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航空歴史館 日本におけるベル47ヘリコプターの歴史

農林水産航空協会事業に見る国の農薬散布政策

関連  日本農林ヘリコプター株式会社
 株式会社エースヘリコプター

 

(1) 農林水産航空協会設立
(2) 農林水産航空協会の目的と事業
(3) 農林水産航空協会による調整の実際
(4) 減反による農薬散布の減少傾向
(5) 農林水産航空協会機の写真

 新 JA7476の十勝での写真    

 

農林水産航空協会事業に見る農薬散布政策    

 全日空が始めたヘリコプターから農場林野の病害虫駆除活動が次第に広まり、これに役所と政治家が目を付けぬはずはなく、戦中から農務省官僚のドンであった重政誠之代議士が派閥の河野謙三代議士と組んで、民間からは、タクシーハイヤー業界のドンであった日本交通の社長や小田急電鉄に金を出させて1961年3月に日本農林ヘリコプター(株)をつくりました。
 
日本農林ヘリコプター参照

(1) 農林水産航空協会設立

 これに呼応して農林省も独自に参入を企図し、ヘリコプターを所有する農林水産事業団を設立しようとしましたが、(多分ヘリコプター業界の反対で)つぶされ、農薬散布事業の調整団体の設置に切替えました。調整とはいいながら、補助金を餌にする利権と天下り先の確保が 第二の目的でした。

 1962年1月に社団法人農林水産航空協会が発足しました。もちろん、農薬散布に関わる全ての会社は半強制的に加入させられたはずで 、農林省からの補助助成金と会員各社会費で運営されました。                          

航空情報1961年11月号国内ニュース
航空情報1962年2月号国内ニュース

         航空情報1962年3月号国内ニュース
     

(2) 農林水産航空協会の目的と事業     

目的 農林水産業における航空機等の利用(以下「農林水産航空事業」という。)の安全かつ効率的な推進を図ることにより、農林水産業の安定生産、生産性の向上を図り、もって我が国の食料自給率の向上、国民の食の安全、生活・自然環境の保全に寄与する
事業種類 1 農林水産航空事業にかかる技術の研究・開発に関すること
2 農林水産航空事業にかかる情報収集・提供及び組織の育成に関すること
3 農林水産航空事業の安全な実施にかかる教育研修並びに機材の検定に関すること
4 農林水産航空事業にかかる試験・調査に関すること
5 その他この法人の目的を達成するために必要な事業

 最新の定款によるものですが、多分、設立時から変えていないものと思います。
 その中には、自ら 農薬散布をやるとはひとつも書いてありません。ところが、協会は1965年から川崎ベル47G3B-KH4を8機(ベル47以外ではヒューズ269C、同369E、ヒラ―UH-12E、エンストロム260C、ベル206Bを)取得しています。
 航空法による使用事業の免許を受けていませんから、研究開発が目的ですが、 農薬散布も実施していたようで、下表のように三重県や宮城県で薬散中に事故を起こしています。その運用は、日本農林ヘリコプター等に委託していたものと思われます。

登録記号

製造番号

型式 直前使用社

登録日

抹消日

備考
JA7425 2053 KH-4   65/06/12 85/12/26 朝日航洋へ
JA7426 2058 KH-4   65/06/12 86/01/08 中日本航空へ
JA7427 2059 KH-4   65/06/12 76/09/03 76/07/06三重県にクラッシュ
JA7475 2106 KH-4 三井物産 67/08/14 84/08/30 84/07/13宮城県でクラッシュ
JA7476 2113 KH-4 三井物産 67/08/30 86/01/07 日本農林ヘリコプターへ
JA7477 2114 KH-4 三井物産 67/08/30 85/12/25 西日本空輸へ
JA7570 2206 KH-4   75/04/22 86/01 四国航空へ
JA7571 2209 KH-4   75/04/22 86/01/08 インペリアル航空へ

 1978年に長野県小諸市に農林航空技術センターを設け、今でも無人ヘリによる薬散の研究などを行っていますが、これは協会の本来の事業です。
 また、本来の事業と言う意味では、航空機による薬散の地域と各社配分の調整が大きな柱です。

 

 

・ JA7425 川崎ベル47G3B-KH4  ほなみ号
撮影日場所不明 提供YM


・ 川崎ベル47G3B-KH4  JA7426 ほなみ号
撮影日場所不明 提供YM


・ 川崎ベル47G3B-KH4  JA7427 ほうさく号
撮影日場所不明 提供YM


航空情報1966年10月号国内ニュース


 ・ JA7476 川崎ベル47G3B-KH4   476
北海道十勝豊頃町で野鼠駆除作業 撮影1979/10 中西貞夫


・ JA7476 ベル47G3B-KH4
撮影日場所不明 提供YM


・ 川崎ベル47G3B-KH4  JA7477 
撮影日場所不明 提供YM


・ 川崎ベル47G3B-KH4  JA7570
撮影1968/06/01 仙台空港 中井アルバム


・ 川崎ベル47G3B-KH4  JA7571
撮影日場所不明 提供YM


・ 日本農林ヘリコプター所有機で薬散装置が農林航空協会表示
  川崎ベル47G3B-KH4  JA7356
川越基地 撮影日不明 提供YM

 

(3) 農林水産航空協会による調整の実際   調

    回顧談 片山秀次

 農薬散布は、当時全国の空中散布すべてが「農水協」管轄となり、年はじめに各会社から散布に出せる機体を登録させ、機数で割り振って散布を進めていきます。

 鹿児島県から始めて北へ散布していき、ジプシーのようだとも言われましたが、当時の散布や物輸の飛行経験があって今のヘリ従事者の技術基礎ができたと言って、決して過言ではありません。

 有償経営しなければならない事業では、そのものが親方日の丸の自衛隊などとは比べようがないくらい、技術が進みました。最近の防災ヘリなどにおいても、現場従事のパイロット、整備士はほとんど民間各社からの派遣勤務となっています。各自治体が技術者を養成するのは不可能だからです。

 私も、エースヘリコプターにいた時代に山形県防災と京都府防災に派遣されたことがあります。ラインと較べて事故の多いヘリコプターは泥臭いと言われ、全日空や東亜国内航空は早くからヘリコプター部門を切り離していました。

       

  航空情報の国内ニュースから抜粋 (年と年度の区分に注意)

・ 1962年度 航空情報1962年7月号国内ニュース

・ 1962年度 航空情報1962年12月号国内ニュース

・ 1963年度 航空情報1963年1月号国内ニュース




・ 1963年度
 
航空情報1963年6月号国内ニュース



・ 1964年 
航空情報1965年7月号国内ニュース



・ 1965年 
航空情報1965年4月号国内ニュース


・ 1965年度 航空情報1965年12月号国内ニュース



・ 1965年度 航空情報1966年2月号国内ニュース




・ 1966年度
 航空情報1966年6月号国内ニュース


航空情報1966年5月号国内ニュース

・ 1967〜1971年度 航空情報1967年1月号国内ニュース



・ 1967年度 航空情報1967年2月号国内ニュース




・ 1967年度
 航空情報1967年5月号国内ニュース


・ 1967年度
 航空情報1967年12月号国内ニュース



・ 1967年度 航空情報1968年1月号国内ニュース

・ 1970年度 航空情報1970年2月号国内ニュース



航空情報1971年4月号国内ニュース

(4) 減反による農薬散布の減少傾向     

・ 1971年度 航空情報1971年6月号国内ニュース

 米の生産調整は、1970年から開始されました。これによる水田耕作面積の減少がヘリコプターによる農薬散布にもろに影響したことを、この記事が示しています。 農林水産協会も1996年頃までに所有ヘリコプターを殆んど処分し、農薬散布の調整(有人ヘリコプター、無人ヘリコプター)、研究開発、技術指導等の特化しています。

 

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日替わりメモ2014/02/05

農林水産航空協会に見る農薬散布政策

 日本におけるベル47において農薬散布事業が大きなウエイトを占めていることは度々書いてきましたが、日本農林ヘリコプター(株)と農林水産航空協会の経緯を見ることによって、それが国の農薬散布政策と軌を一にしていることが理解できます。

 その歴史を深く掘り下げている訳ではなく、当時の航空情報の国内ニュース欄からの取材なので皮相的な紹介ですが、農薬散布に関するニュースは1967年ごろがピークで、1970年代に入るとがくんと落ちてきます。

 それだけ、他の航空ニュースが増えてスペースがなくなってきたということもあるでしょうが、米の減反政策による水田耕作面積の減少が農薬散布そのものの減少につながり、 また、ベル47よりも整備技術などが向上したジェットヘリに置き換えることで、事故も少なくなったというのが原因かと思います。

  ヘリコプターによる農薬散布の普及の功績は、第一に稲作の安定をもたらし日本の主食事情を根本から解決してくれたことですが、一方で、ヘリコプター技術の飛躍的な向上があったことを挙げなければなりません。そのことを片山秀次さんの回顧で紹介しておきました。

 都道府県の防災ヘリ、救急へり、マスコミの報道ヘリ、建設現場への物輸ヘリ等々のきびしい環境での活躍の基礎は、農薬散布時代に築かれたことを忘れてはならないと思います。しかも、航空情報が毎月国内ニュースに書かざるを得なかったベル47の事故の犠牲の上によるものであることを。

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