丹羽さんからユンカース Ju52 来日時の写真をいただきました。
 2000年にIWC (International Watch Co.) が世界一周プロモーションで日本に来日した時の写真です。 

 濱野善行さんから滞在期間中の詳しい説明を頂きました。
 『 台湾の松山空港から那覇に到着したのが2000/03/17、那覇から大分への移動が2000/03/18、大分から仙台が2000/03/19となっており、仙台ではジャムコさんで整備の為ハンガーインしています。 数日間の整備が終了してハンガーアウトしたのが2000/03/22で、これは予定よりも早かったです。
 2000/03/24にはプレス向けの公開があり、複数回のフライトが行われました。この時のプレスリリースでは次の行き先はロシアとはなっていましたが、この時点で既にロシア当局との飛行許可に関する交渉は暗礁に乗り上げており、結果的に数日後、世界一周フライトは残念ながらキャンセルされてしまいました。ロシア当局が拒否した理由は公にはどうだったか失念しましたが、当時は先の大戦での敵国軍用機を降ろす訳にはいかないとかの理由だったと記憶しております。

 で、世界一周プロジェクトが頓挫してしまったので直ぐに帰国する事となり、帰路は往路をなぞる形で西へ戻っていくルートとなりました。仙台を離陸して大分に到着したのが2000/03/30の16:15、大分を10:30に離陸し那覇へ14:30に到着したのが翌2000/03/31、那覇から離陸したのは天候待ちの絡みがあり2000/04/04だったと思われます。最終日だけすみませんが戦意喪失して詰めが甘くなりました。5日には居ないのを確認しております。

これがユンカースが辿った国内での動きだと考えて良いのだと思います。当初案では羽田飛来も計画されていましたが、毎度の「前例がない為」という事で早々の不許可故の仙台のみでのプレス公開だったり、経由地も当初は小牧、宮崎だったりと非常に困難の付きまとう来日だったのが察せられます。機齢を考慮するとこの時がJu52の最後の来日となるのはほぼ間違いない事でしょうからその姿を拝めただけで良しとしなければいけないのでしょうね。
当方撮影は2000/03/26の仙台空港です。カバーに泣きましたが、その前に那覇と小牧でスカされていましたので納得せざるおえませんでした。』  濱野善行

 上記を要約すると下記のようになります。
 2000年
 3/17 台湾の松山空港➡那覇空港
 3/18 那覇空港➡大分空港
 3/19 大分空港➡仙台空港
  3/19〜3/22 ジャムコにて整備
  3/24 プレス向け公開 
 3/30 仙台空港➡大分空港
 3/31 大分空港➡那覇空港
 4/4 那覇空港➡ スイスへの帰路へ。  (編)

 2000/03/26  仙台空港 撮影 濱野善行







尾翼のWebアドレスは現在は見られません。(編)

2000/03/18  大分空港 撮影 丹羽八十

ドイツ ユンカース Ju52/3m g4e  HB-HOS (c/n 6580)


2000/03  仙台空港  撮影 T67M

撮影日不明 ジャムコハンガー前


仙台空港であることの証としてタワー


C90Aを添えた写真




撮影2000/03/30 テストフライトではないと思います。帰って来なかったと思います。
           「31日大分に戻る」とありますから名古屋辺りで一泊したか?