この2本の番組のプロデューサーは山崎啓明で、制作総括が
(前作)松居啓(後作)塩田純、ナレーションが(前作)二宮正博アナウンサー(後作)松平定知キャスターとなっています
。
後作の内容では、前作にあった東京大学鈴木真二さんのインタビューと実験、それに
横須賀航空隊でのふたつの空中分解事故のうち最初のがカットしてあります。その分時間を短くして、よりドラマティックに盛り上げる演出になっています。
この二作のプロデューサーや制作総括者がどんな人物か知りませんけれども、印象としては、センセーショナルな視聴率至上主義者であり、かつ、後作では、前作をよく検討して角度を変えてみるとかの発想も能力も無い凡庸な職員さんたちとしか思えません。
凡庸な職員に何を言っても無駄ですので、黙っていようかと思ったのですが、
番組に登用された柳田邦男さんの発言にはどうしても黙っていることができず、それで批評する気になりました。
番組には約10人の実在人物が録画で登場しインタビューに答えています。その殆どの人が言葉を選びながら注意深く発言し、決して断定的な言い方をしていないのに対して、柳田邦男さんは日本海軍組織を悪と決め付ける一方的な見解を臆することなくしゃべっております。
それは、二宮アナウンサーや松平キャスターの語りを補強する形で挿入され、柳田発言が番組の内容を凝縮もしくは番組の意図するところを代弁しております。そこで、聞き取れた全文
と私の批評を書いておきましょう。
@ 曽根ノートについて
柳田 : きめ細かいところで起こってくる問題点が一部始終が手に取るように書いてあるのですね。長い期間の零戦の歴史がこれでわかると言っていいくらい、とても貴重な資料だと思います。
佐伯評 : 曽根さんの8年間にわたる零戦ノートは、ちらっちらっとしか写されませんが、それでも問題点だけ書いてあるのではなく、零戦設計の諸元数値や部分スケッチなど細部を備忘として記録しておく意図であったように見えます。問題点のみが書いてあるような言い方は如何なものでしょう
か。
A 二号零戦の翼端を角型にしたこと、それがラバウルで通じなかったこと
柳田 : 戦略的にいえば大変な失敗な訳です。それを海軍航空本部は考えないで計画に実施に移した上で責任も取らないわけですね。そこで日本海軍航空は挫折が始まるわけですね。
ですから零戦の歴史を見るとその問題が最初の挫折であると同時に日本海軍航空作戦の大転換のいわばさきがけといっていいくらいの問題を含んでいたわけです。
ところがその問題を海軍航空本部で責任を取らない、海軍大臣も過去に対して責任を問わない、こういうあいまいなままでずるずると先へ進めていくという当時の日本軍の最も悪い体質というのがここに見られるわけですね。
佐伯評 : 栄21型搭載の二号零戦は、堀越技師が病気のため本庄技師が担当しました。主翼を12mから11mに縮め、翼端を角型にし、発動機大型化のあおりで胴内燃料タンクが縮小されました。それが戦略的な大失敗だと柳田さんは言います。
ガダルカナルへの長距離作戦を余儀なくされていたラバウル航空隊が航続距離の落ちた二号零戦に異議を唱えたのは事実ですが、そこだけ捉えて後の日本海軍航空壊滅につながる戦略的大失敗と断言できるのでしょうか?
翼端折り曲げの廃止で生産性が向上したり、操縦性もよくなり、他の戦線では評価されたのではないでしょうか。
二号零戦の計画時にはガダルカナルに米軍反抗が始まろうとは海軍の誰一人考えていなかったのだし、番組では触れていませんが、ラバウルの進言を入れて、病癒えた堀越技師の手で再び12mの丸型翼端に戻しています。日本海軍の挫折とか航空作戦の大転換(悪い方へ)という表現は誇張しすぎではないでしょうか
B マリアナ沖海戦の大敗北(防弾のないタンクや操縦席を狙い撃ちにされて撃墜されたこと)
柳田 : 大戦中の零戦の歴史を見ますとですね、日米の人命に対する違いとか文化の違いが鮮やかに見えるんですね。戦争をするときに兵士の操縦士の命を守らないからその経験が生かされない、あるいは次の戦いで補うことができないのです。
なにしろパイロットを養うというのはそれだけの年月が必要ですし、また戦闘を繰り返せば繰り返すほどベテランになっていくわけですから、それを守らなかったら、戦はもう尻すぼみになるっていうのがわかりきっているのに、敢えて日本の海軍はそれを守らなかったのですね。
日本海軍は敢えて人命を無視してとにかく大和魂で行けというですね。撃ちてし止まんという掛け声だけで戦争を続けていったということですね ここに日本とアメリカの生命感の違い文化の違い、それが直接作戦に現れていたということです。
佐伯評 : 結果だけで論ずるとこういう話になるという典型です。日本軍隊の根幹に撃ちてし止まんの大和魂が流れていることは否定しませんが、日本海軍がそれだけで戦争に臨んでいたとする柳田説は笑止の沙汰です。
緒戦で無敵の性能を誇った零戦を兵士の命を守らない欠陥戦闘機であるなどとよくも言えたものです。操縦席の防弾鋼板やタンクの防弾(ゴム)装置などを、はじめから零戦に考えていたら、心血注いでグラム単位で減量を計った設計そのものが成り立ちません。また、
途中からでもそれを装備すべく設計変更すべき
というのは、言葉では言えても、基本から図面を引き直せるような悠長な戦局でなかったことを考えるべきです。敢えて言うなら、別の戦闘機の設計を遅延させた歴史をこそ掘り起こすべきであり、零戦については筋違いです。
私は、52型についても、機体そのものの優劣は別にして、それに注ぐ力を別機種の雷電や烈風に早く振り向けるべきであったのではないかと思っています。
番組のクライマックスのひとつに、源田中佐が精神論をぶって会議を終わらせたというのがあります。議論が平行線をたどって会議がだらけてきたら誰かが一発活を入れるというのはよくあることで、防弾鋼板採用による重量増加に対して、どう性能を維持するか誰も名案が浮かばなければ、どこかで会議を打ち切るしかないではありませんか。彼も性能向上なしに大和魂だけで戦争に勝とうなどと心の底から言っているわけではないでしょう。
C 再び曽根ノートについて
柳田 : こうして60年前の古びかけた資料であってもですね、丁寧に読み取るとやはりここには現場の技術者の苦労と、しかもいくら苦闘しても乗り越えられなかった問題というのがにじみ出ているんですね。
それは何かといえば、海軍という組織が自分たちの画いている作戦思想なり技術開発なりがかなり誇大妄想的なものであって、たくさんのマイナス要因や失敗を含んでいるにもかかわらず、それを直視しないで、そして次々と新しい要求を出していくという、こういう構造自体が問題だったわけですね。
ひとつの大失敗があった時に、その失敗の原因がどこにあったかを分析しない、失敗を生かさないために更に失敗を重ねる、失敗の再生産みたいな形が日本の軍の組織論として最も重大だったわけですね。そこのところがこのノートからそくそくと伝わってきます。
佐伯評 : 官が発注して民が製作する、外から見れば意思疎通の欠如や、官の横暴ばかりが目につきます。しかし、誇大妄想と思われた要求が、技術者の努力で実現してしまった例は枚挙に暇がありません。生死を分けて戦っている前線の硝煙の中から突きつけられる過大な要求にいかに応えていくか、海軍航空本部も必死に戦ったはずです。
20mm機銃や住金で試作段階の超超ジュラルミンが採用されたり、操縦系統の剛性低下という常識破りの提案が受け入れられたのは海軍の懐の深さではなかったでしょうか。
番組では横空の二度の空中分解事故による対策すら、曽根技師らの意に反して応急措置しか取られなかったと強調していますが、その後同様の事故が発生しているのでしょうか。既に試作機段階で中国戦線へ送って大戦果を挙げているではありませんか。失敗が無かったとは言いませんが、失敗を再生産したというのは何を根拠にするのでしょうか。
佐伯の結論
はじめに書いたように柳田さん以外の人は慎重に言葉を選んで発言しています。私が特に注目したいのは、「提案が撥ね返されるのは戦争だからでしょう。性能のよい飛行機を作って相手をやっつけるんだということですよ」「いくら丈夫に作っても、任務の遂行のためには払うべき犠牲もある。何のための零戦か、目的を
果せないじゃしょうがない」といった発言です。
柳田氏は曽根ノートから海軍の組織的欠陥を読み取るといいますが、番組に登場する実在人物のこのような言葉どう受け止めているのでしょうか。
更には、小出しに見せる曽根ノートで、確かに「欠陥」や「未解決」という文字をたびたびクローズアップしますが、その前後の記述を公平に見てみないと、曽根さんが本庄さんや堀越さんとどう対処していたかの空気がわかりません。一方的映像で誘導している気配が濃厚です。
柳田邦男さん、一技術者が科学的良心で書き綴ったメモを海軍への恨み節ノートみたいにしてしまった一方的演出をどう思いますか? できうることなら、曽根ノート8年間分を隅々まで分析して、恨み節ではない科学的な零式艦上戦闘機論を出していただけないでしょうか。。
なお、私は海軍省擁護論者でも源田ファンでもありません。航空史を客観公平にみて、正しく伝えるべきだという素朴な気持ちの一ヒコーキマニアです。