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図書室18 掲載2005/03/13

評 佐伯邦昭

 

ある航空機整備士の生涯

へのチャレンジ

藤浪 修

発 行 文芸社
発行日 2005/03/15

定 価 1700円
 


 


夢を追い続けた男の一生

仁 徳 夢

 「全日空」整備物語

浅倉博追悼本出版委員会
発行1998/08/10 非売品

 

  このたび発刊された「空へのチャレンジ」は、7年前に浅倉博追悼本出版委員会によって自費出版された「仁徳夢」を販売用に装丁し直したものです。内容はほとんど同じです。

・ 航空整備士のイメージ
 何年か前に「仁徳夢」を読んだ感想は、浅倉という人物によって航空整備士のイメージががらっと変ったということです。

 話が飛びますが、「仁徳夢」を読んでからは、私が航空映画の五つ星として推薦してやまなかったTWELVE O'CLOCK HIGH(頭上の敵機)に やや問題を感じるようになりました。もちろん名画であることに異論はありませんが、或る一面が抜けていると気がついたからです。

 グレゴリーペック隊長に精神を叩き直された第918爆撃隊のパイロットたちは、翌日も出撃、そのまた翌日もという強行軍に耐えていきます。その無理を強いてきた隊長が部下の信頼を得ながらもついに心に異常をきたすまで‥‥。 搭乗員と事務の副官サイドから描いたこのストーリーは実に迫力があります。

 しかし! しかしです。強行軍で疲労しているのはB-17も同じです。傷ついて帰投してきた爆撃機を翌日も飛べるようにしたのは誰でしょうか。いとも簡単に離陸出撃していく編隊のシーンを見ながら、私は戦時下の整備士 、特にその指揮官の苦労を思わずにはおれません。或る一面が抜けているというのはこのことです。「仁徳夢」を読んで気になりだしたわけです。

 もとより、ヘンリーキング監督はそんなことは百も承知であり「裏方まで描いていたら映画にならんのだよ、君」というかもしれません。およそ航空映画 にしろ航空小説にしろ9割9分はパイロットが花形として登場しますから、整備はあくまで裏方なのでしょう。

 ここまで書けば、もう佐伯の言わんとすることはお分かりでしょう。全日空機は、成田でも羽田でも伊丹でも乗客を降ろした後に完璧に点検整備してくれる整備員がいるからこそ、クルーは安心して搭乗し、離陸して行きます。

 前書のタイトルが「仁徳夢」とあるのは、 仁と徳で人に接し、たゆまぬベンチャー精神で夢を実現させつつ遂に副社長まで登りつめた浅倉博さんを敬愛してやまない方々の気持ちを表しています。誰が読んでも生まれ変わったらこういう上司の下で働きたいという気分になるでしょう。その点で優れた伝記文学です。

 かわって本書が「空へのチャレンジ」とされたのは、浅倉博さんを書きながら、実は整備部門から見た全日空発達史を兼ね備えているという意味だと思います。単なる伝記ではありません。整備士の人間ドラマにスポットライトを当てながら航空史に切り込むという本が販売されるのは、日本では稀有(けう)のことではないでしょうか。

 整備士というと、失礼ながら昔は「油まみれのつなぎの作業服」を想起するイメージでした。もし、いまだにそんな感じから抜けきらない人は、すぐに「空へのチャレンジ」を買ってきて読まれるように薦めます。飛行中のトラブルはコンピューターで整備本部へ連絡され、降りてくるまでに修理の準備はできている、今は当たり前のシステムですが、こういうことをひとつひとつ築きあげていったのが浅倉さん達でした。

 初期のダブ、へロン、DC-3を経て、CV-440、バイカウント、フレンドシップ、727、トライスター、737、767、747、777と矢継ぎ早に決めていくのは何も役員さんだけの舞台ではないのです。この本を読んでみると、浅倉さんをはじめとする整備部門が、それらを入れても十分やっていけるような組織や品質管理や施設 やマニュアルを苦労しながら整え、社内で強力に発言していった様子がよくわかります。

 特に各機体のジェットエンジン選定過程で浅倉さんが果たした役割は歴史に残るもの でしょう。

・ クライマックス
 ボーイング777は、航空界始まって以来といわれる旅客機のWorking together  つまり運用者の全日空が設計段階から参加してユーザーのための旅客機というコンセプトで生産され、その成功で、全日空の底力が世界に認められました。

 ボーイング社が全日空にそのWorking togetherのコンセプトを持ち込んできた影には、浅倉さんとボーイングとの長い人間関係があったようです。

 1992年に、既に退職していたにもかかわらず、浅倉さんはボーイング777のロールアウトに招待されました。式典において、727以来の数々の思いが胸を去来したであろう し、整備を通じて明日の技術を追求し続けてきた人生の答えを出されたのではないでしょうか。思えば苦労の末の幸せなクライマックスでした。

・ 酒
 立川で隼を整備し、中島で疾風に携わった浅倉さんは酔うと必ず加藤隼戦闘隊を合唱して宴会を終えたそうです。無類の酒好きは外国へ行っても遠慮しなかったとか。

 給料は出なくとも酒は飲むという浅倉さんに感化された部下がまだたくさんおられるようですが、もう酒はほどほどにしてくださいよ。今で言えば浅倉さんの享年73歳(平成9年)というのは若死の部類ですから。

・ 苦 言
 表紙の帯に、日本の民間航空界裏面史と印刷されていますが、何をもってこの本を裏面史というのか理解に苦しみます。裏方扱いは映画だけで結構です。

・ 推 薦
 ともあれ、浅倉博さんの徳に預かるとともに戦後民間航空の証言資料として自信をもって本書を推薦します。なお、執筆している方々(もちろん浅倉さんの部下)は文筆家ではありませんので、構成や文言については批評の対象外としました 。