1942年以降、戦時の空母艦上での整備作業を極力削減して空母の戦闘能力向上を狙って、空母搭載機の整備を陸上基地で集中的に実施するために新設されたCASU
(Carrier Aircraft Service Unit) 空母搭載機整備部隊に由来する部隊で、戦後1946年にFASRON(Fleet
Aircrft Servce Squadron)艦隊航空機整備部隊に改編されました。
CASUには他に陸上哨戒機や飛行艇を整備するCASU(F)があり、これも戦後1946年に一斉にFASRONに改変されたましたが、番号が3桁でVP
FASRONと区別して呼ばれることもありました。
写真のTV-2の所属するFASRON-11は1946年10月1日にCASU-1が改編されたものです。
そのCASU-1は真珠湾攻撃から約1カ月後の1942年1月15日に真珠湾フォードアイランドのNAS
PEARL HARBORで新編されたもので、CASUとはCarrier
Aircraft Servie Unitで、CASU-1はFASRON-11と改称された戦後も1949年5月までずっとNAS
PEARL HARBORにとどまって、寄港する米空母の搭載機の整備を担当していました。
戦争中は米本土から続々と到着する新品の艦上機を整備・試験飛行して、寄港した空母部隊に供給し、一方前線から帰港した空母から損傷機等を受領して修理・改造・整備を加え、試験飛行して次の空母部隊に再配属するなどが役割でした。
FASRON-11は1949年5月に米本土西海岸のNAS
SAN DIEGO(現NAS NORTH ISLAND)に移動しましたが、1950年6月に朝鮮戦争が勃発、前線に近い西太平洋での空母搭載機の整備が必要となり、1950年8月にNAF
YOKOSUKA (旧日本海軍の横須賀航空隊、後のNAF
OPPAMA 現日産自動車追浜工場)に移動、直ちにF4U-4B,
AD-4, F9F-3等の整備を開始、10月からはF9F-2,
TBM-3E, SNJ-5C, OV-2, HO3S-1が加わり、更に11月にはF4U-5P,
F6F-5, AD-3Q, TBM-3U, F4U-5N, F9F-2B, TBM-3Q, AD-4W,
AD-4Q, AD-4Nがこれに加わりました。
そして、1950年12月には厚木基地の整備が完成し、FASRON-11も厚木に移動し、整備対象にはF6F-5P,
F7F-3Nも加わりました。。
朝鮮戦争の進展に伴い、空母搭載機も新型機と派生型の機種が増加し、FASRON-11で整備を受ける機種も急速に拡大していきます。具体的には、1950年末には21機種、1951年末には27機種、1952年末には29機種 1953年末には24機種、1954年末には32機種と増加しました。
以後も1955年末20機種、1956年末17機種、1957年末14機種、1958年末11機種と減少しましたが、FASRON-11のランプには常に多機種が機種が入り混じり、おもちゃ箱をひっくり返したようなにぎやかな状況でした。
しかも、機数的にも半端ではなく、1953年4月の228機をピークに1950年末から1954年末までは常に100機以上の艦上機が整備中あるいはプールされている状態でした。
当時の空母航空群(CVG/ATG)の2〜3個分の機体が常にFASRON-11の下に厚木基地に並んでいたことになる訳です。
写真のTV-2が初めてFASRON-11に来たのは、1952年7月のことで、1959年12月まで常に4機程度が在籍していました。
1959年末、FASRON-11は米海軍の整備方針の変換による組織改正により解隊しました。
日本に駐留したFASRONではほかにFASRON-118とFASRON-120があります。FASRON-118は、1955年6月にグァムのNAS
AGANAから沖縄のNAF NAHAに移動したもので、1959年12月に解隊。FASRON-120は、朝鮮戦争勃発直後に横須賀で新編されたもので、以後の移動は次のとおり。(但し、NAF
YOKOSUKAとNAF OPPAMAは同じ基地で改称のみ)
1950年8月〜1953年1月 NAF
YOKOSUKA
1953年1月〜1954年2月 NAF
OPPAMA
1954年2月〜1954年6月 NAF
IWAKUNI
1954年7月〜1957年12月 NAS
IWAKUNI
1958年1月〜1959年12月 MCAF
IWAKUNI
FASRON-120は、いわゆるVP
FASRONですが、岩国に移動する前はFASRON-11と同様、各種の艦上機も整備の対象としていました。