撮影日付からして、コーンス商会が酣燈社にこの写真を持ち込んだのは1963年3月以降になりますが、その時点での日本
のジェット練習機は、ロッキードT-33Aの国産は既に終了し、富士T-1Bの生産も最終段階に入っていました。
しかし、ロッキードF-104Jで超音速戦闘機時代に入っており、T-33Aに替る高等練習機として日本に提案していたものと思われます。
フォーメーション飛行 撮影1963/03 Folland Aircraft Limited
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ラインアップ 撮影1963/03
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射出座席 撮影1963/03
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FOLLANDからHAWKER SIDDELEYへ
トライデントと同じように、1963年までの表示はFOLLANDであったが、この時点で既にホーカーシドレー社に買収されており、1964年以降はHAWKER SIDDELEYに統一された。(ホーカーシドレー社は1963年まで
フォーランド名の使用を許していた。)
参考 酣燈社 世界航空機年鑑1960年版 転載許可済み
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世界航空機年鑑1965年版 転載許可済み
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日替わりメモ20100307番
○ 続々 CORNES & CO.,LTDの販促写真
更に、死蔵するには惜しいCORNES
& CO.,LTD販促写真のナット練習機を発表しました。
ただ、出版社へ持ち込まれたとはいえ、果たしてナットを本気で日本に売り込んでいたのかどうか、つまり販促写真
というカテゴリーに入るのかは少し疑問が残ります。防衛庁がFolland
Gnatを航空自衛隊練習機として検討したというニュースの記憶がないからです。
超音速ジェット戦闘機時代に入って、T-33Aを高等練習機というにはあまりにも能力不足であり、富士T-1B過程から移行する新しい練習機が求められていたのは事実です。防衛庁内にはノースロップT-38タロンの輸入を推す声が強かったようですが、すったもんだの末、T-2高等練習機の国産に落ち着いた経緯があります。
ナット練習機は、マッハ1.5の速度が可能で、機銃は30ミリを搭載し、ミサイルも携行可能、空中受油装置も備えるという練習機で、その原型であるナット戦闘機は、インドで国産されてパキスタンのノースアメリカンF-86を撃墜するなど軽戦闘機の名機でした。その練習機型ですからT-38と比較検討されてもいいように思いますが、空自には複座のF-104DJもあり、敢えてイギリス機をという空気はなかったのでしょう。
1963年の航空情報の広告ページを見てみましょう。
航空情報1963年2月号 Northrop社がT-38、F-5A/Bを2ページ見開きで宣伝
航空情報1963年3月号 Northrop社がT-38、F-5A/Bを2ページ見開きで宣伝
Cornes商会がTRIDENTを1ページ広告
航空情報1963年4月号 Northrop社がT-38、F-5A/Bを2ページ見開きで宣伝
航空情報1963年5月号 Cornes商会がTRIDENTを1ページ広告
航空情報1963年6月号 Northrop社が非常警報装置を1ページ広告
Cornes商会がTRIDENTを1ページ広告
航空情報1963年7月号 Northrop社がT-38、F-5A/Bを2ページ見開きで宣伝
Cornes商会がTRIDENTを1ページ広告
航空情報1963年7月号 Northrop社がT-38、F-5A/Bを1ページ広告
Cornes商会がTRIDENTを1ページ広告
航空情報1963年8月号 Hawker Siddeley社がナット練習機を1ページ広告
Northrop社がT-38、F-5A/Bを1ページ広告
Cornes商会がTRIDENTを1ページ広告
航空情報1963年9月号 Northrop社がT-38、F-5A/Bを2ページ見開きで宣伝
Cornes商会がTRIDENTを1ページ広告
航空情報1963年10月号 Cornes商会がTRIDENTを1ページ広告
航空情報1963年11月号 Cornes商会がTRIDENTを1ページ広告
航空情報1963年12月号 Hawker Siddeley社がナット練習機を1ページ広告
Cornes商会がTRIDENTを1ページ広告
航空情報1964年1月号 Northrop社がT-38を2ページ見開きで宣伝
てな具合で、各社の思惑や酣燈社営業の手腕などがからみあっているのでしょうが、T-38の方が優勢です。しかし、T-38もナットもTRIDENTもすべて不発に終わってしまいました。しかもHawker
Siddeley社は毎月第二表紙にグロスター アーゴシー輸送機の広告をのせているのに、これも不発で気の毒と言うほかありません。
面白がってはいけませんが、この年は、ボーング727、シュド カラベル、ダグラスDC-9、BAC111やYS-11の広告もあり、各社しのぎを削っての売り込み合戦は
、後世の歴史派マニアにとってまことに興味深いです。