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 図書室掲載04/12/04

 

書 評   佐伯邦昭

 

編著者  水嶋永治(航空博物館コンサルティングマネージャー)
          前田 建(前田航研社長 西日本航空協会会長)
          天本壽人(元新明和工業勤務 三愛船舶設計社長)
          野口 建(元日本飛行機勤務 三愛船舶設計研究開発室長)

発 行 オフイスHANS
発行日 2004/11/03
体 裁 B5判 182ページ
定 価 2100円(本体2000円+消費税)
 
注文はFAX 03-3400-9610  mailto:ofc5hans@m09.alpha-net.
ne.jp

 

@ 新たな資料の発掘の興奮とその意義

 この本を読んでいて、私は、「日本におけるダグラスDC-3 技術編」を書くときに、DC-3やC-47のプラモデルを買い集めて組み立てたことを思い出しました。

 飛行機を操縦したこともない、整備したこともない、ラジコンすら触ったことのない男が世紀の名旅客機ダグラスDC-3の構造技術を執筆しようというのですから、私にアドバイスする専門家もあきれ返っていたことでしょう。 どうやって自分のものにしたか?

 ヒコーキマニア人生録にも書きましたが、ちょっと家族には言えないくらいのお金をDC−3関係図書に投じました。にもかかわらず、文字や図面だけではどうしても立体感覚がつかめませんでした。それで、実機観察のために北海道へ渡ったり、数種のプラモデルを組み立てたりして構造形状の理解につとめたわけです。

 青森県立三沢航空科学館の目玉の一つとして復元された航研機は、そのきっかけは青森に縁のある航空人の業績展示ということですが、この本を読んでいくと、県とのゆかり等を越えて未知の分野開拓と試行錯誤の過程において、私の経験と似たようなところがあるなと思いました。

 比較するだけ野暮だという影の声を無視して言わせていただければ、私の場合はDC-3の図面や構造解説はたくさんあって、ただ立体感を求めるだけものでしたが、航研機復元の場合は、記録飛行成功時の機体の形状、構造、塗色、できうれば製作方法をも求めていこうということで、大小の資料がパラパラとありはするものの、線でつながるものが皆無という悪条件の中での追究でした。

 結果として、思いがけず新たな資料を発掘したり提供されたりして、相当の部分が判明し、そこから類推できることを形にあらわし、どうしても不明なところは不明として記録し代替え措置で間に合わせて、現在、見られるような原寸の航研機復元模型ができあがったのであります。 そこに興奮と喜びと同時に技術解明の学術的意義を認めることができます。

 それらの過程を豊富な写真とともに克明に記録したのが本書であります。

 

A ドキュメントとしての興味

 ですから、少なくともヒコーキに関心のある人なら、この本は非常に面白いドキュメントとして読み進むことができると思います。

 主執筆者の水嶋氏がはじめから終わりまで中国やわが国の古典を引用しているのがさも哲学的で鼻につきますが、こうしたプロジェクトは例のNHKの番組が主題としているように人間ドラマそのものであり、葛藤と強行と妥協の不連続線みたいなものですから 哲学を披露したくなる氏の気持ちはわからないでもありません。

  上の編著者名に経歴などを添えておきましたが、、青森県庁の役人と水嶋氏の出会い、九州の前田氏や三愛船舶設計という航空技術者が起こした船の会社に作らせるに至った経緯もドラマチックです。ただし、多分に粉飾くさいですが、船会社にやらせたのも成功の一原因だとも書いてあります。

 もちろん、復元の技術的な面についてははかなり興味を惹かれます。飛ばすものではないですから、一部に批判の対象にされている操縦席やリベット省略(接着剤をつけはめ込んでいるだけ)などもやむを得ないかなと思いますし、CADで製図したり、レーザーでアルミ板をカットしたり、ロケットのノーズコーン製造工場でプロペラスピンナーを木型から作ったなどは、昔はどうしていたのだろうという疑問の提起もあったりして、なかなか面白いです。

 

B 航研機復元模型は成功か

 さて、航研機復元模型は成功だったのでしょうか。著者は一様に成功の感激にしたっておられる様子ですが、いかがでしょうか。

 少なくとも、このプロジェクトによって数々の新しい発見があり、それが逐一記録された点において大きな意義を認めるのにやぶさかではありません。ただ、原点に立ち返ってみると、航研機自体が日本の航空科学技術発展にどれほど寄与したのかが、私にはよくわからないので、皆さんが航研機を熱心に掘り起こすほどには感激がないのです。

 例えば、「類い稀なる 外観上でのアピールする部分は引込み脚である」と専門委員の大柳繁造氏が強行に主張して左主脚を引込み可動式にしたとあります。実機では搭乗員が手でハンドルを回して上げ下げするものであり、アメリカでは既にDC-2が油圧の引込み装置で飛んでいる時代に、人力式が「類い稀」とはものも言いようです。しかも富塚清氏が「記録的愚作、失敗作」と呼んだ装置を手直しして実用化した程度のしろものですが、そういうことはこの本には書いてありません。

 もし、航研機がナンバーをつけられる飛行機、つまり安全性や耐久性が航空局の基準に達して耐航検査証を受けられるほどのもの、もっと言えば陸海軍の航空廠が注目する飛行機であったら、その後の航空工業に与えた影響ははかりしれないものがあったでしょう。ただ単に航続距離のみを目的として、それで世界記録を生んだといっても、一種のサイボーグに過ぎないのではないでしょうか。

  実機の製造に当たっては、当時の航空機メーカーに門前払いされた挙句東京瓦斯電気工業という木製軽飛行機の経験しかない会社に作らせたように、復元模型においても事実上 大メーカーに門前払いされて、九州の前田さんに決まっています。大企業の横柄な態度も問題ありですが、思い付き制作決定にも大いに問題ありです。

 私は、この本のどこにも予算決算がでてこないのを非常に不信感をもちます。おそらく全額を青森県民の税金でまかなわれたはずです。県民に決算報告があったのでしょうか。成果品を納入し検査に合格したからおしまいでは、後に続くものの参考にも何にもなりません。 製作の中でドイツなどから機械工具等を購入しています。これらの所有権は今はどこにあるのでしょうか。鷹揚なご性格の青森県の方々ですから、関係ないよとおっしゃるのでしょうか。

 私のところには、三沢の航研機と呉の零戦で中間搾取があるというような物騒なメールがきます。そんなことはないし、むしろボランティアとしての活動を差し引いたら大赤字ではないかと勝手に想像しておりますが、とにかく不信感を抱かせないようにどこにどれだけの経費がかかったのか大雑把にでも明らかにすべき義務があります。

 

C 結論 DC-3とYS-11を並べて置いてくれたら‥

 予算がわからないので、断定はしませんが、随分苦労して、一から航研機を作り上げるよりも、そのお金で、当時、北海道深川市に曲がりなりにも健在であった元全日空のダグラスDC-3を引き取って修理展示していたら、 あまり一般的でない[幻し]の名機よりも数十倍の歴史的価値を生んでいると思います。

 なぜなら、ダグラスDC-3は長距離旅行に革命をもたらした[幻しならぬ]名機であり、しかも日ペリと全日空のDC-3が三沢を経由して東京と札幌を結び、青森県には特になじみのある飛行機だからです。もちろん、深川のJA5024も 三沢に何百回となく降りていたはずです。

 博物館のYS-11の隣にDC-3を並べてやれば、戦後日本の空を飾った二大名機として三沢は航空史上でも科学技術史上でも社会史上でも、それこそ類い稀なる博物館として名声をほしいままにしたでしょうに。

 書評が横道へそれてしまいましたが、まあ、そんなことを何かと考えさせてくれる本ですし、人間ドラマとしても、現代の手造り技術理解のうえでも、一冊書棚に入れておいて損は ありません。