HOME・SITEMAP 日替わりメモ 航空歴史館 日本におけるダグラスDC-3 1951年以降の歴史全目次t TOP
北海道にハワイアンカラー
F-12 個別機体解説 JA5058
製造番号・形式・主な経歴
北日本航空時代 北海道にハワイアンカラー
日本国内航空時代
Southern Airlinesへ売却
特殊改造について考察
1 エアリサーチ社による改造 Speed Pack
2 JA5058のエンジンが換装されていたのではないかと推定する証拠お願い
JA5058の製造番号・形式・主な経歴
形 式
c/n 4806 DC3A-375 → 〔日本〕DC3A-S1C3G ?
(運輸省航空局がS1C3Gで耐空証明を与えたのかどうかは不明)1941/8/6
Interisland→Hawaiian Airlines NC33606 "Maunaloa 9"
DC-3 の研究家Arthur Pearcy氏によると、1941(昭和16)年12月8日日本海軍機による真珠湾攻撃によって被害を受けた飛行機の中に本機が含まれています
1955
Viewmasterにコンバート
北日本航空時代 NJA
1959/11/30
丸紅飯田により輸入 東京国際空港到着 186,000$ 6,700万円
1959/12/15
JA5058登録 北日本航空
北海道にハワイアンカラー
撮影1960/01/01 東京国際空港 富田 肇
上段のスケッチは、NC33608(c/n4808)の写真から描いたものですが、JA5058になったNC3306とは番号が二つほどとんでいる僚機ですから、塗装の基本的なラインは全く同じであったと推定されます。
N3306を購入した北日本航空は、胴体のHAWAIIAN AIRLINESを同じ書体のNORTH JAPAN AIRLINESとし、その他尾翼なども原色を残したデザインとしており、胴体ラインは日本国内航空にも踏襲されました。
この塗装は、日本のDC−3全18機の中ではもちろん、中大型旅客機の中でも最も派手な部類に属します。北日本航空は、このデザインがよほど気に入ったとみえて先に買っていたJA5015及び5機のコンベアCV240もすべてこれに統一しております。
1960/01/01
1960/04/30まで日本遊覧航空にチャーター
1960/04/29
羽田から丘珠へ初フェリー(1960/04/30北海道新聞)
1960/04/30
05/15まで披露兼遊覧飛行実施(1960/04/22北海道新聞)
1960/10/20
女満別空港整備工事竣工式典に出席のため中標津空港から出発前 尾崎豊中標津町長ほかの記念撮影
出展及び記念式典のその他の風景についてはA1027参照
撮影データ不明 1960年に丘珠空港での撮影と思われる 提供はねぶた はねぶた
1961/05/14
脚故障のため丘珠空港に胴体着陸、中破
日本国内航空時代 JDA1964/04/15
合併により日本国内航空
会社名と尾翼マークを塗り替えたもののほとんど飛ぶことはなかった模様です。
1964/09/05
左エンジンカバーをはずしてプロペラを回していますが、ストッパーを置いていないので滑走テスト中と思われる、非常に珍しいショットです。
撮影1964/09/05 東京国際空港 豊島納部三
1964/10/19
撮影1964/10/19 東京国際空港 NS
1965/06/4
JA5058抹消登録
Southern Airlinesへ売却 S
1965/*/*
Southern Airlines PI-C718 僚機のJA5015(PI-C368)とともに売却
東京国際空港 撮影1965/05/23 あきあかね
東京国際空港 撮影1965/05/08 戸田保紀
拡大
特殊改造について考察 特
JA5058の特質はハワイアンの塗装を持ち込んだだけでなく、何といっても大型パノラマ窓などに象徴される日本で唯一の特殊改造機 (Viewmasterと呼ばれる) であるということです。改造はハワイアン時代に行われていたもので、同社は1941年に取得しした3機のDC-3 を1955年までに改修し、MAUNALOA 9〜11と名付けて観光機として使いました。
C/N
Hawaiian Airlines時代
その後の経歴
4806
NC33606
MAUNALOA 9
→ JA5058→ Southern Airlines PI-C718
4807
NC33607
MAUNALOA 10
→ Quickie Vacations→ Holiday Aircraft Sales & Leasing N8720
4808
NC33608
MAUNALOA 11
→ Winner Airways B-304
特殊改造機とはいいますが、航空局監修の日本航空機全集では本機はDC3A-S1C3Gとして他の機体と同じように記載されており、残念ながらどこが違うのかという公式記録を見つけることができません。
しかし、ご覧のとおり客室窓の概観からして他機とは大きく異なるし、エンジンカウリングと排気管のからみてエンジンも違うと思われますので、いくらなんでも航空局は特別の検査による耐空証明を出していたに違いないと思われます。
1 エアリサーチ社による改造ダグラスC-47系輸送機が第二次大戦終了後に大量に払い下げられ、同じく復員してきた大勢のパイロットとともにアメリカ大陸の地点間移動に革命をもたらしました。大企業が工場を各地に分散配置し、その連絡用に安いC-47をビジネス専用機と用いたのです。また、機内を豪華なダイニングルーム風にした金持ちの自家用機などもたくさん生まれました。そのためにC-47を改造して売り込むビジネスも発生したくらいです。
AiResearch Manufacturing Company(後にAiResearch Aviation Service)もC-47の改造に手を染めて成功したた企業のひとつです。同社の改造の内容は次のとおりです。
フライイング オフイス タイプ
エンジンを1200馬力のR1830-92から1350馬力のR1830-94へ換装し、最大離陸重量を1700lb、巡航速度を20mph増加させ、これをFlying Officeとして売り込みました。マキシマイザー タイプ
更に外翼へ200ガロン燃料タンクを増設し、ラダーとエルロンのトリムタブを改良し、ナセルを整形、主脚カバーと尾輪 脚柱カバー(speed pack)をつけて、ペイロードと航続距離増による経済性の向上をはかりました。そのキットをMaximizer Kitといいます。スピードパックスピードパック
主脚カバー
尾輪脚柱カバー
脚柱カバーを撤去
当時はフォードをはじめ大企業の社用機の需要が高まり、その路線に完全に乗ったわけですが、更にさらにお得意さんを喜ばせたのがVIEWMASTERへの改造でした。Hawaiian Airlinesは、そこに目をつけて改造させたものと思います。
ビューマスター タイプ
DC-3の客室窓の定格は、縦12インチ横16インチの窓が片側7個づつ14個です。
これを下17インチ57インチinの大型窓を片側2個計4個、17インチ17インチを片側4個で計8個とし、ガラスはも厚手のものに替えました。(panoramic window)
フライイング オフイス タイプ
エンジン R1830-93
マキシマイザー タイプ
脚カバー speed pack
ビューマスター タイプ
窓 panoramic windows 17in × 17in 17in × 57in-
通常タイプ
エンジン R1830-92
脚カバー なし
窓 conventional windows 12in × 16in
2 JA5058のエンジンが換装されていたのではないかと推定する証拠JA5058がpanoramic windowsとspeed packのタイプですから、エンジンもR1830-92から-93に換装されていたとするのが妥当な考え方であると思います。
R1830-92搭載の通常型と比べるとエンジンナセルの前側の形状と排気管部分の形状が明らかに違うのが分ります。
エンジンナセルの前側の形状は、開口部が小さくなり冷却空気流入量が犠牲にされているようですが、シリンダ導風板の工夫などで補っているのでしょうか。
更に-93において最も特徴的なのは、外に排気管が見えないことです。
通常タイプR1830-92系の集合排気管 JA5019
JA5058のエンジンナセル
右エンジンナセル(国内航空時代)
通常のエグゾーストパイプが突き出ているべきカウリング後部に、管が見えず、しかし、煤で汚れています。これは-93が単排気管型であったことを示します。
上記1964年9月5日撮影のエンジンカバーを外した写真を拡大してみました。模式図のように各排気管をを左右に7本ずつ振り分けています。
点火順にCIAGFLDとKEM@HBJ各シリンダーの排気管が左右に分けて下部に集められていることが分ります。
一般に単排気管型にするのは推力を得て速度向上のためと言われますが、零戦五二型のように各シリンダの直近のカウルフラップから排出すれば効果はあるでしょうが、本例のように一箇所に集めた場合にどの程度の効果が生まれたのか、流体力学の先生に計算して貰いたいところです。
参考までに、通常型の集合排気管の内部と外部マフラーの接合部がわかるイラストを載せておきます。(カナダ空軍のC-47マニュアルより)
←A collector ring tube (short)
←B collector ring tube (long)
←D collector tube
以上、写真やイラストでJA5058が特殊改造機の範疇に属することは理解していただいたと思います。中公新書「空とぶカメラマン 私の仕事史」の著者故山田照夫さんは、この機について、「眺めは素晴らしくエンジンナセルのスタイルも良くて爆音が重々しく感じられてよかった」「車輪も整形カバーで完全にカバリングされ」 と書いています。
ただ、それらのすべての改造がAiResearch Manufacturing Companyによるものかどうかは確証はありませんが、窓の拡張など機体強度に重大な影響が出る改造ですから、同社によるの単独工事の公算はつよいです。
なお、主脚と尾輪のカバーについては、日本国内航空時代には無くなっております。経歴欄にあるように1961年に胴体着陸をやっているので、このときに壊して取り外されたたものと思われます。脚カバーにより幾分かはスピードが速まるでしょうが、その割には整備のやっかいなしろものだったのでしょう。
お願い 願
JA5058については非常に推定の多い記事です。JA5058の航空局公式データを始めとして北日本航空と日本国内航空での仕様など情報を求めます。断片的なものも歓迎します。