JA5053の経歴
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1957/06/17 |
c/n440 タイプ440-61 |
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N8467H General
Dynamics corp. |
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関谷産業が取得 |
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1959/08/19 |
東京国際空港へ到着 |
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1959/08/24 |
JA5053登録 全日本空輸にリース 定置場東京国際空港 |
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1959/09/04 |
耐空証明交付 |
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1959/09/04 |
東京〜札幌慣熟飛行で2時間16分の速度記録樹立 |
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1959/10/10 |
路線就航 東京〜大阪 〜札幌 〜名古屋 |
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1964/11 |
中日本航空にリース |
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1965/02/01 |
中日本航空が定期路線を全日空に譲渡 本機もリースバック |
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1965/09/03 |
抹消登録 |
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1965/08/30 |
N45003 General
Dynamics corp. |
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1967/ |
CV660に改修 |
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1967/03/19 |
CF-PRW
Pacifc Western
Airlines "JAFFLIN" |
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1969/09/17 |
バンクーバーで抹消登録 |
撮影1960/04
東京国際空港 エンジンスタート ET

全日空は幹線に参入できても、ダグラスDC-3では国際線から回される日航のダグラスDC-6Bには全く太刀打ちできず、せめて、日航で余剰となっているダグラスDC-4を貸して貰おうと要員訓練まで行いましたが、土壇場で断られました。
そこへ、救いの神のように現れたのが、関谷産業がジェネラルダイナミックス社から買ってアメリカに置いていたコンベアCV440(2機)でした。完全整備済みの2機は、全日空の期待を担って1959年8月19日相次いで東京国際空港へ降り立ち、17番スポットで披露されました。
全日空は、引渡を受けた2機を使って路線就航までの間に、機内騒音の少なさを立証する空中公開録音飛行(ラジオ東京)や空中名月鑑賞会など宣伝につとめ、1959/09/05の招待飛行では、東京〜大阪1時間33分の民間航空最短記録をつくりました。
就航後にも、機内結婚式を行ったりしています。なお、関谷産業からのドライリース料は月額約700万円でした。
ANA写真

ANA絵葉書


撮影1960/08 ET 頼めば機内へ入れて貰えました。よき時代でした。

撮影1962/03/13 大阪国際空港 Twinbeech


1964年バイカウントとボーイング727の導入で不要となっJA5053は僚機のJA5055とともに、経営不振の中日本航空へ貸出されました。
新明和伊丹工場で中日本向け仕様に変更か? 撮影1964 平田邦久 提供関西航空史料研究会

中日本航空時代 提供 中井アルバム

中日本航空は、名古屋〜小松、大阪〜小松線に就航させましたが、起死回生の妙薬となりませんで、1965/02/01に定期路線そのものを全日空へ移譲したため、再び全日空マークで飛びましたが、不採算路線として中止され、本機の日本での仕事が終りを告げました。
撮影1965/09 アメリカへ帰る日 東京国際空港 にがうり
