HOME・SITEMAP 日替わりメモ 国産旅客機YS-11の歴史総目次
YS-11強度試験機
強度試験02号機
@ 航空宇宙技術研究所における疲労試験
@ 強度試験02号機 航空宇宙技術研究所における疲労試験
疲労試験の実際YS-11の製造計画に当たっては、デハビランドH106コメットの墜落原因究明で明らかになった離着陸の繰り返しによる金属疲労という教訓が大きく影響しています。そのために、試験飛行用の2機以外に、飛べない機体01号機と02号機を作って各種のテストを行いました。
01号機は、三菱重工業大江工場において静強度試験が行われ、破壊に至るまで強度を加えられ、また、鳥の衝突や脚車輪の落下テストなども実施されました。01号機はこの試験終了後処分されています。
02号機は、胴体と翼の疲労試験は1962年から1965年まで 調布の科学技術庁航空宇宙技術研究所で行われました。胴体については、写真のような巨大な水槽が作られ、胴体に外から水圧を加えたり、中に入れて漏れを検査したりのテストをしています。
また、翼の疲労検査は、1回に付き1時間のフライトを想定し、油圧ジャッキで繰り返し過重を加えて疲労の具合をテストしました。既に知られているように、これらのテストは日本では画期的なものであり、多くの技術資料を残しましたが、特筆されるべきはYS-11の過大ともいえる強度の確保でした。
計画では、飛行3万時間を想定しているのでその範囲内に納めればいいわけですが、疲労試験では俗にばらつき係数といわれる要素を加味して、安全率6倍を掛けたそうです。つまり実質的には18万時間の飛行に耐えるまで強度を持たせたということです。
断定はできませんが、YS-11には機体構造の強度不足による破壊といった事故は発生しておらず、3万時間どころか、既に5〜6万時間の飛行を達成している機体もあります。それだけ頑丈に作ってあるということですが、一方で重量増加を招き、内装等で削らざるを得なかったものが多数あるということです。
いずれにしても、過酷な荷重に耐えた02号機は、その後の自他共に認めるYS-11の長寿を影から保証するものであり、羽田での展示と併せて思い出の中に長く生き続ける航空機のひとつであります。
(試験については、藤原 洋さんのお話しと航空技術098記載のANA YS-11研究会による「YS-11機体疲労試験の紹介」を参考にまとめました。
航空宇宙技術研究所史から (横山晋太郎さん提供)
昭和36〜39 全機静強度試験
昭和37〜38 主翼疲労試験
昭和37〜40 胴体疲労試験
昭和38〜39 前脚及び主脚疲労試験
昭和38年 鳥衝突試験
昭和39〜40 部分胴体疲労試験
昭和42〜44 A−300型部分胴体疲労試験
昭和45〜46 Aー500/600型主翼疲労試験
A 強度試験02号機 東京国際空港ターミナルビル屋上に展示 T2-2
@ 東京国際空港ターミナルビル屋上に展示し、機内公開
02号機は、疲労試験の後、日本空港ビルデング株式会社が1965年8月7日から東京国際空港ターミナルビル屋上に展示し、機内の一般公開を開始しました。
日本空港ビルデング2005年刊 東京国際空港ターミナルビル50年の歩み 年表から1965
観光案内 東京国際空港より 提供伊豫佐藤日進堂
航空情報1965年10月号より
撮影1966/09/27 赤塚 薫
元写真
国土交通省ウエブマッピングシステム1974年より
左主翼はビルのエプロン側へ張り出し、右主翼は発動機ナセルの外側で切断し、機内は路線使用機と同じような内装にして、アナウンスも流していました。観覧料は大人20円、小人学生10円でした。
右側
羽田開港60年史編集委員会は既に解散し、同誌への提供者も不明のためとりあえず無断借用です。心当りの
方の申し出を待ちます
A 日本国内航空の宣伝に JDA
提供 日本空港ビルデング株式会社
元写真
撮影1966 第1フインガーデッキから PAPPY
(拡大) 時計は9.31というのに大勢の見物客がおり、3階フロアには航空機や宇宙船の展示も
撮影1971/05/28 ET
元写真
B 東亜国内航空の宣伝に
1971年5月15日に発足した東亜国内航空の塗装に併せて塗り替えられました。 TDA
撮影日不明 KUPANBA 「しれとこ」の実機JA8776は1971//05/07に新規登録
撮影1973/12 まさやん
機体の右側とタラップも東亜国内カラーに
C 1975/01/17 ターミナルビルから撤去
関係者の話では、台風時などに左翼の張り出しが危険を感じていたそうですから、そのような管理上の問題もあって撤去されたものと考えられます。撤去後は、部品等の一部が日本空港ビルデング株式会社から各方面へ寄贈されているほかは、スクラップ処分されたということです。
JA8776実機の方は、これから31年間飛び続けまして、2003年から日本エアコミュータ(JAC)の塗装で青森県立三沢航空科学館へ展示されています。
また、ターミナルビル屋上の02号試験機が借りていたJA8611ナンバーの実機の方は、1982年から成田の航空科学博物館へ展示されています。