図書室 掲載2003/12/12 |
評 佐伯邦昭
伊藤功一著 ミス・ビードル 高く ゆっくりと
まっすぐに 翔べ
発行日 平成15年12月25日 編 集 株式会社文林堂 航空ファン編集部 発行所 株式会社グリーンアロー出版社 定 価 1905円+税 書評
バングボーンとハーンドン両名による太平洋無着陸横断飛行については、すでに多くの著述が発表され、殊に今年には三沢市の青森県立三沢航空科学館のミス ビードル号レプリカ展示やウエナッチ市での復元機初飛行などで注目を集めました。
私は、それらにすべて目を通しているわけではありませんが、1930(昭和5)年から1932(昭和7)年にかけ青森県淋代海岸を起点として行われた五つの冒険飛行を客観的に理解しようと思うなら、本書が最適ではないかと思います。
それは、本書の原典である「高く ゆっくりと 真っすぐに 翔べ」(1981年三沢市教育委員会による自費出版)が可能な限りの資料を収集して正確を期しているということと、今回更に当時の新聞を丹念に当たるなどより詳しい資料により書き直されたものであるからです。
発行に当たっては、航空ファン編集部と数名の航空史家がチェックし、初めてお目にかかるような写真もたくさん入れてあります。
とはいえ決して固苦しい論文ではなく、誰が読んでも面白い歴史物語です。
内容は、もちろんバングボーンとハーンドンの出会いから、世界一周の挫折、太平洋横断飛行の計画と成功、後の二人の仲違いなどの紹介が主体です。
そのことを頭に入れて、私は、まず巻末にある三沢市長鈴木重令氏の「発刊に寄せて」から読むようにすすめます。鈴木氏は飛行機の歴史は人間そのものの歴史であること、そして人間こそが飛行機をして歴史を記録させる力なのだという、本書の隠れたテーマを3点にしぼって感想を綴っているからです。
なお、私の独断で印象に残ることを書いておきます。
1 エンジンのこと
ミス ビードル号のべランカ スカイロケット機は、ライト社のホワールウインドウJ-6(300馬力)エンジンを搭載していました。これはリンドバーグの大西洋無着陸横断飛行に使われたJ-5の後継です。しかし、バングボーンはこれをプラット アンド ホイットニー社のワスプエンジン(425馬力)に換装しています。燃料消費量をある程度犠牲にしても、馬力を大きくして過荷重状態での離陸を容易にしようとしたためだと言われ、結果として成功しました。
それで面白いのは、ライト社がホワールウインドウの成功に惑わされて新開発意欲がないのに飽き足らなかった社長のレンチラーと主力の技師がライト社をやめて、プラット アンド ホイットニー社を創設し、初めて製作したエンジンがこのワスプ425馬力だったからです。
プラット アンド ホイットニー社は、以後ワスプシリーズで成長しますが、一方のライト社も奮起してサイクロンシリーズを産み出し、後にカーチス社と合併して大きく成長するのです。
2 高々度飛行のこと
殆ど推測航法で飛ばざるを得ない当時の北太平洋上空をどのように克服するか、各航空士の最大の課題でしたが、バングボーン飛行士だけは当時の常識を破って高々度飛行を採用しました。霧と暴風雨を避けるためでした。高々度といっても最高5000メートル程度なので厚い雲に遭遇したり、手足が凍るほどの寒さに見舞われたりしましたが、結果としてこれも成功しました。他機は海面が見える低空飛行のために霧などを避け得なかったからです。
2001年に大阪でJAPAN AIR SHOWが計画されたときに、カリフォルニアからダグラスDC-3で参加しようとしたジョンパパスさんはミス ビードル号の逆コースで北海道女満別を目指していました。
そのDC-3の翼に除氷ブーツがないのを見て、私たちは北太平洋が乗り切れるのだろうかと心配したものでした。
しかし、本書によると、ミス ビードル号は高々度飛行ということで結氷があまりなかったとあります。確かに、氷結は或る条件の雲中で発生するといわれており、パパスさんは高度計画の中で避ける自信があったのかもしれません。
3 淋代国際空港
太平洋無着陸横断飛行に淋代海岸が選ばれた事情などは本書を読んでいただくとして、三沢村長の小比類巻要人氏が構想したという国際的飛行場に心惹かれます。良好な地形と土質を活用して東西南北の十字滑走路を建設しようというものです。しかし、それは実現せず、後年日本海軍がもっと内陸の方に三沢基地を建設しました。
いま、ミス ビードル号が発進した滑走路の中間点に立つ記念碑とレプリカは三沢村のかっての栄光を静かに伝えております。
国際空港ができずとも、それは三沢の人々の誇りであり、この張りぼてのミス ビードル号は、青森県立三沢航空科学館の高価な実物大模型よりもはるかに立派なもののように私の眼には映ります。写真は2002/07/30にがうりさん撮影