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テーマイラスト 古谷眞之助

 
 
F-86D 技術ノートなど
 
F-86D総合配置図、J47-CE-17
技術ノート1  レドームの変色
  技術ノート2  岐阜基地展示場にあったF-86D 04-818204-8209を記入した疑問
技術ノート3   大津駐屯地のF-86D14-822284-8154ではないか
技術ノート4      胴体後部の空気取入口について   エンジン冷却用空気取入の試論
質問箱・技術ノート 5   F-86Dと思われますが、皆さんはどう見ますか  







 

 
技術ノート 1 レドームの変色

Tレド


  真空管式の初期コンピューターを詰め込んだ機首は、レドームの塗料が変色してしまうくらいに高熱を発していたことでしょう。
 D型のカラー写真では、レドームが真っ黒というのがほとんど見当たらないことに気付きました。また、tamaさんの指摘によりF型のノーズアンテナも黒から茶色に変色しているのわかりました。

 変化が少なく面白みがないとしているセイバードッグですが、こうしてみると技術的になかなか面白いことが発見で来そうなので、以前F型の解説に入れていた、岐阜基地のナンバー変更機を含めて技術ノートを開設しました。

 噂に過ぎませんが、F-86Dの整備員には電磁波の影響で子供ができにくく、お子さんが居ても女の子が多かったとか‥。そんなことが言いふらされるほど、コンピューターの故障が多く整備員を悩ましていたのでしょう。IRANで配線の交換をしてからは故障が減少したそうです。
 

 tamaさんから

 レドームが茶色に写っていますが、これは塗料の劣化ではないかと推測します。同様の事例はFー86Fの測距レーダーのレドーム部分(インテークリップの上部)でも確認できます。

 理由 : T-2後期型(前期型は金属製のノーズコーンに艶消しの黒色塗装)では年数が経過すると、上面部分から茶色に変色してきたからです。Tー2のレドーム塗装は初期の頃は艶消し黒でしたが、艶消し塗装時は特に退色の進みが早いように思われました。
 1985年頃にTー2のレドーム塗装の変更が有り、IRAN時に艶有りの黒(ゴム状で艶があるような黒色)になりました。艶有り塗装での劣化は艶消しより劣化が少なく思われましたが、経年変化で徐々に艶が無くなりまた艶が無くなるにつれ茶色状に変化していました。
 また同時期にFー104Jのレドーム塗装の変更が有り、つや有り黒色に変更されています。Fー104Jは塗装の煩雑さ(以前は2色で塗装されていたため)を無くすのと、塗装の劣化によるレドームへの雨水侵入防止のためです。Tー2とFー104J同時期にレドームの塗装の変更があったのは、塗料の品質を同一にするのと補給上からだと思われます。


イガテックさんから

 レーダーは強いパルス信号を発信し目標物から反射した弱い電波を受信することで目標を探知したり距離を知ったりします。
 通常の塗装には腐食を防いだり艶を出したりするために鉛が多用されていますが、レドームに通常の塗装をすると、金属成分が電波を反射したり吸収するため感度が低下します。このため金属成分を含んでいないゴム系塗料(ウレタン塗装など)で塗装しているため艶が少なく黒い色をしているものが多く変色も早いのではと思います。
 参考までにレーダーの反射波の大きさは電波放出時のビーム幅が細くても距離が遠くなると大きく広がり、対象物も表面が平らではなく拡散し、エッジなど放射方向からの信号を拾うので、とっても微弱な信号を扱っています。
 TOからF-86D機体内の機器配置のわかるページを添付しておきます。


大石治生さんから

 レドーム(電波高度計なども)には「DO Not Paint」とステンシルが書かれています。電波の透過性が損なわれるからです。
 また、航空機搭載の電子機器の場合、出力真空管(パワー管)は、飛行中は外気で冷却されるので、カバー類が熱変色するほど高温になることは無い様に設計されています。熱で回路の抵抗値が変化するし、コンデンサー類の寿命も短くなります。
 WW2時のレドームの話題として、B-29爆撃機が日本本土を空爆し帰投した際にレドームに空いた穴について調査したところ、雨雲の中を飛行した際に雨粒の勢いで穴が開いたことから、後にウォータージェットを利用した切断用機器などの開発に繋がったそうです。
   https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsmbe1987/8/1/8_1_28/_pdf/-char/ja
 当時の材質で茶色を連想するのは、ベークライトでしょうか。FRP自体はWW2時の米軍ヘルメットのインナーや銃剣の鞘で使っておりますが、乳白色の樹脂を使ってましたから、茶色の樹脂と云うのは思い浮かびません。
 私は1950年代以降に製造された対潜哨戒機(米海軍機や海自機)のレドームを見る機会が有りましたが、茶色の樹脂には心当たりがありません。風雨の影響を受ける機種部分に雨浸を受けないように特殊な樹脂を使用したのでしょうね。 ちなみに、ベークライト(フェノール樹脂)は、レーダー波などマイクロウェーブが当たると発熱します。


tamaさんから

 F-86Dのレドーム変色で色々な説が出ていますが、変色の主な原因は紫外線による塗料劣化ではないかと思います。理由はT2の場合レドーム上面から変色が進行していたからです。またレドームの材質ですが、T2はガラス繊維積層のGFRPでした。

 ベークライトではないかとの説も出ていますが、ベークライトは熱可塑性樹脂で対衝撃性に劣るため(バードストライク等の)小さい部品であれば採用の可能性がありますが、レドーム等の大型部品での採用の可能性は低いと思います。またベークライトはマイクロ波の吸収及び発熱性があるため、レドームには不適切な材料だとも思います。

クリスタルさんから

長野県麻績村の聖博物館で機首を写していました。




 

レドームの材質は、塗装剥離部分の乳白色からガラス繊維積層のGFRPと推測します。tama


 


技術ノート 2 岐阜基地展示場にあったF-86D 04-818204-8209を記入した疑問   番号変更

A 1972年 愛媛県唐小浜  かつお

 04-8209は、1968/09/13に用途廃止され、この写真はその約4年後の姿です。「鵜」のマークがいつ描きいれられたのかはわかりません。「鵜」は岐阜基地第2補給処のマークで、同処から貸し出す際に記入したものです。


B 1979年9〜10月 愛知県犬山市  TADY BEAR

 Aと同番号なのに、マークが「鵜」から第3航空団の「鯱」に変わっています。第3航空団(小牧基地)のある愛知県内の行事ということを意識して塗り替えたのでしょうか?


C 1986年2月 大阪府狭山市  カニキング
 空のむかしばなし2(1973/11大脇克司さん発行)に、浜家弘樹さんが、機首番号#1822■■をグレーで消した上に書かれていると、塗り替えを指摘していますが、この写真によって立証されました。


209を消して182を書いた痕跡と、実空の「鵜」マーク

 なぜ機番を変えたのか理由がわかりませんし、逆にAの写真から7年たっていますが、尾翼の「鯱」を再び「鵜」に塗り替えたというのも、どうも考えにくいことです。


D Bから8年後、Cから1年後の岐阜基地展示場です。
 Bと比較するとキャノピー下のレスキューマークが消えているのと、日の丸が8年間の荒れ方を示しているようですが、数字と鯱マークだけ描き直して、日の丸はそのままというのも不自然です。
 Cとは似ても似つかない印象であり、04-8182を再び04-8209に戻したようには見えません。



E 1996年3月23日 岐阜基地 消火訓練で焼却  山本晋介

 岐阜基地見学会において、撮影後しばらくして丸焼けになりました。その時に、見学者の間に機首番号の182は違う機体らしいと囁かれていたという ことです。
 胴体が分割されていて、後ろの半分は別のF-86Dのように思われます。
 前部胴体はBの狭山で182に書き換えられた機体とすると、なんとなく辻褄があってきます。


F 2002年12月 岐阜基地  ogurenko

 Dと同じ位置に置かれていますが、再塗装されてノーズナンバーの書体が細くなり、ステンシルの多くが消えているようです。Cと同じ機体なのかどうかは断定できません。


G 2003年11月 岐阜基地  佐伯邦昭


H 2004年10月 岐阜基地  にがうり


きわめて不思議な04-8182

 上に並べた写真のどれにも合致しない不思議な04-8182です。残念ながら、撮影者が場所が広島県のどこかというだけで、写した時期などを覚えていないので考証のしようがないのです。


2009/09/19 シリアルナンバー最終確認

 撤去処分のため屋外物品置場にある機体について、岐阜基地広報担当官が銘板を調査した結果、
USAF 52-3975と判明しました。よって、すくなくとも本機の胴体は航空自衛隊において04-8182として使用されたものであることが確認されました。 しかし、ナンバー変更の理由は不明のままです。

(かかみがはら航空宇宙博物館ボランティア小山澄人 撮影許可済み)

 

技術ノート 3 大津駐屯地のF-86D14-822284-8154ではないか   技術ノート3

 ロケットランチャーの両側面に154と書いてあります。この機体 14-8222 ではなく 84-8154 ではないかとも思われます。如何でしょうか。(2013/05/22 KUPANBA)

撮影1980/05 KUPANBA


ロケットランチャー左


ロケットランチャー右

 

 

技術ノート 3 胴体後部の空気取入口 について   技3 

3-1 空気取入口 NACA型の例

3-2 空気取入口 External型の例



3-3 空気取入口の用途  東京都立産業技術高等専門学校の展示館の機体から

新 排気口から胴体内を写す ABの空気取入口から外光が見えます

左側


 「A」の後方が、エンジン燃焼室の位置になり、胴体の後ろから見ると、そまま外光が見え、エンジンにつながるようなものは見当たりません。世傑第73集のF-86Kの写真説明に「後部エンジン室の冷却用空気取入口もエクスターナル型に改められている」とあり、それが正しければ「A」の空気取入口はエンジンの冷却用であることが分かります。

 
 「C」のNACA型空気取入口は、その下のステンシル文字からバッテリーの冷却用かと思われます。バッテリーは底面左右に2個あります ので、何故片面だけにあるのか不思議です。燃料槽関係の冷却用かもしれません。

右側
「B」のエクスターナル型空気取入口も「A」と同じ用途と思われます。右側には「C」はありません。

 


飯野 明先生によるエンジン冷却用空気取入の試論  飯野試論

 その後に考えてみたことをお伝えします。

1) インテイクは、恐らく燃焼器以降のエンジン上部を冷却するためかと考えられます。機首のインレットはレーダ関係、コクピットの下を通り上へ曲がっていて、エンジンが吸い込む空気と冷却する空気を流し、空気は最短距離を流れようとするので、下部はエンジン周りにも空気は流れて冷却に使えますが、上部は流れにくく、それを補うためにインレットを付けたと思われます。遷音速飛行時のインレット内の流れについて、私は知識がある訳ではないので、亜音速での想像の域であることをご承知おきください。

 また、効率よく冷却するためには導風板又はダクトを付けた方がいいのですが、胴体からエンジンを引き抜く形式ですので、それらを付けることができない又は難しいのではと思います。入れたものは出さないと流れないのですが、出すのはジェット噴流に引きずられるのはないかと思われます。

 F-86Fは、F-86Dに比べればインテイクから直線的ですし、アフターバーナもないので、必要性がなかったと思われます。

2) NACAインレットからの変更は、恐らく胴体周りの境界層の発達(流速の遅い部分が厚くなる)から、境界層外の空気流を取り込むため変更したのではないでしょうか。尾部のボルテックス-ジェネレータも後流の中でドラッグシュートを開かせるために追加されたのと同じような理由です。

 エクスターナル構造の中は、NACAインレットのままかもしれません。航空自衛隊への供与時にむき出しであったものに後からこのエキスターナル型部品をかぶせたとも考えられます。

胴体内の左側を写しています 向かって左が排気口側
 

排気口側から左側を写しています


排気口側から右側を写しています