伝説の時代から現代まで 航空史抜き書き top

 

 航空歴史館 

ゼロ三つのシコルスキーS-62A JA9000

ナンバーの先駆け争い
 

佐伯邦昭

 

 
 深い意味はありません。000というゾロ目の番号(注)を与えられた航空機の生涯を追ってみました。

日本航空機登録記号に、JA3000、4000、5000、6000、7000、8000はありますか? ありませんね。すべて*001から始めています。多分、それが数字のセオリーだからだと思うのです。

 しかし、富士航空が買ったシコルスキーS-62AのナンバーがJA9000、いわゆるゾロ目の切り番です。どういう意図があったのか、圧力があったのか、貰った富士航空の感想を聞きにいきたいところです。大阪の日東航空が買ったシコルスキーS-62AのナンバーはJA9001、日東が2を付けるのは厭だというので0と1にしたというと話しが出来過ぎですか。

 0と1はその後合併により日本国内航空で同僚となります。そして、いずれも墜落という悲しい最期を迎えました。

・ ナンバーの件について

(1) JA9000とJA9001の件ですが、新規登録の日にちはかなり違いますが、申請がほぼ同時に行われたため#1が取り合いとなりくじ引き(だとおもいました)により登録の早い富士航空が“0”遅いほうが日東の“1”になったと記憶しております。当時の雑誌のコラム欄に書かれていたような記憶がありますが定かでありません。(geta-o
 

(2) 私が、ヘリ業界に就職した会社の整備課長が、日東航空出身の方で、話を一度聞いた記憶があります。JA9000の方が、早く日本に輸入されたと航空局にお願いし、異例のJA9000になったと聞いています。(宮津)
 

 (3) 航空情報のコラムから

(注) 航空機登録記号取扱規則 http://www.mlit.go.jp/common/000110612.pdf
 9000番台は、当初は予備でしたが、初のタービンヘリコプターであるシコルスキーS-62Aの登録に当って、9000〜94999を単発タービンヘリコプター、9500以降を多発タービンヘリコプターに割り当てました。

 

@ JA9000

富士航空 JA9000 撮影1962/01/05 東京国際空港 赤塚 薫

富士航空(1952〜1964)時代の カラ― 基本的には日本国内航空も踏襲 (佐伯邦昭)

1961/03/21 c/n62013 シコルスキー社ロールアウト 
1961/06/08 JA登録 富士航空 定置場東京国際空港



日本国内航空(1964〜1971)時代

撮影1965/08/05 仙台空港 戸田保紀

1964/04/15 合併により所有者 日本国内航空 定置場東京国際空港


撮影1967/04/29 東京国際空港 PAPPY 

1968/08/06 長野県東千曲郡で墜落
1968/10/28 抹消登録




 A JA9001

撮影1961/11/05 東京国際空港 geta-o

拡大

 JA9001の日東航空時代の写真ありましたので送ります。農協の預金が1兆円を超えたイベント用に文字が描かれています。また名称も本名のパイオニアに加え「農協号」と書かれています。


参考 JA9001


朝日新聞社世界の翼1958、59年版に掲載された広告です。エンジン後部に三菱マークを画き、JA9001としていますが、この番号の機体は、日東航空がシコルスキー社から購入して使用しているので、三菱製S-62販促のための修正写真かと思われます。(三菱製は、製造番号の頭にMがつく)

S-62A JA9001
1961/06/09 c/n62015 シコルスキー社ロールアウト 
1961/08/05 JA登録 日東航空 定置場大阪国際空港

1964/04/15 合併により日本国内航空 定置場大阪国際空港
1967/04/01 神奈川県足柄町で墜落
1967/05/31 抹消登録


日替わりメモ20100422から

○ ゼロ三つのシコルスキーS-62A  JA9000

 もともと、シコルスキーがS-55の胴体にジェットエンジンを付けて、タービンヘリの試験機としたのがS-62ですが、これが意外な成功をもたらして日本では三菱がライセンス生産を始めました。その三菱製第1号機は映画「戦国自衛隊」で大活躍をしたあとに、岐阜の中日本航空専門学校A4403で余生を送っております。

お願い JA9001の日東航空時代の写真は有りませんか

日替わりメモ20100424から

○ JA9000とJA9001のナンバー争い

 日東航空のシコルスキーS-62A JA9001の写真をお願いしましたら、早速、東京で農協号として大宣伝をやっているショットを頂きました。併せて、富士航空と日東航空が、初ナンバーをめぐって喧嘩をしたらしい伝聞も寄せられました。

 両方とも西日本が本拠であり、同時期に最新鋭ヘリコプターを輸入したのですから負けられませんわな。日東には前田久吉という参議院議員の大物が社長に座っていましたから、とにかくナンバ−ワンつまり001を付けろと圧力をかけた結果でしょうし、困った航空局が先願の富士航空に前例のない000を与えて顔を立ててやったというところでしょうか。また、籤引き説もあります。このあたりの話しが雑誌のコラムに載っているらしいので、見つけた方はお知らせ下さい。(1961年3月号以降の航空情報ではないかと思います、当方その頃の航空情報の手持がありません)

「表紙絵85] JAゾロ目のグライダー '79 国際航空宇宙ショーにて



 写真手前の機体は現在わが中国航空協会が使用しているグライダーでピラタスB4。先週日曜日にも乗った私のお気に入りの機体のひとつです。注目してほしいのは2222との並び番号。コールする時に、ジュリエット・アルファ・ツゥツゥツゥツゥ、と言いにくいことこの上ないのですが、珍しいと思います。(2010423記 古谷眞之助)
 

 

 

3

TOP