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24 テレビ時評

追加06/07/10
掲載06/04/05

 

柳田邦男さんに問う

なぜ歴史の一方的演出に加担するのですか

 

序 論 

NHK的歴史の一方的演出

 「その時歴史が動いた ゼロ戦設計者が見た悲劇 秘蔵メモが語る」をみました。

 感想は、零戦という稀代の名品を日本国民に知らしめるというアナウンス効果はかなりのものと認めます。

 しかし、そのアナウンスたるや、またもや一般請けのする都合のいい部分だけを誇大に取り上げる「NHK的歴史の一方的演出」の繰り返しを見せ付けるだけでした。

 ゼロ戦開発に関する一番詳しい資料が出てきたという冒頭の曽根ノートの写真とナレーションからして既にうさんくさい臭いが漂います。それは、多分立派な資料なのでしょうから、 昔のストリップショーみたいにちらっちらっと小出しに見せるようなことをせず、全てを分析して客観公平な零戦開発・製作史をつくるという心構えを示すべきで した。しかし、番組では、制作者の狭い視野で演出効果のある部分だけをちらつかせただけです。

 ゲストの柳田邦男氏がまた上手く利用されています。
 「海軍は戦略的には大変な失敗 - 失敗しても責任を取らせないから - そこから挫折がはじまる」
 「操縦士の命を守ることを 敢えて日本海軍は無視し 掛け声だけで戦争を続けていった」
 そのノーテンキ海軍の典型として源田実氏を出しています。うまく演出されているので、一般の人は100パーセント信じてうなずいてしまったでしょう。
 現に私の友人は、源田実という男は、権威をかさにきて技術者に高圧的にあたり、精神論をぶって零戦の改良を阻止した悪い軍人だったのだなあという感想を伝えてきました。なるほど、松平キャスターの話ではそうなっていました。

 源田氏にはそういう面もあったのかも知れません。しかし、すくなくとも彼と堀越二郎氏の著書を読んでいれば、精神論ばかりを唱えて零戦の改良を阻止した軍人という単細胞な評価で 一方的に処断される人物でないことはわかるはずです。  

 この番組の組み立て方からすると、 日本海軍は、
 曽根技師たちの危惧を無視して零戦の安易な改良しかしなかった、だから
 ⇒ ガダルカナル空中戦で負けた、
 ⇒ マリアナ沖海戦で大敗北を喫した、
 ⇒ 零戦を特攻に向けざるを得なかった、
 ⇒ 敗戦につながった
という因果関係で流してあります。では、それを裏返しにすると、曽根技師たちの意見のとおり改良していたらなら、
 ⇒ ガダルカナルの空中戦にも勝った、
 ⇒ マリアナ沖海戦にも勝った、
 ⇒ 特攻は必要なかった、
 ⇒ 日本は勝っていた、
ということになります。

 松平キャスターと柳田氏の言葉を聞いていると、そのように受け取らざるを得ません。これがNHKの歴史観なのでしょう。まさにNHKによって歴史が動き (創造され)ますね。

 いずれにしても、ドキュメンタリー番組として一方的演出を垂れ流すのはやめてもらいたい。日本国民は嘘で塗り固めた大本営発表と同じように洗脳されます。NHKには猛省を促します。


 
 
 

本 論

 NHKが半年の間に、2本のゼロ戦ものを作って流しました。 

NHK教育テレビ 2005/08/13放映

ETV特集 ゼロ戦ニ欠陥アリ

NHK総合テレビ 2006/03/08放映

その時歴史が動いた ゼロ戦設計者が見た悲劇

 この2本の番組のプロデューサーは山崎啓明で、制作総括が (前作)松居啓(後作)塩田純、ナレーションが(前作)二宮正博アナウンサー(後作)松平定知キャスターとなっています 。

 後作の内容では、前作にあった東京大学鈴木真二さんのインタビューと実験、それに 横須賀航空隊でのふたつの空中分解事故のうち最初のがカットしてあります。その分時間を短くして、よりドラマティックに盛り上げる演出になっています。

 この二作のプロデューサーや制作総括者がどんな人物か知りませんけれども、印象としては、センセーショナルな視聴率至上主義者であり、かつ、後作では、前作をよく検討して角度を変えてみるとかの発想も能力も無い凡庸な職員さんたちとしか思えません。

 凡庸な職員に何を言っても無駄ですので、黙っていようかと思ったのですが、 番組に登用された柳田邦男さんの発言にはどうしても黙っていることができず、それで批評する気になりました。


 番組には約10人の実在人物が録画で登場しインタビューに答えています。その殆どの人が言葉を選びながら注意深く発言し、決して断定的な言い方をしていないのに対して、柳田邦男さんは日本海軍組織を悪と決め付ける一方的な見解を臆することなくしゃべっております。

  それは、二宮アナウンサーや松平キャスターの語りを補強する形で挿入され、柳田発言が番組の内容を凝縮もしくは番組の意図するところを代弁しております。そこで、聞き取れた全文 と私の批評を書いておきましょう。


@ 曽根ノートについて

柳田 : きめ細かいところで起こってくる問題点が一部始終が手に取るように書いてあるのですね。長い期間の零戦の歴史がこれでわかると言っていいくらい、とても貴重な資料だと思います。

佐伯評 : 曽根さんの8年間にわたる零戦ノートは、ちらっちらっとしか写されませんが、それでも問題点だけ書いてあるのではなく、零戦設計の諸元数値や部分スケッチなど細部を備忘として記録しておく意図であったように見えます。問題点のみが書いてあるような言い方は如何なものでしょう か。


A 二号零戦の翼端を角型にしたこと、それがラバウルで通じなかったこと 

柳田 : 戦略的にいえば大変な失敗な訳です。それを海軍航空本部は考えないで計画に実施に移した上で責任も取らないわけですね。そこで日本海軍航空は挫折が始まるわけですね。
 ですから零戦の歴史を見るとその問題が最初の挫折であると同時に日本海軍航空作戦の大転換のいわばさきがけといっていいくらいの問題を含んでいたわけです。
 ところがその問題を海軍航空本部で責任を取らない、海軍大臣も過去に対して責任を問わない、こういうあいまいなままでずるずると先へ進めていくという当時の日本軍の最も悪い体質というのがここに見られるわけですね。

佐伯評 : 栄21型搭載の二号零戦は、堀越技師が病気のため本庄技師が担当しました。主翼を12mから11mに縮め、翼端を角型にし、発動機大型化のあおりで胴内燃料タンクが縮小されました。それが戦略的な大失敗だと柳田さんは言います。

 ガダルカナルへの長距離作戦を余儀なくされていたラバウル航空隊が航続距離の落ちた二号零戦に異議を唱えたのは事実ですが、そこだけ捉えて後の日本海軍航空壊滅につながる戦略的大失敗と断言できるのでしょうか?

 翼端折り曲げの廃止で生産性が向上したり、操縦性もよくなり、他の戦線では評価されたのではないでしょうか。 二号零戦の計画時にはガダルカナルに米軍反抗が始まろうとは海軍の誰一人考えていなかったのだし、番組では触れていませんが、ラバウルの進言を入れて、病癒えた堀越技師の手で再び12mの丸型翼端に戻しています。日本海軍の挫折とか航空作戦の大転換(悪い方へ)という表現は誇張しすぎではないでしょうか


B マリアナ沖海戦の大敗北(防弾のないタンクや操縦席を狙い撃ちにされて撃墜されたこと)

柳田 : 大戦中の零戦の歴史を見ますとですね、日米の人命に対する違いとか文化の違いが鮮やかに見えるんですね。戦争をするときに兵士の操縦士の命を守らないからその経験が生かされない、あるいは次の戦いで補うことができないのです。
 なにしろパイロットを養うというのはそれだけの年月が必要ですし、また戦闘を繰り返せば繰り返すほどベテランになっていくわけですから、それを守らなかったら、戦はもう尻すぼみになるっていうのがわかりきっているのに、敢えて日本の海軍はそれを守らなかったのですね。
 日本海軍は敢えて人命を無視してとにかく大和魂で行けというですね。撃ちてし止まんという掛け声だけで戦争を続けていったということですね ここに日本とアメリカの生命感の違い文化の違い、それが直接作戦に現れていたということです。

佐伯評 : 結果だけで論ずるとこういう話になるという典型です。日本軍隊の根幹に撃ちてし止まんの大和魂が流れていることは否定しませんが、日本海軍がそれだけで戦争に臨んでいたとする柳田説は笑止の沙汰です。

 緒戦で無敵の性能を誇った零戦を兵士の命を守らない欠陥戦闘機であるなどとよくも言えたものです。操縦席の防弾鋼板やタンクの防弾(ゴム)装置などを、はじめから零戦に考えていたら、心血注いでグラム単位で減量を計った設計そのものが成り立ちません。また、 途中からでもそれを装備すべく設計変更すべき というのは、言葉では言えても、基本から図面を引き直せるような悠長な戦局でなかったことを考えるべきです。敢えて言うなら、別の戦闘機の設計を遅延させた歴史をこそ掘り起こすべきであり、零戦については筋違いです。 私は、52型についても、機体そのものの優劣は別にして、それに注ぐ力を別機種の雷電や烈風に早く振り向けるべきであったのではないかと思っています。

 番組のクライマックスのひとつに、源田中佐が精神論をぶって会議を終わらせたというのがあります。議論が平行線をたどって会議がだらけてきたら誰かが一発活を入れるというのはよくあることで、防弾鋼板採用による重量増加に対して、どう性能を維持するか誰も名案が浮かばなければ、どこかで会議を打ち切るしかないではありませんか。彼も性能向上なしに大和魂だけで戦争に勝とうなどと心の底から言っているわけではないでしょう。


C 再び曽根ノートについて 

柳田 : こうして60年前の古びかけた資料であってもですね、丁寧に読み取るとやはりここには現場の技術者の苦労と、しかもいくら苦闘しても乗り越えられなかった問題というのがにじみ出ているんですね。
 それは何かといえば、海軍という組織が自分たちの画いている作戦思想なり技術開発なりがかなり誇大妄想的なものであって、たくさんのマイナス要因や失敗を含んでいるにもかかわらず、それを直視しないで、そして次々と新しい要求を出していくという、こういう構造自体が問題だったわけですね。
 ひとつの大失敗があった時に、その失敗の原因がどこにあったかを分析しない、失敗を生かさないために更に失敗を重ねる、失敗の再生産みたいな形が日本の軍の組織論として最も重大だったわけですね。そこのところがこのノートからそくそくと伝わってきます。

佐伯評 : 官が発注して民が製作する、外から見れば意思疎通の欠如や、官の横暴ばかりが目につきます。しかし、誇大妄想と思われた要求が、技術者の努力で実現してしまった例は枚挙に暇がありません。生死を分けて戦っている前線の硝煙の中から突きつけられる過大な要求にいかに応えていくか、海軍航空本部も必死に戦ったはずです。

 20mm機銃や住金で試作段階の超超ジュラルミンが採用されたり、操縦系統の剛性低下という常識破りの提案が受け入れられたのは海軍の懐の深さではなかったでしょうか。

 番組では横空の二度の空中分解事故による対策すら、曽根技師らの意に反して応急措置しか取られなかったと強調していますが、その後同様の事故が発生しているのでしょうか。既に試作機段階で中国戦線へ送って大戦果を挙げているではありませんか。失敗が無かったとは言いませんが、失敗を再生産したというのは何を根拠にするのでしょうか。


佐伯の結論

 はじめに書いたように柳田さん以外の人は慎重に言葉を選んで発言しています。私が特に注目したいのは、「提案が撥ね返されるのは戦争だからでしょう。性能のよい飛行機を作って相手をやっつけるんだということですよ」「いくら丈夫に作っても、任務の遂行のためには払うべき犠牲もある。何のための零戦か、目的を 果せないじゃしょうがない」といった発言です。

 柳田氏は曽根ノートから海軍の組織的欠陥を読み取るといいますが、番組に登場する実在人物のこのような言葉どう受け止めているのでしょうか。

 更には、小出しに見せる曽根ノートで、確かに「欠陥」や「未解決」という文字をたびたびクローズアップしますが、その前後の記述を公平に見てみないと、曽根さんが本庄さんや堀越さんとどう対処していたかの空気がわかりません。一方的映像で誘導している気配が濃厚です。

 柳田邦男さん、一技術者が科学的良心で書き綴ったメモを海軍への恨み節ノートみたいにしてしまった一方的演出をどう思いますか? できうることなら、曽根ノート8年間分を隅々まで分析して、恨み節ではない科学的な零式艦上戦闘機論を出していただけないでしょうか。。

 なお、私は海軍省擁護論者でも源田ファンでもありません。航空史を客観公平にみて、正しく伝えるべきだという素朴な気持ちの一ヒコーキマニアです。

 

 

テレビ時評の反響  その1  2006/04/06

Aさんから
 佐伯さんの見解は面白く読みました。私はこれもニッポン国民性の長期視野を持てない施策であって現代もまったく変わらない特徴と思ってますが・・。零物は国民的幅広い多数の見解が存在するので反応も賛否両論が殺到する?? あるいは佐伯さんに遠慮してダンマリ?? (ご承知の上と思いますが、32型の翼巾11mは22型で12mに戻りましたが、その後の52型以降は再度11mになっています。)

Bさんから
 時評読みました。私は、番組を全部見ていないし、見た範囲では面白くなかったので、番組に対する感想はあまり無いのですが、ゼロ戦の改良を見ると、高速化、強武装化、防弾装置の装備という流れでありますが、どれもイマイチのような気がします。
 21型の次に新型戦闘機(ゼロ戦の改良を元から取り入れたような)が主力として投入されていれば、ゼロ戦も時代遅れにならずに、初期の圧倒的な強さが更に強調されたものと思われます。後継機、強力なエンジンを求められた時期に投入出来なかったことに、限界を感じます。
 あと、源田実氏ですが自分は、氏の戦闘機無用論から来る戦闘機の軽視が制空権、制海権を失う結果となったと思っています。343空を作った時では遅かったと思っています。戦後に政治家になったのも良い感じがしません。

Cさんから
  私は零戦製作上の「欠陥」だけをを零戦の敗因とする意見には同調できません。用兵上の「欠陥」「民度の差」をもっと直視すべきと思います。

 登場当時から大戦初期に無敵を誇ったのは、搭乗員が煉度の高い精兵だったことに加え、相手の体制不備があったはずです。それを機体の性能だけのせいと捕らえているのがこれまでの零戦評だったと思います。データを比較すれば確かに優れていますが、その優れた性能を活用するためにはそれなりの技術・煉度が必要なはずです。

 それを十分こなせる日本海軍が手塩にかけて育成した多くの精兵はミッドウエー海戦で失われました。戦局が悪化すると前線に出される搭乗員のレベル低下は免れず、機体の欠陥を如何に是正できていても搭乗員に固有の性能を引き出す能力が無ければ改善されたことにはなりません。(こんな事を言うと多くの犠牲者に申し訳ないのですが決して搭乗員を責めているわけではありませんのでお許し下さい。合掌。)

 高所から見れば戦略そのものの脆弱さ周到さの欠如が大きく影響していると思います。

 更には例を挙げるまでも無いことですが、両国間の無視できない民度の大差。これも零戦の性能発揮に対する障害の一つと考えます。南方に急進出、そこには遺棄された自動車、燃料があるにも拘わらずそれを扱える者が居ない。「猫に小判」。対するアメリカは女性が金髪をなびかせて颯爽とオープンカーを運転する光景が日常茶飯事。

 もし装備はそのままでもアメリカ人が日本軍を動かしたらどのような結果になったか。勝敗は別として零戦もまた別の動きを見せたことは間違いないと思います。

 番組末尾に出た堀越氏の言葉が印象的です。
「零戦を通じてわが国の過去を顧みるとき、自らの有する武器が優秀であるなれば優秀なる程、それを統御するより高い道義心と★科学精神を必要とする★事を教えているように思われる」と。

 因みに終戦時、フィリピンにあった山下将軍は連合国側記者団に敗因を問われた時、即座に「サイエンス」と応えたことを思い出しました。

 


Dさん
から(以下DさんとEさんは高校時代の同級生ですが、ヒコーキマニアではありません)

 実は、小生も先日の“NHKそのとき歴史が動いた”を見て、あまりにも一方的な意見を堂々と述べるこの番組に驚くと共に憤慨を覚えた一人です。

 零戦が当時の世界の中で、無敵の名をほしいままにした戦闘機であったことは、紛れも無い事実です。

 ミッドウエー海戦は、実質空戦で圧倒的に勝利しつつも、ミッドウエーから帰還した攻撃機の収容を終わり、作戦上の手違いで遅れていた第二次攻撃隊を甲板に並べたとき、とつじょ雲間から襲ってきた敵空母の艦上爆撃機によって、惨憺たる結果に終わったことは事実で。しかし、零戦が劣っていたからではないこと位、柳田氏ぐらいの年代層が知らないのがおかしいと私は思う。 

 当時米国は、落ちた残骸を集めてまでも零戦の秘密を探ろうとしていた。そんな中、ミッドウエー戦と同時期に行われたアリューシャン作戦で無人島に不時着した零戦をアメリカが手に入れたとき、狂喜乱舞したことは、戦後明らかにされ、今では自明のことです。 

 こんなことを貴君に言っても仕方の無いことですが、NHKはしばしば、独善的な内容を改竄したドキュメントを放送することが多々見受けられ、公共放送のあり方について私自身かなり疑問に思っているので一言申し述べさせてもらいました。

 これからのご健闘を祈ります。

Eさんから

 ゼロ戦の”そのとき・・”を私も見ました。ゼロ戦の難しい話はよく分からないのですが、源田とは、みんなにひどい犠牲を強いておきながら、戦後も生き残ってのさばっていた悪い奴だという強い憤りの感じをもちました。
 ”そのとき・・”は面白いが、確かに物事を断定しすぎるようです。同時代の話、同一人物の話が、日が変わると矛盾していることが多々あるように感じていました。

 

佐伯から :  この番組に対する反応を各サイトで拝見すると、ビジネス関係で、特に戦争を知らない世代の人は、NHKの解釈をそのまま信じて、いわゆる大企業病、トップが迷走している姿に共感する意見が多いように見受けます。

 DさんとEさんは、さすがに戦争を知る世代ですから、NHKの欺瞞を見抜いています。

 ヒコーキマニアや戦記に詳しい方のサイトでは、NHKがマリアナ沖海戦の敗北を零戦と搭乗員のせいにしていることに疑問を感じたり、実写フイルムを間違った場面で使っているとかの具体的ミスを指摘するものが多いです。

  いろいろな見方があって当然ですが、戦争を知らない世代に対して、日本が敗戦へ向かうターニングポイントとしてマリアナ沖海戦を大きくクローズアップし、その敗戦の原因を零戦に関する技術者の提案を聞き入れなかった海軍組織にありとする、単細胞史観を植えつけてしまっていることに私は憂慮します。

 Cさんが言うように、歴史はひとつの構造で成り立っているのではありません。学校教育で先史時代から現代までの歴史の流れを教えているのは何のためですか。作家の仮構による歴史ドラマなら少々の捏造は笑って見過ごしますが、松平定知、柳田 邦男両氏のあのキャラクターでやられたら、大半の国民は本当の歴史だと信じてしまったでしょう。そのとき歴史が動いたなどという一方的洗脳番組は即刻やめるべきです。

 海軍をぼろくそにけなした柳田さんよ、あなたのいう失敗の拡大再生産を重ねてきたのは日本放送協会NHKも同じじゃありませんか。会長や役員の好みの人間を重用する人事であったり、まじめな企画を取り上げてくれないとこぼす制作職員がいたり、数千万円を自分の飲み食いに使ったり、中には火をつけて回る記者がいたり、そんな身近な問題を取り上げてみたら如何ですか。


 なお、源田実氏の戦闘機無用論についてですが、生出 寿著 航空作戦参謀源田 実(徳間文庫発行)のP152〜153に、昭和10年頃に戦闘機無用論を唱えた人物として山本五十六、大西瀧次郎、三和義勇、源田  實、小園安名の5氏の名があり、柴田武雄氏が敗戦の重大要因となる甚大な影響を与えたと書いていることを紹介しています。Bさんからの資料提供です。

 源田氏自身は、海軍航空隊始末記に「九六式陸攻の出現で、日華事変の直前には、戦闘機無用論まで飛び出すに至った。しかし、この戦闘機無用論は〜一応の理論として成り立ったのであるが、日華事変が始まるや、単なる幻想として消え去ってしまった。」と書いています。追加

 

 

テレビ時評の反響  その2  2006/07/10

中央光房 海老浩司さんから

 零戦の番組評のページや「大和」は、佐伯さんなりの評価を与えていますので、より正しい歴史を残そうとしている姿勢は素晴らしいと感じます。以下に、一人の飛行機ファンとして私なりの考えを書きます。

 零戦は今までいろいろな書籍や映像作品で取上げられていますが、新しい視点で、番組にしたのは評価できると思います。工業製品はそれぞれ長所と短所があり、短所を欠陥と表現するのは、番組制作者の意図でしょうが、難しい技術的内容をプロジェクトX風のドラマにしたのも広く一般の人にも見て欲しいという意図なのでしょう。零戦に対する評価もいろいろな見方があるので、いろいろな方がいろいろな評価を与えることにより、より実像に近づくのではないかと思います。

 柳田さんのコメントは正しい評価だと思います。零戦に関する書籍を全て読んではいませんが、1200海里の航続力でしたか?当時のアメリカ機の倍を要求するのですから、要求仕様そのものが無茶だと感じます。PS-1/US-1飛行艇の取材を通じて感じた事ですが、航空機設計とは既存の製品の組み合わせで、いわゆるシステム工学です。例えば、要求仕様に合うエンジンの馬力、燃費が要求されるものが存在しなければ、どこかを削るしかありません。それが搭乗員保護の部分を削った結果として、被弾に弱い戦闘機になってしまったのも事実でしょう。

 搭乗員にしてみればアウトレンジ戦法として、背伸びも出来ない狭く与圧の無いコックピットで長時間航続し、空中戦を行い、また長時間かけて帰るのですから、搭乗員の疲労は並大抵ではなかったのではないか?と思います。

 ご承知のように航空機は、量産できますので工業力があれば補充出来ますが、搭乗員はそう簡単にはいきません。零戦の空戦は巴戦とされていますが、旋回を多用する方法では、1機撃墜するのに時間がかかり、戦闘中は長い時間集中力が要求されるので、搭乗員教育にも時間が必要とだろうと感じます。一番簡単なのは相手の不意を突いて一撃離脱で、対零戦の戦法としてサッチ戦法もこの方法です。スピードとダイブ能力が問われますので、搭乗員にしてみれば耳が「キーン」となりながらやっていたのだろうと思います。

 戦時の搭乗員教育に関してアメリカは、いろんな教本がネットオークションに出ていますので、かなりの教本や映画、リンクトレーナーを開発してシステム的に進めていますが、日本側の教本を見たことがないので、どの程度の教育を行っていたのか?戦記や航空機の技術的な解説は多いものの、訓練等の搭乗員養成の部分は、不明な点が多いのも事実で、常識的に考えても燃料が少なくなると、飛行訓練の時間は取れなかったのが理解できます。「訓練以上のことは実働でも出来ない」といいますので、マリアナ沖海戦の結果もそれを反映した結果なのでしょう。

 開戦時のORはテレビ番組でも取上げられていますが、航空機生産と並行して搭乗員の養成等のORは、行われていなかったのではなかろうか?と感じます。性能のいい航空機があっても近代戦は総力戦ですから、これらの事をシステム的に進めないと勝利は得られない。

 柳田さんは、零戦を通してこれら戦略の失敗を言っているのだろうと思います。

 被弾に関して、調べてみたことがあります。テレビでガンカメラで撮影した映像が放映されていますが、追撃している時、一番面積が大きいのが主翼です。旧海軍の戦闘機は全て主翼内タンクでしたが、グラマンレシプロ戦闘機に翼内タンクは無く、全て胴体タンクです。主翼にタンクを入れるのは、燃費の悪いジェット戦闘機の時代になってからです。主翼内にタンクを付けなければ、航続力も短くなる訳ですが被弾に強い機体になります。この思想は、陸軍のOV-1モホークもそうで、地上砲火を受けるので燃料タンクは胴体内、主翼桁の上に乗っています。

 山内秀樹さんが書いていますが、米軍の戦闘機は13.7mm機銃を多数、翼に並べ、射撃のチャンスがあれば出来るだけ多くの弾数を集中させる考えです。それに対して、日本は最後まで20mm機銃を搭載します。坂井三郎さんの本を読みますと、あまり20mm機銃を使われていません。当たった時の破壊力は大きいものの、弾が重いために真直ぐ遠くまで飛ばない。当てるにはかなりの技量が必要だったようです。巴戦ではつねにGがかかった機動を行っていますので、かなりの技量がないと当てられなかったのでしょう。

 整備に関しては、戦時の日本側の機体稼動率はかなり低かったのではないだろうか?と感じます。当時の技術関係の方にお話を聞きますと、エンジンは500時間毎に工場に送り返し整備するが、機体整備は現在の自衛隊機のように、一定時間毎に製造メーカーでオーバーホールの制度は無かったそうで、機体整備は全て部隊側が担当していたそうです。戦地での整備は、補給が続いているうちはいいでしょうが、補給を絶たれた状態での整備を考えると大変な状況だったのではなかろうか?優秀な整備員も陸戦隊として戦って戦死している方も多かったとの戦記もありますから、稼働率が上がることは無かったのでしょう。これらの検証も必要なのですが、これらの記録がどのにあるのか?一度調べてみたいですね。

 思いつくまま書きましたが、戦訓を冷静に判断し、手早く対策を打っていた米軍と比べると、旧軍は全て後手後手に回っているのが航空機を細かく調べていくと理解できます。