文句なしに第一級の史料であると断言できる貴重な出版物
航空デパート・ホーブンの紹介を引用します (
筆者根岸治郎さんの転載許可済み)
飛行機写真マニアの大先輩達が撮りためた在日アメリカ空軍機の写真が一冊の写真集になりました。
当時は紅顔の美少年であったにちがいない往年のカメラ小僧達が自転車、電車、バスを乗り継いで撮影スポットまで出向き、今のカメラとは比べようもないほどに簡素な機材を駆使し、飛行機写真に対する情熱で切り撮った「フェンスの向こうにある憧れの国アメリカ」の軍用機群。収録されているモノクロ写真の一枚一枚が力作です。
そして米空軍機と一緒に映り込んでいる懐かしい風景、風物が時の流れを痛感させます。旧式のバス、坊ちゃん刈りの男の子、学生帽着用のカメラ小僧達、オカッパ頭の少女達、後ろに子供を載せて走るリヤカー、フェンスにへばりついて基地の中を見ている少年達、1960年代の国産車の色々、基地周辺の畑、などなど、豊かな国アメリカと「まだそれほど豊かではない発展途上の日本」の対比がいみじくも盛り込まれた「単なる飛行機写真集」を越えた写真集になっています。
文句なしに第一級の史料であると断言できる貴重な出版物です。
【企画】 赤塚薫・佐藤雅三
【写真撮影】 森 正・渡辺俊彦・榎本行男・中里重雄・能村実・福井正夫・賀張弘道・松崎豊一・安西直哉・高橋泰彦・江間久・箕浦克広・横尾哲雄・東野良彦・大沢郁夫・小松賢一・高桑良二・中島良介・赤塚薫
【写真解説】 松崎豊一 【カバーデザイン】 大沢郁夫 【編集】 赤塚薫
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このホーブンの紹介文を読んで、私にはこれ以上の紹介文をまとめる能力がないので、転載をお願いしました。本書の全体像はここに言い尽くされています。
文句なしに第一級の史料であると断言できる貴重な出版物ですというのは、販売目的の誇張ではないように感じます。
まず、1946年から1969年までの23年間に、日本の空を飛んだ米空軍機の写真がヘリコプター系を除いて全機種網羅されている点で第一級史料です。
収録された機種名を掲げておきましょう。
戦闘機系 |
爆撃機系 |
輸送機系 |
その他 |
F-80A/C |
B-24 |
C-119G |
DC-4 |
F-84G RF-84G/K |
CB-17G VB-17G |
C-121A/C/G VC-121A |
DC-6A |
F-86A/F F-86D |
B-26B/C RB-26 |
C-133A/B |
DC-7CF |
DF-89J |
B-36 |
C-97A/C/F /G KC-97G HC-97G YC-97J |
AH-44D |
F-100D/F RF-100A |
SB-29 RB-29 |
C-46D |
L-1049H |
RF-101C |
RB-50E/F JKB-50D
KB-50J |
C-47D VC-47D AC-47D |
L-1649H |
F-102A TF-102A |
B-47E WB-47E
RB-47E/K/H |
C-54D WC-54D HC-54D AC-54D |
B707 |
F-105D/F |
B-57B/C/E EB-57E
RB-57A/D/E/F |
C-118A/B |
C-124A/C |
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RB-66B/C WB-66D |
C-130A/B |
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練習機系 |
B-52D/E/F/G |
C-135B WC-135B |
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T-33A |
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C-140A |
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T-28A |
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C-141A |
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しかも、写真のすべてにシリアルナンバーと所属部隊が記され、部隊の変遷や機種変更とともに吊し物の種類やマーキングやノーズアートの解説までついています。撮影場所の9割までが横田と立川なので、両基地主体の説明にならざるを得ないにしても、当時の三沢や板付の状況もある程度わかります。筆者の松崎豊一さんが実によく調べたものと驚嘆します。
ご承知のように、AGCは、過去に次の3冊を発行しています。
「CHECKER TAIL アメリカ海軍機写真集 1964〜1970」
「CHECKER TAIL2 懐かしのアメリカ海軍機たち 1963-1970」
「CHECKER TAIL3 伝説のアメリカ海軍機たち 1954-1966」
これらは、厚木を中心とする米海軍、海兵隊機の日本の全貌をとらえたものなのです。今回の「在日アメリカ空軍機写真集」によって1970年代までの米軍機がほぼそろいました。
在日米軍機の歴史は、これらの本からたどることができるという一種の辞書もしくはインデックスが完成しました。その意味で第一級史料の名に恥じません。
マニアによるマニアのためのマニアの本
しかし、赤塚さんのねらいは何も専門家の向うを張って第一級史料を世に出そうというような肩の凝ったものではないと思います。
副題に「私のアルバムから」とあるように、航空に飢えていた時代の少年たちが、柵の向うにやってくる超新鋭機の数々を夢中で追っかけてシャッターを切った興奮や感動を一冊にまとめたものといえます。
時に大スクープもありますし、行くたびに同じ飛行機であったり、空振りであったり悲喜こもごもです。また、通っているうちに余裕がでてきて、風景や人間をフレームの中に取り込んで物語をつくろうとする人も現れますし、芸術性よりもニュース性にこだわる人、すべてを残そうという記録重視派などさまざまでしょう。
今となってみれば、一枚一枚がもう絶対に撮ることができない貴重な写真であり、だからこそ想い出が詰っています。
松崎豊一さんのキャプションは、そのあたりを心憎いばかりに描写しています。読みながらいつのまにかタイムスリップさせられてしまいますね。ホーブンが「単なる飛行機写真集を越えた写真集になっている」というのはまさにそのことを指します。
演出効果がどぎついプロカメラマンの写真集ではない、マニアによるマニアのためのマニアの本です。
一つ二つ気がついたこと
かくいう私は、横田へは2回、立川へは1回行っただけ、厚木に至っては一度も行ったことがありません。横田の最初は、1965年ごろです。たしか柳田元一君の案内でドライブインからC-118を見ました。そのドライブインはマニアの間ではかなり有名だったと記憶していますが、本書では、そこから撮った写真が1枚(280)しか採用されていないのは意外でした。
常連マニアはRwy36かRwy18エンドで離着陸を狙っていたんですね。柳田君がエンドまで連れて行ってくれたかどうか、確かSLの走る鉄道のそばを通ったり、バスで立川駅へ近づいたら沿道にバーや赤青の特殊料飲店がたくさんあったような気もしますが、よく覚えていません。
本書の中で撮影年の最も古いのは、敗戦の翌年にC-46がDDTを空中散布しているものです(261)。よくも撮ったもの、よくも残してあったものと驚きました。松崎さんも書いていますが、頭の上からノズルでDDTを浴びせられ、これで蚤、虱が死んでくれると安心した世代は、懐かしいーの一言です。
私の研究テーマのDC-3/C-47は、残念ながら数が少ないです。案の定というか、いつ行っても飛んでいる平凡な旧式機というイメージを当時の少年たちも持っていたのでしょうね。松崎さん、フライトチェックのAC-47Dの説明(269)でオレンジレッドが機首下面とありますが、機首上面も塗っていましたよ。
まあ、そんな細かいことはどうでもいいです。厚木、横田、立川、入間、調布、羽田と飛行場銀座みたいな地域で、カメラを持ってヒコーキを追っていた人口は相当な数にのぼるでしょうし、その人たちの情報交換により、部隊や機体の状況が逐一明らかにされ、撮影やDPE技術も向上し、各地にマニア組織ができ、機関紙も発行されました。現在のインターネットに即日アップロードされる下地は、その頃につくられたのです。
本書を見ながら、AGCに連なる人々も先達グループだったのだなとつくづく思いました。
06年5月21日にこの本の出版記念会が行われました。私は所用で出られませんでしたが、出席者の名簿を拝見すると、上記の【写真撮影】に名を連ねている人などの中に、私にとって大変懐かしいお名前もありました。
ヒコーキマニア人生録・図書室その1〜4あたりに書いている時代に広島航空クラブやヒコーキの会などでお付き合いのあった人々です。私がヒコーキの歴史派マニア、記録派マニアとして、今、こんなホームページを作っていられるのもその人たちのお陰です。
終りに、飛行機写真に独特のスタイルを確立した榎本行男さんから頂いた年賀状をもって、本書の一端を理解していただきましょう。