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 国産旅客機YS-11の歴史 

[3] YS-11の日本国内登録全機 の経歴と写真 番外編

 

通産省と日航製造の姿勢を変えさせたピードモント航空

 

1969

ピードモント航空とYS-11について

 "マーチン4-O-4の置き換えとしてYS-11を導入したPIEDMONT AIRLINESは、アメリカのみならず海外に輸出されたYS-11を語る上で絶対に欠くことのできない航空会社である" 
     
       ( イカロス旅客機形式シリーズI 海外YS-11オペレーター全集第1部より)  

 その理由は、海外における最大ユーザー(23機)としてアメリカ国内にYS-11を普及させたことともに、通産省と日航製造の姿勢を変えさせたことによります。(以下佐伯記)

1 生産初期に於ける日航製造のユーザー対応 

 日航製造のユーザー対応が如何にひどいものであったかをYSlast2から粂喜代治氏ほかの証言を引用しておきます。

(ア)

 現在では信頼性の高い頑丈な飛行機という定評を得ているが、就航当初は故障のかたまりで、全く手に負えない飛行機であった。雨が降ったら飛べない飛行機。4月に就航して6月の梅雨でアウト。

(イ)

 4〜5年は、ただひたすら故障対策に明け暮れた。当初の2年間は日航製からの支援はほとんどなく、航空会社の手探りで努力していた。辛うじて安定期に入ったのは全日空が提唱して設立された航空技術安全協力委員会(ATASCO)のYS分科会が活動を始めてからである。

(ウ)

10年くらいで落ち着いてきたが、20年かかったものもある。

 当時、日航製造は、エアライン側の度重なるトラブル情報提供や改修依頼交渉を無視し続けました。

 それは、日航製造のみならず航空工業界全般が、上から目線でエアラインを見下していて、エアラインの技術力不足なのだからメーカーは関与しないというおよそ商業航空知識も無い、勉強もしないという殿さま商売をしていたからです。

2 頭に来たピードモント航空  要求を丸呑みさせる

 そんな日航製や航空工業界の日本常識が通じないことを身に沁みさせたのがピードモント航空でした。 それまでも海外弱小エアラインには相手の経験不足もあってリースや売却もあったり、ハワイみたいにたった1年でとても使えないと突き返されたりもありました。

 しかし大量発注を考えたピードモントは、日航製と交渉を始めてそのあまりに世界商業航空常識の無さと殿さま商売に最初は驚き、その後は激怒し、厳しい要求を突きつけました。 その怒りに驚いた通産省と日航製は、YS-11の本格的な米国輸出のためにピードモントの要求を丸呑みせざるをえませんでした。

 YS-11の主要な機能部品の電子装置、油圧、燃料、空調などの例えば脚上げ下げのアクチュエーターから燃料ポンプ、バルブ、ノズル、エアコン関係などほとんどは欧米メーカーのコピー・ライセンス生産です。 だからピードモントは、日本製コピー・ライセンス品を止めてオリジナルの欧米メーカー製品を装着したのです。サイズその他スペックは同じなので、簡単に装着できるのです。またFAA検査も通りが早いのです。

 以下、改造についてウイキペディアを引用します。

 更に、アメリカの標準に合わせるためオートパイロットをスペリー製とし、フライトディレクターシステム・エアデータコンピュータ・電波高度計を追加し、アメリカ連邦航空局 (FAA) のカテゴリーII着陸の追加証明を獲得した。さらにインバータの増設、左プロペラにブレーキ設置、前脚ステアリングを50度から60度に変更、床下貨物室を後方へ60cm拡大した。機内設備はアメリカの航空会社の標準とし、前方乗降口を非常用に使用するため客室乗務員席を前方に増設、ギャレー(調理設備)装備もアメリカの水準に合わせたものを、トイレもジェット機で使う水洗式に、洗面台には給湯器を設置、座席を米国製に変更し、前方にコートルームを増設した。

 まさに、中規模の設計変更であり、YS-11A-200は、以降、旅客機型の標準になり、YS-11そのものも世界の中級レベルの旅客機に成長したのでした。ただし、国内向けYS-11は、日本製品を使えという通産省の方針で米国製より低品質を承知で装備したという笑えぬ事実もあります。

 当時は日本製品の信頼性が高くなく、前述の通り、ピードモント航空では乗客の心理を配慮して広告宣伝や時刻表には「ロールスロイス・プロップジェット」と表記し、日本製やYS-11の表示はをしませんでした。

 これらが一部で言われたピードモントの「国辱的仕打ち」の中身ですが、唯々諾々として従わざるを得なかった通産省と日航製製造に対して、戦後初の国産機を一人前に育てようと努力している全日空と日本国内航空の関係者は腹に据えかねるものがありました。しかし、結果として、YS-11はピードモントのおかげで寿命が延びたのです。でなければYS-11-100を日本レベルで多少いじくったくらいで終わったでしょう。

  なお、ピードモント航空は、その後重量増加型のYS-11Aの開発に助言しています。

ピードモント航空YS-11一覧

 

製造番号

JAナンバー

Nナンバー

初飛行

FAA登録日

ペットネーム
1号機

2050

JA8685

N156P

1967/10/22

1968/01/28

CHERRY BLOSSOM PEACEMAKER
2号機

2051

JA8687

N158P

1967/12/01

1968/01/28

TIDEWATER PEACEMAKER
3号機

2052

JA8688

N162P

1967/12/06

1968/01/31

NEW RIVER PEACEMAKER
4号機

2053

JA8689

N164P

1967/12/26

1968/02/09

POTMAC PEACEMAKER
5号機

2056

JA8690

N169P

1968/01/23

1968/07/31

 
6号機

2057

JA8691

N159P

1968/01/31

1968/08/16

YORK RIVER PEACEMAKER
7号機

2061

JA8694

N187P

1968/02/16

1968/08/31

LONG ISLAND PEACEMAKER
8号機

2062

JA8695

N189P

1968/02/23

1968/09/19

CHEROKEE PEACEMAKER
9号機

2075

JA8718

N214P

1968/08/07

1968/09/21

NEUSE RIVER PEACEMAKER
10号機

2077

JA8721

N218P

1968/08/15

1969/04/01

ROANOKE VALLEY PEACEMAKER
11号機

2109

JA8740

N219P

1969/06/18

1969/10/01

PAMLICO PEACEMAKER
12号機

2112

JA8741

N224P

1969/06/28

1969/10/22

GRAND STLAND PEACEMAKER
13号機

2113

JA8742

N245P

1969/07/10

1969/10/30

MANASSA PEACEMAKER
14号機

2114

JA8745

N247P

1969/08/05

1969/11/10

OLD HICKORY PEACEMAKER
15号機

2117

JA8746

N254P

1969/08/05

1969/11/14

PEE DEE PEACEMAKER
16号機

2118

JA8747

N257P

1969/08/20

1969/12/04

SANTEE PEACEMAKER
17号機

2119

JA8748

N259P

1969/08/26

1969/12/16

SHENANDOAH VALLEY PEACEMAKER
18号機

2120

JA8749

N268P

1969/08/25

1969/12/22

GREAT SMOKIEST PEACEMAKER
19号機

2121

JA8751

N269P

1969/09/05

1969/12/23

OHIO VALLEY PEACEMAKER
20号機

2122

JA8752

N273P

1969/09/18

1970/01/16

PEACHTREE PEACEMAKER
21号機

2126

JA8754

N274P

1969/10/20

1970/02/06

TENNESSEE VALLEY PEACEMAKER
22号機

2040

 

N264P

1967/05/26

1975/02/01 
LANSA OB-R895より

YAJIM PEACEMAKER
23号機

2046

 

N265P

1967/09/06

1975/02/01 
LANSA OB-R907より

ITO TAI PEACEMAKER
写真集   8685

ピードモント航空の 初号機 N156P(JA8685)

1967/10/22

c/n2050 YS-11A-205 初飛行 後-500改修

1968/01/06

JA8685登録 YS-11A-205 -500改修 三井物産

1968/01/28

N156P Piedmont Airlines "CHERRY BLOSSOM PACEMAKER"

1979/01

Pinehurst Airlines (以後各社遍歴)

2001/08/28

抹消登録 フロリダ州フォートローダーデール空港で解体

初飛行  名古屋空港 撮影1967/10/22 下郷松郎 番外編2より)

ピードモント航空の7 号機 N187P(JA8694)  8694

1968/02/16

c/n2061 YS-11A-205 初飛行 後-500改修

1968/02/08

JA8694登録 YS-11A-205 三井物産

1968/03/31

N187P Piedmont Airlines "LONG ISLAND PACEMAKER"

1978/04/30

Pyramid Airlines Charter Services (以後各社遍歴)

1993/07

抹消登録 マサチューセッツ州で解体

撮影1968/04/03 東京国際空港 戸田保紀
 

 

ピードモント航空の 8号機 N189P(JA8695)  8695

1968/02/23

c/n2062 YS-11A-205 初飛行 後-500改修

1968/03/05

JA8685登録 YS-11A-205 三井物産

1968/09/19

N189P Piedmont Airlines "CHEROKEE PACEMAKER"

1979/09

Pinehurst Airlines (以後各社遍歴)

 

抹消登録 

JAMCOで仕上げ作業か 撮影1968/04/03 東京国際空港 戸田保紀


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