図書室2 | 掲載03/10/28 |
評 佐伯邦昭
日本航空宇宙工業会発行 航空と宇宙 2002年9月号 10月号
わが国初の国産ジェット練習機T-1(801号機)
初号機の保存、そして修復復元へ(上下)かかみがはら航空宇宙博物館 横山晋太郎
日本航空宇宙工業会のご好意によりこの記事の写しを無料配布します。配布希望の方は佐伯まで お申し込みください。 メール(sa@hicat.ne.jpの頭にdanをつける)
「わが国初の国産ジェット練習機T-1(801号機)初号機の保存、そして修復復元へ」という長い題名のとおり、T-1の第1号機がかかみがはら航空宇宙博物館へ保存のために運ばれてくるまでの経緯をドキュメントとして振り返りながら、航空機の技術的保存の意義や、その割にはお寒い現状のことなどを詳しく述べられています。
芦屋基地にて
富士T-1A(T1F2 82-5801)とT-1B(T1F1 85-5801)の2種類の正式名称とシリアルナンバーを持つ本機は日本の産業技術史上に誇るべきものとして保存しなければならないことは関係者なら誰しもYESというでしょう。しかし、日本の風土ではそれがいかに大変なことか改めて思い知らされます。
幸いに昨年夏、芦屋基地での分解部分保存という消極的対策を免れて、各務原市の博物館倉庫に保存はされましたが、これを過去の特定の時期の姿に復元して展示するとなると、これまた大変なことのようです。一自治体博物館の手には負えないような気もします。富士重工業あたりのボランティア的な肩入れは期待できないのでしょうかね。
なお、この記事はかかみがはら航空宇宙博物館支援ボランティアの小山さんのご紹介で知り、筆者の横山さんを通じて航空宇宙工業会広報部に配布のお願いをいたしました。皆様の好意ある配慮により無料配布が実現したことにお礼を申し上げるとともに、多くの方の目にふれるよう心から期待をしています。
参考までに、予断を与えてしまうことを承知で、私の独断で記事の中の一部をここに転記しておきます。
〜何故これほどまでに801号機を遺そうとするのかを説明する必要があるだろう。それはこの機体を通して様々なことを語ることができるからである。〜試作1号機には技術開発そのものの痕跡、つまり技術との格闘の跡が残っている。試作機ほど”技術と人”が見て取れるものはないからである。
〜2年後、ようやく完成になったJ-3エンジンに換装してB型として飛行した。このこと自体、航空再開後のわが国の航空技術や航空工業の現状を如実に物語ってはいないだろうか。実際、801号機には2種類のエンジンマウントの改修後を残している。
〜そればかりではない。技術史的に見て重要なのは中島飛行機の技術がこのT-1に及んでいる点である。主任設計者内藤子生氏を介して旧海軍艦上戦闘機彩雲を始めとする戦中の技術や経験が波及しているからである。〜