初期のヘリコプターを使う使用事業免許の航空会社のリストを作ると、意外なところで各社がつながっていることを発見します。
デハビランド
ダブを持っていた熊谷組が子会社の海洋航空(株)に運用を任せ、その海洋航空が東日本航空につながっているのは、東武鉄道が航空事業に参入したからです。東武鉄道は、同じ池袋の西武鉄道がデパートの上にヘリポートを設けるなど航空事業を華やかに展開していることに心穏やかでなかったのでしょうかね。
海洋航空(株)に資本参加して東日本航空に商号を改めたと資料にはありますが、熊谷組が円満に譲り渡したのか、乗っ取り同様であったのか興味あるところです。この系統のベル47で唯一写真のあるJA7060は、東日本航空発足直後の撮影ですが、東武鉄道の表示にしています。営業部を本社の埼玉県新座市でなく、池袋の東武ビルに置いているのも東武の熱意を物語っているようです。
しかし、西武が朝日航洋として発展を遂げたのに対し、東武は後に事業を共立航空撮影に譲り、空から撤退した模様です。