ここに1枚の古い大きな写真があります。
縦32センチ、横44センチの大きな紙で裏を木綿で補強してあります。(恐らく)彩色してあったのでしょうが、一部を除いてほぼ退色しています。また、間接的に日光があたるような場所に長期間掲げてあったのか、上半分が薄れてしまっています。
@ 撮影場所はアメリカ マサチューセッツ州か?
裏面の左下隅にスタンプ印が見えます。イギリスかアメリカであり、MAの文字からはマサチューセッツ州の写真館か新聞社のスタジオのスタンプとも思えます。
裏面には、これ以外の手掛かりとなるものは見当りませんが、どうも英国流の繊細な感じを受けませんので、アメリカの公算がつよいです。
A この飛行機は?
機首部分に非常に特徴があるので拡大してみます。
胴体側面の文字
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原文写し |
勝手な翻訳 |
INCIDENCE
0° |
迎え角 0° |
STAGGER
0° |
上下翼にズレなし |
SWEEPBACK
4° |
後退角 4° |
DIHEDRAL
3° |
上反角 3° |
STABILIZER
+3 or -2° |
水平安定板トリム |
WT.EMPTY
7695£ |
自重 3490kg |
WT.CREW
1000 |
搭乗員 454kg (5人) |
WT.NORMAL FUEL
1410 |
640kg |
WT.TOTAL FUEL
3210 |
1457kg |
WT.NORMAL OIL
165 |
84kg |
WT.TOTAL OIL
345 |
157kg |
WT.ARMAMENT EQUIP? 2622 |
武装 1189kg |
A.C.30-311 |
役所の証明番号 ?
USAAS Serial Numbers
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下から2行目のARMAMENT EQUIPの文字からして、当機は爆撃機もしくは雷撃・攻撃機であり、機首は、爆撃手の席もしくは機銃座と思われます。すくなくとも民間の輸送機ではありません。
操縦席にはガラスの風防があり、手動のワイパーらしいものが付いています。機首側面に白くダイヤ型の部隊マークらしきものが描いてあるようですが、光っているので内容不明です。
エンジンは空冷9気筒星型で、排気は2本に集合されエンジンの下から後方へ伸びるという特異なスタイルです。プロペラとシリンダーの間には減速ギア室があるものと思われ、それを覆うカバーが花びらみたいな形状です。エンジンの後ろの流線形に成形された空間は燃料タンクと思われます。
主輪の取り付けは斜めの太い脚柱と後方支柱に加えてゴム索か空気圧かのダンパーらしきものが付いています。複葉機の時代に、こういう念のいった主脚も珍しいように思えます。
B 類似の爆撃機と比べてみると
複葉双発の爆撃機をいろいろ調べてみましたが、手持ち資料ではこの写真と同じ機体は見当たりませんでした。そこで、類似しているものを掲げておきますが、エンジンの懸架方法、機首形状、主車輪の数(2個または4個)、主脚柱の支え方等々、部分的には似ていても、全体は非なるものであり決め手に欠けます。しかし、1920年代は、まだ手づくりの時代でもあり、機体の改造は日常茶飯事でしょうから、この中のどれかが改造されたものかもしれません。
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Handley Page Hinaidi(ヒナイディ) 爆撃機
以下の写真は世界の航空機1952年4月号世界爆撃機発達史から コピーしました。著作権をお持ちの方は申し出てください。 |
Vickers Vimy 爆撃機
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Douglas T2D-1 雷撃機陸上型
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Martin MB-2 爆撃機
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Farman F-60 Goliath(ゴリアス)爆撃機
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Vickers Virginia 爆撃機
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Boulton Paul Bugle(ビューグル)爆撃機
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C 人物は日本人か? パイロットか?
左車輪のそばに立つ人物は誰でしょうか。
この写真は広島市内の某家が家財整理をした際にBanner Aviation
Inc.発行のパイパーやビーチクラフトのパンフレットと共に古物商へ渡ったもので、そのお宅の人は既に所在不明で、写真の由来も尋ねようがありません。
アメリカのどこかに額に入れて掲示したあったものを譲り受けて日本へ持ち帰
り、写真の人物を探し出して渡そうとしていたのではないかもと想像されます。
人物は、飛行機のそばで写されたとなればパイロットの可能性もありますが、複葉機の時代に洋行していた日本人飛行士は誇り高い連中ですから、こんなスタイルで撮られることはしないだろうと思うのです。もっとましな服装やスタイルを選ぶでしょう。東洋系ではあるけれども、胴長短足の日本人ではないようにも思えます。この顔に見覚えのある人はいませんか。
質 問
さて、こうして見てみまして、多分、アメリカかイギリスの爆撃機で、人物は東洋系だろうというところまでの推定はできましたが、そこで思考中断です。
一体、何という飛行機で、人物や場所が特定できないものか、断片的なお気づきでも結構ですから、皆さんのご教示をお願いいたします。
答
答え Keystone
B-3Aです 回答 さんぴんさんから
この古い大きな写真の飛行機、英米機は守備範囲外なのですが、胴体が暗色で主翼が黄色ならびに胴側のシリアルが30-311という形式からアメリカ陸軍航空隊の飛行機だろうと見当をつけました。私の持っている唯一の戦間機米爆撃機が掲載されている本Lloyd
S. Jones, 『U.S. Bombers: B1-B70』,
Aero Publishers, 1962.を見ると、キーストーンB-3A,
B-4A, B-5A, B-6Aのいずれかであることがすぐわかりました。
更に、このシリアルからキーストーンB-3Aであることが判明しました。
http://home.att.net/~jbaugher/1930.html
以下は推測で根拠は明確なものでありません。
● 撮影場所はマサチューセッツ州か?
エンジンナセルと下翼の間に写っている植物は南方系のものに見え、マサチューセッツ州の緯度では屋外で育たないと思います。従って撮影場所は低緯度地方でないかと考えます。
● 所属部隊は?
上のHPの関連ページでキーストーンB-4Aによく似た部隊マークの写真があります。部隊マークの後に機番号が書かれているのも共通しています。(写真掲載のホームページは消滅 2010/02/04)
写真の解説には残念ながら部隊名がありませんが、場所がフィリッピンと書かれています。(写真掲載のホームページは消滅 2010/02/04)
前述B-3AのHPを見ると、B-3Aは1940年まで任務配備についており、フィリッピンのニコラス・フィールドの第2観測中隊(2nd
Obsevation Squadron)が最後に装備した部隊だったと書かれています。
想像力をたくましくすると、この写真のB-3Aと上記HP上のB-4Aは同一部隊で第2観測中隊である可能性があるのでしょう。ひょっとすると、この写真もフィリッピンで撮影され、前に立っている東洋系の人間も日本人ではなくフィリッピン人なのかもしれません。
● 手動のワイパーらしいもの
上記HP上のB-3AからB-6Aの一連の写真を見ますと、はっきり写っているものはありませんが、ワイパーではなく、風防中心上端から前部胴体上をつなぐ補強用のステーのように見えます。特にB-6Aのコクピット写真では、風防上端部分にワイパーの操作装置のようなものは見えません。 (写真掲載のホームページは消滅 2010/02/04)
● エンジンの後ろの流線形に成形された空間は燃料タンク
これは全く根拠がありませんが、エンジン後ろの流線型部分は、エンジン補機、滑油タンク、燃料のリザーバー・タンクがあるのではないかと思います。総燃料量3,210ポンドから、1米ガロンにつき燃料6ポンドで計算すると、片弦あたり、約1,000リットルとなります。彩雲の増槽600リットルタンクに比べても流線型部分は小さいのでないかと思います。ノーマル・フュエルでも片弦約450リットルなので難しいと思います。
佐伯から
さんぴんさん、ありがとうございました。改めて調べてみると、1930年にキーストーンという会社のLB(light bomber
)シリーズの最終形式であるKeystone
LB-10A(ライトサイクロンR-1750 525馬力 2枚ラダー)をプラット&ホイットニーR-1690 525馬力に換装し、ラダーを1枚にしたのがB-3Aということで、36機が陸軍に引き渡されています。
陸軍は、この機体をもってLB形式をやめてBに統一しましたが、時代は単葉機への過渡期にあたり、結局安全な飛行機という以外は大した特徴のない機体だという記述もみられます。
さんぴんさんの推測の中の「フィリッピン人なのかもしれません」については、フィリッピン人は一般に背が低くて浅黒いので違うだろうという意見もありました。
広島の民家に所蔵されていた写真ですから、やはり日本に関係あるものとして持ち帰られていた公算も捨てきれず、以上で航空歴史館総目次の目的を一応達しましたので、日本航空協会航空遺産継承基金へ寄贈し、何かの機会に人物や撮影場所が特定されることを期待したいと存じます。
なお、余談ですが、寄贈の可否を相談した時に、Keystone
B-3Aでしょうと言われたことについては、協会の長島さんが1930年代の米爆撃機であろうと判断しジェーン年鑑を調べたらすぐに分かったということです。
さんぴんさんは『U.S. Bombers: B1-B70』、長島さんは『JANE'S』ということで、日本に無数の航空書籍ありといえども、まだまだ空白の航空史ありが証明されました。もっとも、両大戦の合間の米国爆撃機など書いても請けないでしょうからね。
(2008/05/08記)
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