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図書室  掲載2009/01/21

 

航空黎明期 操縦留学熱伝染の跡

航空と文化 第98号から

評 佐伯邦昭
 

 

 書  名 航空と文化 第98号 2009年新春号

 発  行 2008年7月15日 財団法人日本航空協会
     
 価  格 525円 定期購読料(4冊分)2100円

 主な目次 
    特集 ローコストキャリア
    歴史の証言 日本アジア航空の実像 -その誕生を中心に-
    新国産旅客機の展望 YS-11からMRJへ 前間孝則講演記録
    夢を追いかけて 熱気球 ANA SHINE DREAM号 
    航空宇宙記念碑の日本地図(12) 航空黎明期 操縦留学熱伝染の跡 (今回紹介) 


34〜37ページ

 

  「操縦留学熱伝染の跡」という表題がユニークです。3基の碑(いしぶみ)を尋ねての紹介記事と言ってみればそれまでですが、筆者のとらえ方が、ややこじ付け的なところがあるにしても、この表題を生み出した所以であることが分かります。

 紹介の一番目は、単身渡米して、かの地で飛行機の魅力に取りつかれ、飛行免状とカーチス複葉機(白鳩号)を携えて帰国したのに、1か月後に墜落死してしまった武石浩玻の銅像(水戸市)です。

  二番目は、京都の深草練兵場での武石の最後の飛行や外人飛行家のショーを見て情熱を高ぶらせ、フランスへ留学し、モーランソルニエ単葉機(翦風号)をもって帰朝し、滋賀県へ郷土凱旋飛行などで熱狂的な歓迎を受けながら、武石と同じ場所で墜落死した荻田常三郎の顕彰碑(東近江市)です。

 三番目は、やはり京都の深草練兵場で武石と荻田の飛行を見ていた小林祝之助で、第一次世界大戦中の仏軍で飛行訓練を受け、戦闘機パイロットになって戦闘中に死亡しましたが、日本ではその死が大きく惜しまれ、顕彰碑が京都市左京区に建立されました。

 飛行のことが西も東も分からない航空黎明期に飛行家の道を志した武石と、その情熱を受け継いで莫大な費用のかかる航空留学の道に進んだ荻田と小林は、まさに伝染病にかかったようなものであり、郷里の人々が浄財を出し合って碑を建てたのも伝染の経路かもしれません。その跡が今にしっかりと残されている訳です。

 記事にはその経緯事情が詳しく書かれていますが、更に筆者は、京都における四番目の伝染者についても下記のように記しています。紙数の関係で編集から割愛されていますので、特に送って頂きました。図書館などで本文を読んだ後でお読み頂きたいと存じます。

 

 

< 大谷演慧さんを知る方へのオマケ/ページ不足で割愛した部分です >

  以上の3人は順次、影響されたと筆者は類推するのですが、京都市街の地図を眺めているうちに、高位の僧侶でしたが飛行機にも熱烈な情熱を注いだ飛行熱中人、故大谷(えん)(ねい)氏の居宅、渉成園/枳穀邸が小林祝之助の碑から南西に4qほどしか離れていないのに気がつきました。

 同氏は真宗大谷派(東本願寺)の門首が未成年時に代行を務めたほどの高僧でしたが、幼少時より飛行機が大好きで、模型飛行機、そして飽き足らないマニアがそうしたように、80年代に入り、ライセンスを必要としないレジャー飛行機、マイクロライト/超軽量動力機が国内にも紹介されるといち早く興味を示し、60代後半から操縦に手を染めたのです。

 そして80才を越えてもマイクロライトの操縦を愛好し、空の日に表彰されたほどの大変な飛行機野郎でしたが、気さくで航空スポーツ界では大変慕われた存在でした。

 私事ですが90年代初期に京都で開催された模型飛行機の公式競技会に出向くと、関西の模型団体の会長の座にあった大谷氏も来場されていました。すると帰りに自らが運転する立派な乗用車で「京都駅まで送る」と申されるのです。それも東京へ帰る競技役員と一緒でしたから助手席ではなく、後席に座るハメになったのでした。真宗大谷派においては教祖のような存在の同氏です。もし信徒の方々に信号待ちの際にでも見られたら“罰当り”とつるし上げを食らってしまうのではと私は気が気ではありませんでした。

 そんな同氏に小林祝之助とその顕彰碑のことを伺わなかったのが今となっては実に大変心残りですが、何らかの形で彼の影響を受けたのではないでしょうか。

平成15年「空の日」表彰で航空亀齢賞を受ける大谷演慧

 


 おまけ

98号の表紙


 

ANA SHINE DREAM号 
スカイレジャージャパン08 撮影にがうり

 表紙の写真は、丑年にちなんでJA都城がつくった変形気球(シェイプト バルーン)です。大きな赤牛がゆったりと空に浮かぶ姿は、想像しただけでも気分が大きくなります。佐賀の2008インターナショナルバルーンフェスティバルで披露されました。

 同じく、右写真のANA SHINE DREAM号も佐賀で飛びました。その企画から成功までの話しを、企画した本人の全日空鬼丸智恵子さんが「夢を追いかけて 熱気球 ANA SHINE DREAM号」としてまとめています。

 佐賀出身の彼女が子どもの頃にワクワクしながら見ていた熱気球の夢を社員提案制度で実現し、多くのメンバーとともに作り上げたのです。面白いのは、球皮に描かれている12機の旅客機中に2機のマリンジャンボがおりますが、そのマリンジャンボをデザインした大垣天才少女が今や有名デザイナーになっているので、頼んでみたら快く全体をデザインしてくれたというのです。

 たしかに稀に見る素敵な熱気球に仕上がっています。佐賀でもうけたことでしょう。

 ただ、SHINEをシャイン(輝き)と読んでくれたらいいのですが、多くの人がローマ字読みをするのではないかと心配が残ります。