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図書室43 掲載2008/11/17 評 佐伯邦昭

 

 

 

 

 書名  淳さんのおおぞら人生、俺流。

 著者 高橋 淳 聞きまとめ 金田修宏

 発行 2008年8月25日
     

 発行所 イカロス出版株式会社
     
 価格 1680円
 
 

 

 まずは、金田修宏という本年39歳のライターの略歴を調べました。ある翻訳関係のサイトに次のように書いてあります。

<ライター>
金田修宏:1969年、福島県生まれ。国際基督教大学教養学部人文学科卒業。著作権エージェントでのリーダーを1年半、雑誌『翻訳の世界』での編集アルバイトを1年半。その後、旅行ガイド『DOVE』、雑誌『通訳翻訳ジャーナル』の編集に携わる。現在はフリーランスのライターとして、取材記事や書評などを中心に活動中。ホっとする場所は映画館。 

 それで言いたいのは、この達者なパイロット爺さんの話を、実に達者な江戸っ子べらんめえ調で文字にしたライターの腕に感心したということです。

 読み出したら、本の三分の一くらいまでは夢中で進んでしまいます。それほど語り口が堂に入っているのです。高橋淳さんが寄席でしゃべったのかと錯覚するといえば大げさですが、まあ、型破りのヒコーキの本ではあります。

 もちろん、このパイロット爺さんのヒコーキ人生が素晴らしいものであり、いい加減に見える語り口の中に、実は非常に真剣に飛行機に立ち向かい、いったん操縦桿を握れば人並み以上の注意力をもって取り組んできたという裏うちがあればこそのことです。

 東京山の手の裕福な家庭の坊ちゃんとして生まれ、好きなヒコーキの道に進み、85歳でなお現役、操縦を教えた生徒数知れずというのは、意志と努力もさることながら、幸運の神もついているに違いありません。その環境に嫉妬心が湧いてきます。

 内容の方は、予科練と海軍輸送機部隊時代の話も面白いし、テーマの大半をしめる航空再開から今日までの小型機操縦の表と裏、各小型機を女にたとえたプロフィール、空中における様々な経験とそれとなく後輩パイロットへの教訓、レーク バッカニア水陸両用艇などの殆ど知られていない話し等々、たくさんあります。

 とにかく、べらんめえが冴え渡っていますよ。

 誇張もあるでしょうが、実体験の話しが元ですから、戦後日本小型機史を補完するに足るものと思います。

 高橋さんの謦咳に接した人はもう買っているでしょう。そうでない人には図書館で借りて読んでみて損はないだろうという程度の推薦に留めておきましょう。

 

佐伯が気にいった一節

「だが、俺は鬼教官じゃないし、画一的な教え方もしない。気になるところ全部をいちいち注意していたら、教えられる方もいやになっちまうだろう。だから1回飛ぶ時にアドバイスするのは1つか2つ。あとはほめてやる。」

 


日替わりメモ615番 2008/11/17

○ 書評   淳さんのおおぞら人生、俺流。

 淳さんの本の題が「俺流。」なら、佐伯の書評も「我流。」です。ともかく我流を読んでいただきましょう。その末尾に気にいった一節を掲げておきました。

 要は、趣味で操縦を習う人には注意は一つか二つ、あとはほめてやるのが要諦という淳さんの主張に、私もいたく共鳴しました。

 教え魔
 ゴルフ練習場へ行かれる方は知っていますね。時にうるさくてかなわない教え魔に遭遇します。とにかく1球打つたびにああだこうだと注意しているのです。生身の体が1球ごとに上手になっていったら、ゴルフ場はシングルだらけになってしまいますわなあ。逆効果もいいところ。

 周りの者は気が散って身が入りません。係りのおばさんに「あの人はプロ指導員ですか」と聞いたら「とんでもない、だいたいああいう先生が多すぎて毎日嫌な思いをしとるのよ。何が何やらわからなくなって成績が落ちたと怒った人もおる。私たちは立場上注意することもできんし、周りのお客さんに気の毒でしかたありません。」と。

 注意は一つか二つ、あとはほめてやる 淳さんの俺流を見習わなければなりません。

 


2008/11/20 高橋 淳さんの思い出    A6M232

 高橋 淳さんの話を聞いて思い出したことを 二つ。 

 河口湖で2回程見かけています、一度は原田氏と同席の時に息子さんと来ていたのでいろいろと話を聞くことができました。

 高橋さんの話では河口湖の一式陸攻後部胴体は「俺の同期(後輩?)がジャングルに突っ込ませた奴だよ・・・」と・・・   この話は原田氏と回収場所の詳細を話し合っていて明瞭に合致した話です。

 当時一式陸攻での着陸では制動距離の短縮をする場合に副操縦士がエンジンスイッチの(発・止?)の操作でブレーキをかけていたことがあったそうです。

 あの機体はヤップでの着陸時、機長が着陸復行を決断したのにもかかわらず副操縦士が何時も通りその操作をしてしてしまい滑走路を外れてジャングルに突っ込ませたとの事です。

 高橋さんいわく機体はずっとそのまま放置されていて上空から明瞭に分かったとも・・・

 この話は全くの私のうろ覚えですし高橋さんの豪快な話方もあるので、当時の操作要領・記録と合っているかは解りませんが・・・・

  もう一つは、高橋さんの若いころの写真を何点か見たことがあります、海軍の凛凛しい真っ白な軍服を着ているのに脇に抱えている雑誌には、戦時中には全く似合わない華やかな女性の顔が表紙の雑誌なんです。他の写真も戦時の暗さを感じさせない俳優ばりのカッコ良い写真ばかりで高橋さんらしいなとつくづく思いました。

 以上全く裏の取れていない余談でしたので失礼しました、参考で海軍と陸軍の代表的な双発機エンジンスイッチを添付しておきます。

 左が一式陸攻等で使用されたもの、右が屠龍等で使用されたものです。